スポーツは勝たないと意味がない?

スポーツは勝たないと意味がないと主張する人がいます。スポーツを商売と考えている人にとっては1つの真理かもしれません。勝った側だけが利益を得ることが出来るからです。お金を得ることが目的の商売としてスポーツをするのであれば、確かに勝たないと意味はないでしょう。

しかし本来のスポーツの目的はお金ではなく、最善を尽くすことです。1人で鍛えても限界があるため競うことが始まったのです。競う際に楽しむ要素を盛り込んでルールを整えたのがスポーツです。だから本来の目的の最善を尽くすことが出来れば、勝ち負けは関係ないはずなのです。

本来のスポーツの目的は最善を尽くすことですが、勝ち負けにこだわるようになるのは勝たないと何も得られないと誤解しているからです。勝つために最善を尽くすことで貴重な経験が得られるのです。その貴重な経験の価値を理解出来ない人が、勝たないと意味がないと考えてしまうのです。そして本来のスポーツの目的は最善を尽くすことだと知らないのです。

スポーツをするのであれば勝つにこしたことはありませんが、負けたからといって意味がない訳ではありません。何故なら勝てなかったという経験が得られたからです。勝つためには何が足らなかったか知るきっかけを与えてくれたからです。勝ち負けは最善を尽くすための手段だということを知るようにしましょう。

糖尿病の食事指導

私は糖尿病を専門にみている訳ではありませんが、糖尿病の患者さんに食事指導をすることがあります。というのも、お話しているうちに糖尿病の薬を処方されながら食事の仕方の違いにより血糖値が変わることを教えてもらっていないことがわかるからです。

糖尿病とは血糖値が下がらなくなる病気であり、そもそも血糖値が上がらなければ下げる必要はありません。食事によって血糖値が上がるのは糖質を食べた時だけなので、糖質の食べ方を気をつけるだけです。

リブレ 血糖値持続測定器を使い糖質だけが血糖値を上げることを理解していれば、誰でも食事指導をすることが出来ます。というよりも、血糖値持続測定器を装着していれば患者さん本人が糖質の食べ方と血糖値の関係を理解することで、医者が口出しする余地は無くなります。

糖質を食べなければ血糖値は上がりませんが、糖質を食べる場合、糖質の食べ方により上がり具合が全く異なります。そのことを理解してしまえば、糖尿病であっても糖質を楽しむことが出来ると思います。同じ糖質の量を食べても、食べ方により食後の血糖値は上昇するかもしれませんし、上昇しないかもしれません。糖質と血糖値は、一度に食べた食事中の糖質割合に依存します。つまりオカズと共に糖質を食べれば、血糖値は上がりにくく、糖質のみ食べれば血糖値は急上昇します。トータルの食べる量を問題としていますが、血糖値は糖質と食物繊維・タンパク質・脂質との割合が問題のようです。腸管内の糖質が血液に溶け込む物理現象の仕組みから考えて、腸管内の糖質割合が血液中の糖質割合(血糖値)に相関するのは当たり前のことです。

糖質だけ食べると糖質の量の割に食後血糖値が急上昇します。糖質割合が高いので当たり前といえば当たり前です。具体的にはおにぎりだけ、パンだけ、うどんだけ、ラーメンだけという食べ方が血糖値を押し上げます。ましてやうどんとおにぎりセット、ラーメンライスは最悪です。うどんとおにぎりよりはうどんと唐揚げ、ラーメンとご飯よりはラーメンと唐揚げなどの組み合わせが良いはずです。

糖尿病の薬を処方しながら食事の仕方を指導しない医者は、不勉強なだけか病気を治したい訳ではなく治療がしたいのだと思います。食事の仕方により血糖値が変動することを知らない不勉強な医者にかかっていても良くはなりません。ましてや病気を治すことではなく治療が目的の医者は、治療を継続するためにわざと糖質の食べ方を教えないかも知れないのです。何故なら治療(薬を処方)をしなければお金にはならないからです。不勉強か治療が目的かいずれにしても、食事指導してもらえないことは患者さんにとってデメリットでしかありません。食後の血糖値は糖質の食べ方により全く異なるのに、食事指導してくれない医者は見限る方が良いと私は思います。

