子供の行動はこれまでの育て方の集大成


子供の行動はこれまでの育て方の集大成です。
好ましくない行動を子供がするのであれば、そのように育てたのです。
このように指摘すると納得できない親御さんからは反発の声が上がります。そのこと自体が問題なのです。もしかしたら自分の行動が間違っていないかを確認することなく、自分の行動は正しいはずで子供が間違っていると考えてしまう人に多くみられる考え方です。間違っているのは自分で、子供の行動が正しいのが正解です。子供が好ましくない行動を取るのは、そのように育てたからです。意識して育てたか無意識のうちに育ったかは別ですが、間違いなく目的があって子供は行動しています。

思い通りにならないと所構わず泣き叫ぶ子供を見かけます。親御さんの必死の説得も虚しく必死で泣いて抵抗します。この子は所構わず泣き叫んで恥ずかしいと批難する親御さんもいますが、恥ずかしいのは親御さんの育て方です。これまで子供が泣き叫ぶことで思い通り操られていることに気付いていないだけのことです。子供なりにこれまでの成功体験に基づいて泣き叫んでいるだけのことです。いくら泣き叫んでも子供の思い通りにならないことを理解させていれば、泣き叫ぶようなことはしません。無駄だとわかっているからです。

子供がわがままで困るともよく聞きますが、それもわがままを言っていれば親が最後は言うことを聞くことがわかっているから親を操る目的でわがままを言っているだけのことです。わがままを言っても親が取り合わなければ、これも時間の無駄なのでわがままをいうことはなくなります。

子供の行動はこれまでの成功体験の積み重ねの結果でしかありません。子供が好ましくない行動したならば、どのような成功体験が好ましくない行動を引き起こすのか考えてみましょう。好ましくない行動を更に深める、子供にとっての成功体験とさせない方法も合わせて考えてみましょう。

怒る必要のない子育てから笑顔の子育てへ

怒らない子育てという言葉がもてはやされました。しかし真意を読み取れない親御さんには怒らないイコール放っておいて大丈夫と都合のいい解釈をされています。子供の自主性に任せるとして、虐待一歩手前の放置プレイのような子育てをされているご家庭もあるようです。そこで放置プレイを含む怒らない子育てとは区別するために、怒る必要のない子育てを提唱してきました。ただこの怒る必要のない子育てはコンセプトがわかりにくいのが難点でした。怒る必要のない子育てでは説明しなければ意図が伝わらないのです。

そこで次に考えたのが、笑顔の子育てです。怒り顏の子育てではなく、笑顔の子育てです。子供の笑顔を引き出すことを目的とし、結果として大人も笑顔で接するという子育て方法です。

子供が言うことを聞かないのに笑顔で接するなんて無理!という声が聞こえてきそうですが、そもそも親の言うことが全て正しいとは限りません。親の言う通りにしていれば立派な大人になれるとは限らない世の中になっています。話が少し逸れましたが、子供が親の言うことを聞かないことには子供なりの理由があります。子供なりの理由ということがポイントです。大人には理解しがたい論理だからです。詳しくは怒るを褒めるに変える魔法をご参照ください。

腹が立つのはわかって然るべき当たり前のことを、子供が理解し難い行動を取るからです。どこに問題があるかといえばわかって然るべきということを子供が知らないだけなのです。わかって然るべきというのは大人の思い込み、錯覚なのです。大人も生まれつき知っていた訳ではありません。誰かに教えてもらったのにそのことを忘れてしまって当たり前だと思っているのです。

笑顔の子育ては大人はわかって然るべきと思うことを、子供にわかりやすく面白おかしく伝えてあげるのです。子供はただ知らないだけなのですから笑いながら教えてあげるだけで良いのです。何度言ってもわからないというのは、伝え方に問題があるのです。行動の目的が伝わっていないために、子供には意味がわからず似たようなことを繰り返してしまうだけのことです。大人にとって当たり前でも子供が何を知らないかを探すつもりになると子供に意図が伝わりやすくなります。

何故してはいけないのか、あるいは何故しなければいけないのかを明確に伝えることです。子供は物事が理解できると笑顔になります。その笑顔を見ると大人も笑顔になります。子供は怒る必要なんてありません。笑顔を引き出す子育てで十分です。

何度言っても言うことをきかない子供の心理

子育てをしていると何度同じことを言っても言うことを聞かなくてイライラすることは良くあることです。同じことを何度言われても言われた通りにしない子供の心理を考えてみました。

大きく分けると、意味がわからないかやり方がわからないかのどちらかです。

言われたことを言われた通り実行するよりも自分のやりたいようにした方が子供にとって得なのです。子供がやりたいと感じる理由はそれぞれです。その方が楽しいのか、楽なのかはわかりませんが、子供なりの何らかの目的があってそのように行動しています。多少親に言われたとしても、その言われる瞬間だけ我慢すれば楽しかったり、楽が出来るから親の言うとおりにしないのです。

そもそも親が何度言ってもその意味を理解できていないのです。意味を理解できていないのですから親の言うとおりに出来ないのは仕方のないことです。

子供が意味を理解出来ないのであれば、簡単な対策はその目的を伝えることです。目的を伝えることで、言っている意図が伝わるのです。
何度言っても言うことをきかない子供の中には、言われていることは理解は出来てもやり方がわからないこともあります。部屋を片付けなさいと何度言っても部屋を片付けない場合などに当てはまります。片付いた状態は概念として理解出来ても、具体的な片付け方法がわからないのです。片付けるという概念は理解出来るため、具体的な片付け方法がわからないとは、親も子供もわからないまま時間だけが過ぎてお互いがイライラしてしまうのです。親は片付けていないこと、子供は片付け方がわからないことがイライラの原因です。

対策はわかっていると思っても、具体的な方法を教えてあげることです。親はわかっているはず、子供にはわからないということがお互いがわからないのです。このギャップが落とし穴で具体的な方法を説明することをしないままになってしまうのです。子供にとっては教えてもらっていないからわかるはずがないのに、親から何度も言われるからわかっていない自分が悪いと思い込まされてしまうのです。

子供に何度同じことを言っても言うことをきかないと思われたら、目的を伝え、具体的な方法を説明してあげてみて下さい。

周囲の人を振り回す人の心理

周囲の人を振り回す人というのはどこにでもいるものです。

振り回す人が職場の人であったり、恋人や配偶者などのパートナーであったり、子供であったりします。
本人には振り回しているつもりは全くありません。
ただ困っていたり心配しているだけです。
困っていることや心配していることの解決を周囲に求めるのです。
直接助けを求める場合もありますし、困っていることを切々と訴えて暗に解決して欲しいと主張するのです。
自分で解決する人は周囲の人を振り回したりはしません。自分で解決するのでわざわざ困っていることを人に言ったりもしません。
よほど暇であれば世間話として話すことはあっても、わざわざ自分の困っていることを周囲に話す目的がないのです(目的論
周囲の人を振り回す人は困っていることをアピールします。もしかしたら周囲の人のせいにして自分は悪く無いと思い込んでいる言い訳人間なのかも知れません。または周囲の人を振り回す自覚は無くても、無能ぶりをアピールすることで、手を差し伸べてもらうことを期待しているのです。

人を振り回す理由

そして周囲の人を振り回す人の特徴は、これまで困っていれば誰かが助けてくれた成功体験があるのです。それに味をしめて困っていれば、誰かが助けてくれるはずという心理が働いています。しかも困ってはいるけど助けてくれとは言わない、ズルい心理の持ち主でもあります。

偶然周囲の人を振り回してしまうことはあるかも知れませんが、その人が他人を振り回すことを再び見かければ、余り関わら無い方が良いと思います。

困っていることをアピールしてきても、大変ねぇと感想を述べるにとどめるのです。間違っても頼まれてもいないのに救いの手を差し伸べてはいけません。何故なら手を差し伸べられることに味をしめ、何度でも周囲の人を振り回すようになるからです。

頼まれてから手を差し伸べるかどうか考えると良いと思います。そして手を差し伸べるとしても、お金ではなくても何かしらの対価を求めるようにすると、振り回せない人(思い通り動かせない人)として認識されるので、次から困っていることを伝えてこなくなります。

子供に対しても同じなんです。子供の場合は子供が泣き叫ぶことで親を思い通り振り回そうとすることがあります(恋人や配偶者などのパートナーも泣き叫ぶことで相手を振り回すことがあります)。結果として子供の思い通りに親が行動すると、子供の成功体験として学習してしまいます。泣き叫ぶことで親を振り回すことが出来ると認識してしまうのです。嫌な思いをする→泣き叫ぶ→親が言うことをきくという図式を成功体験として学ぶのです。泣き叫んでも子供の思い通りの行動をしないことが大切です。そうすれば次から親を振り回す目的で子供が泣くことを避けることが出来ます。

怒らない子育て 怒るを褒めるに変える魔法


怒らない子育てというよりも怒る必要のない子育てを提唱しています。

子供を怒ることは無意味だと思います。かといって子供のやりたい放題の放置も子供のためにはなりません。何故なら常識が身に付かないからです。ただ放置で怒らない訳ではなく、怒らなくてすむ方法を考えるということです。

怒るよりも褒めて育てましょうという考え方があります。しかしなかなか出来ないのが現実だと思います。怒る場面を褒める場面にかえる魔法のような方法を教えてみます。

怒る場面を褒める場面にかえる魔法

怒る場面でも褒める場面にかえることが出来ます。

怒る場面とは、親にとっては当たり前のことが子供にとっては当たり前ではないことから起こります。親と子供の認識の齟齬です。子供は何かを知らないか、わからないから怒られてしまうような行動をとってしまうのです。その何かを教えるのは本来誰でしょうか?親ですよね。ということは親が教えるべきことを子供が知らないだけで怒るのは無意味だと思います。

子供の知らなかったこと教えてあげて(諭すということです)、わかってくれたら褒めてあげればいいのです。

怒るを褒めるにかえる具体的な方法は?

例えば子供が部屋の片付けをしない。そんな場面でも怒りたくなるのを飲み込んで、子供は何を知らないのかを考えます。子供は恐らく片付ける意味を知らないのです。

片付けのメリット

  1. 探し物がすぐに見つかること。
  2. 場所を取らないこと。
  3. 見た目が綺麗なことなどを知らないのです。

子供に2.3.は理解しにくいので、1.についてわかりやすく説明してあげるの良いと思います。片付けると探し物が早く見つかるからお得だということを伝えてあげるのです。

そのことをわかってくれたら褒めてあげるのです。ちなみにわかってくれなければ、褒めることは出来ませんが段ボール箱などを用意してその中に全部入れてしまうことです。そうすると親にとっては散らかりが目に付かなくなります。子供にとっては段ボールの中からお目当のものを探す手間が片付けるメリットだと実感出来るという二重の意味があります。

そして少しでも片付け始めたら褒めてあげるのです。

怒るを褒めるに変える魔法。使ってみませんか?

しつけと虐待の境界線

しつけと虐待の境界線は時として曖昧なことがあります。

怒る必要のない子育てを提唱している立場からすれば、子供に対して怒る時点で虐待?とも思ってしまいます。さすがに怒ること全てを虐待と考えるのは極端としても、時として子供を怒ることは必要だと思われる方も多いことだと思います。

しかし子育ての教科書のような指針となるものがないため、怒る状況や程度は親が考えなければいけません。この指針がないことが、しつけと虐待の境界線を曖昧なものにしてしまいます。

私は以下のことは避ける方が良いと考えます。

  • 手をあげる
  • 無視
  • 長時間の説教
  • 家から出す

実際子供が言うことを聞かないとついやってしまいがちです。

ここで大切なことは、しつけの目的が親の言うことを聞かせることではないことです。しつけ本来の目的は子供が社会に出て困らない常識を身につけさせてあげることです。親に従わせることではありません。

何も知らない子供の立場に立って、子供に説明することです。特に行動の目的を伝えていないと子供には理解できず、同じような行動を繰り返してしまいます。

上記の手をあげる、無視する、長時間の説教、家から出すというのは親が子供にわかるように説明することから逃げてしまっているように思います。

子供は親にとっては当たり前の何かを知らないだけです。その何かを教えてあげてみてください。

子供が将来困らないように常識を身につけられるように、怒るでも叱るでもなく諭すようにすると決して虐待にはなりません。しつけと虐待の境界線を気にする必要はなくなります。そして子供も親もイライラすることがなくなるので毎日が楽しくなりますよ。

考え方を強要すると争いになる

考え方を強要するから争いになります。

例えば親子で親の経験から子供に対してこうしなさい、ああしなさいと一方的に強要することは良くあることです。子供が納得出来る説明した上での強要なら、大きな問題になりませんが納得出来ないまま強要しようとすると争いに発展します。

一方的な考え方の強要や押し付けは時として争いに発展するのは仕方ありません。強要された方が理解出来ないからです。何故やらなければならないか納得出来ないまま強要されるので、納得出来ないことに加えて、考え方を変えるように強要されることで争いになります。二重の意味で不快に感じてしまうからです。

強要してもねじ伏せる圧倒的な力があれば争いにはならないかもしれませんが、対等に近い関係であれば争いに発展します。健全かどうかは別問題として、かつての欧米諸国の植民地支配が争いにならない程の圧倒的な武力の違いによるものです。

子供が小さい頃には子供自身が判断できませんので、強要するのも仕方がありません。しかし子供が生意気なことを言ったり反発したりする自我が目覚めてくれば、強要するから争いになるのです。子供の成長に伴い、圧倒的な差が無くなった証拠なのかもしれません。まだ子供だから自分の思い通りにしたいという欲求は抑えて、子供の考え方を尊重するようにすれば争いは避けることが出来ます。その代わり子供が責任を取るのです。

一方的な論理で考え方を強要した結果争いが起こるのは何も親子だけではありません。かつての宗教戦争も一言で言ってしまえば考え方である宗教の強要をしようとして戦争にまで発展しました。信じるものは救われる、信じない人は関係無いという本来の宗教の考え方で言え考え方の強要などあり得ないことです。そのあり得ないことをしたため戦争にまで発展したのです。

逆に考えれば考え方の強要などしなければ、争いの多くは避けることが出来るのかもしれません。例えば先ほどの親子の場合、親の知っている情報を子供に伝える。親からすればこうする方が得だと思うという提案をするのです。その結果子供が自分で判断するように促すのです。強要しなければ争いにはなりません。強要するから反発するのです。子供自身の判断であれば反発のしようが無くなると思います。当然その責任は自分で取らせると子供自身も自らが選んだ行動には責任が伴うことを実感すると思います。

最終的に子供が困ることなら、子供の問題だと子供に気付かせてあげると良いと思います(問題論)。子供が困る問題に親が口出しをすること自体が越権行為ですが、さらに強要すると争いになるのは当たり前と言えば当たり前のことなのです。

考え方の強要はしない

いくら自分の考え方に自信があっても、人に考え方の強要をしないことです。

考え方を強要すると思わぬ争いを生じるかもしれません。

大人に対して考え方を強要しないのは当然ですが、子供が反発するようになってきたら、子供に対しても強要するのは終わる時期なのかもしれません。

子供が生意気なことを言う心理

ある知人と話しているとお子さんが生意気なことを言って困ると聞きました。つい生意気なことを言われると怒ってしまうとも言われていました。前回の子供に腹が立つ理由に続き、子供が生意気なことを言う心理を考えてみます。

思い返せば自分が子供の頃、生意気なことを言っていたと思います。

一言で言えば、何も知らないから言えるのです。そして生意気だと感じられること自体も知らないのです。

例えば家でお母さんに生意気なことを言ったとします。大人からすれば掃除や洗濯、食事の準備などの家事をやってあげているのに、そんな生意気なことを言っているとして腹が立ちます。

子供は生まれてから当たり前に掃除や洗濯や食事の準備という家事をしてもらっています。それは当たり前で空気みたいなものです。やってもらって当たり前で感謝する、少なくともわきまえるという感覚が無いのです。

対策は?

子供から生意気なことを言われたら、『凄い!大人になったね。ということは全部自分でするんだ。めでたい』みんな拍手!^_^

と笑いながら言うのです。『それだけ生意気なことを言うのだから、自分でするよね?』と聞いてあげればいいのです。生意気だったことを認めれば、そのまま笑顔で終わりです。

引くに引けず、自分ですると言い張ればやらせてみるのです。責め立てることはせず、淡々と自分でやらないと何も進まない子供が困る状況を作り出すのです。

実際にやってみて困る状況になれば、子供も考え方が変わると思います。子供自身が自分では全て出来ないことを理解した時点で、わかった?と優しく声をかけてあげれば良いと思います。本当に困って助けを求めてくるまで待つのも一つの選択肢ですが、子供といえども意地になるかも知れませんので、適当なところで助け船を出してあげると良いと思います。何しろ相手はまだ何も知らない子供なんですから。

生意気なことを言われても、怒る必要はありません。素直に成長したことを喜び、更に成長を促すだけで良いと思います。まだ親がしてくれている有難さを知らないだけやってなんですから。恩着せがましく言えというわけではありません。子供が当たり前だと思って有難さを認識出来ないので、そのことを伝えるだけのことです。

身の回りにある空気と同じで、当たり前過ぎて認識出来ないだけかも知れません。空気は目に見えないだけに、身の回りにあることを実感するのは難しいのです。子供にとっても親のしてくれることは子供の当然の権利だと誤解しているのです。当たり前だと思っているから空気のように見えないのです。

生意気なことが言える年にまで成長すれば、自分で身の回りのことは出来るはずです。自分が身の回りのことをしてみて初めて親の有難さが理解出来ると思います。空気の存在を知るように。

子供に対して腹が立つ理由

子供というのは何も知らずに生まれてきます。
教えなければ、伝えなければ何一つ知らないのです。
反対に大人はこれまで様々な経験をしているため、当たり前に常識を身につけています。あたかも常識を生まれつき身につけて生まれてきたかのような錯覚に陥るくらい当たり前に思い込んでいます。
大人にとって当たり前のことを子供が知らないこと・わからないことに思いが至りません。
大人が自分の親から教えてもらったことを、子供に伝えないとわからないのです。

子供は知らないから何か大人が腹を立つことをしただけなのです。
もし知っていて大人を怒らせようとして行動したのなら、何か目的があります。
構って欲しいとか、自分のことをわかって欲しいとか、何らかの怒らせようとした目的があります。
大半は怒らせないように気をつけていたのに、知らない間に親の地雷を踏んでいるのです。

子供に対して腹が立つのは、理解できないからです。
何故そんな行動をするのか理解できないから腹がたってしまいます。
ただ単に何かを知らないのだという前提に立てば、腹は立ちません。
親が驚くような常識を知らなければ、そんなことも知らないのか?と笑えば良いのです。
ご免ご免まだ教えていなかったね。と笑えば良いのです。

子供に対して腹が立つのは、子供が知っているはずはないはずなのに知らないように振舞っていると思うから腹が立つのです。
子供は以前教えたから知っているはずなのに、知らないかのごとく振舞うから腹が立つのです。
子供には言葉で伝えてはいても、その意味・目的を理解していないので気にしていないだけかもしれません。
それとも頭に残らず忘れているのかもしれません。

子供が何かを知らずに親を怒らせたとしたら、その知らないことは誰の責任なのかを考えて見ましょう。
怒る気はなくなると思います。
腹が立っても怒る前に、子供は何を知らないのか?子供は何を目的に行動しているのか?を一呼吸置いてから考えるようにすれば、怒る必要はなくなります。
ただ教えてあげれば良いだけなのですから。

親が子を怒る問題点

私は子供を怒る必要はないと思いますが、世間一般では怒るのが当たり前よようです。

親が子を怒る問題点を考えてみたいと思います。一番の問題点は怒る基準が親の主観でしかない点です。親の価値観が世間一般とズレていても修正する仕組みがないことです。虐待としつけの区別が明確に出来ないのはこのせいです。

お手本が無い

育児書は数多くありますが、教科書ともいえるようなみんなが認めるお手本とも言える子育ての目安が無いのが現状です。そのため親も手探りで子育てをしています。親になるのが初めてなので、親としての経験が無い為、親自身の子供の頃の経験を元にするしかないのです。親自身が育った環境をお手本にするのですが、親自身が理想的な子育てをされて育ったとは限りません。親自身が虐待寸前の育てられ方をしていても、それが当たり前で育っていれば虐待寸前だと知る手段が無いのです。虐待が連鎖するのはこうしたことが原因です。

親が怒る基準

これこそが問題なのですが、親が怒る基準は親が腹が立ったかどうかという完全に親の主観だということです。しかも感情だから怒るのは仕方が無いと、誰もが思い込んでいることも問題を複雑化しています。

極端な話、親の勘違いでも、親のワガママでも子は黙って怒られるしか無いのです。少しでもこの問題点である親の暴走を避けるために、人類は両親で子育てをすること選択しているのかもしれません。親一人より親二人の方が客観性が高まるからです(似た者同士の夫婦なら、二人でも余り変わらないかもしれませんが)。

親が子供を怒る問題点

あくまでも親の主観だということです。
しかも答え合わせをすることがありません。
よくも悪くも親が正解なのです。
世間一般では非常識と考えられることでも、誰からも指摘されなければそれが世間一般からずれていることを指摘する仕組みがないのです。
このことが虐待を生み出す原因の一つとなっています。
親が正解だという前提そのものに問題があるのかもしれません。
子育ての基本も、子供の育てられ方として義務教育で教えるのが一つの解決策なのかもしれません。違っていれば家庭内で話し合うきっかけとするのです。(現実的には混乱が予想されるので導入はかなり難しいとは思います)

親に出来ること

私は怒る必要が無いように準備をすることだと思います。怒るではなく、叱るでもなく、諭すだと思います。

百歩譲って怒るとしても、客観性を持って子供を怒ることです。他の人に話をしても、みんながみんな納得するなら怒るようにすることです。他の人でも怒るだろうか?と客観的に考える癖をつけることです。少なくとも客観的に考える努力をすることで、親の勘違いや親のワガママで子供を怒る機会は減ると思います。

怒らず、叱らず、諭すのが一番ですが、万が一怒るとしても客観的に考える癖をつけることをお勧めします。

良かったら考えてみてください。

将来このサイトが子育てのお手本となるようなサイトになると良いですね。