糖尿病の治療に対して支払われる管理料は、糖尿病の薬を処方した対価として支払われます。食事の仕方で糖尿病の薬が要らなくなってしまうと、管理料を請求することは出来ません。薬が減ることは望ましいことのはずなのに、病院としては収入が減るので食事指導はしてくれないのかもしれません。病気を治すと病院の収入が減ってしまうという状態は、現在の保険医療制度の限界かもしれません。食事の仕方により薬を処方することなく糖尿病を治す方が、様々な意味で価値が高いと考えますが、治してしまうと管理料どころか再診すら必要なくなります。医療費の削減、患者さんの満足という意味はあっても、治した医者の収入は減るのです。実際私は2型糖尿病の方を食事の仕方を指導するだけで治してしまいましたが、何度か通院してもらって終了宣言で終わりでした。収入を増やすよりも病気を治すことが楽しいと考える医者以外は、食事指導を本気ではしないのかもしれません。

食事指導をしない医者、出来ない医者は淘汰される時代がもうすぐやってくるように思います。むしろ出来るだけ早く淘汰されるべきだとも思います。

何しろ近い将来医者は余るのですから(参考:近い将来医者が余る2つの理由)。

糖質を食べる量の意味を考える

糖質を食べる量の意味を考えてみます。糖質を食べる際には2つの意味があります。一つは総量、一つは一回の食事量です。その意味と結果を解説していきます。

体重

糖質を食べる量の総量を表すのが体重です。糖質の総量が多ければ体重は増えますし、総量の総量が少なければ体重は減ります。
体重が増える程糖質を食べてしまう多くの場合、糖質依存に陥っています。
糖質依存により糖質を多く食べてしまうことで体重が増えてしまうのです。

つまり体重が多い肥満は糖質の総量が多いことを表します。体重の少ない人は糖質の総量が少ないことを表します。

糖質一度に摂り過ぎ症候群

私の提唱する糖質一度に摂り過ぎ症候群は、字のごとく糖質を一度に食べた量、すなわち一回量に依存します。トータルの量は関係なく、一度でも大量に食べた結果発症するようです。一回量だけが問題であり総量には必ずしも相関しません。つまり痩せていても糖質一度に摂り過ぎ症候群を発症することは十分あり得ます。逆に一回量だけが問題のため、三食に分散して少量ずつ糖質を食べていれば総量は多くなって太ってしまっても構いません。つまり太る食べ方をしていても糖質一度に摂り過ぎ症候群を発症しないことも良くあることです。

結果から考える

体重が増えたとすれば糖質の総量が多いということです。糖質依存ではないか立ち止まって考えてみると良いと思います。

糖質一度に摂り過ぎ症候群を発症したとすれば、糖質の一回量が多いことがわかります。1日の食事あるいは間食のうちに糖質を一度に摂り過ぎているのです。具体的には新しいニキビが出来る、アトピー性皮膚炎が悪化するなどあれば前日糖質を一度に摂り過ぎているのです。良くあるのは忙しくてお昼ご飯を抜いて、夕食に大量に食べてしまう場合などです。

糖質の摂り過ぎのサインを身体が出してくれているのです。そのサインを注意報あるいは警報として受け取り、対処することをお勧めします。自然と病気を避ける理想の食べ方に近付くと思います。

離婚問題をYouTubeで騒ぎ立てる人の心理

ある芸能人が離婚問題に関する一方的な主張をYouTubeにアップし、芸能ニュースで話題になっています。その心理を考えてみます。

本人が自覚しているかどうかは別にして、人の行動には必ず目的が存在します(目的論)。YouTubeで騒ぎ立てている芸能人にもYouTubeで騒ぎ立てる目的があるはずです。その目的を考えてみます。

目的

騒ぎ立てている芸能人は夫から離婚訴訟を起こされています。では離婚したくないため、離婚しなくて済むように世間の同情を集めることが目的でしょうか?動画の中で夫はいらないという主旨の発言をしています。というのとは離婚の阻止が目的ではなさそうです。

目的は一言で言えば構って欲しいのでしょう。相手にして欲しいのです。夫には相手にしてもらえないので、世間を相手に構ってもらうことを選択したのです。

もしかしたら世間の同情を集めることが目的かもしれません。本人はYouTubeにアップすることで、可哀想だと同情してもらえると本気で信じているのかもしれません。しかし現実問題として、あの口調からは少しずれているように思います。芸能ニュースで報道されればされる程同情されている、あるいは自分の主張が正しいと勘違いを深めると思います。

対策

放っておくだけで対策は必要ないかもしれませんが、一応書いておきます。目的は恐らく相手にしてもらうことなので、相手にしないことです。芸能ニュースが好きな人達が野次馬根性で騒いでいるだけですから、自分達の生活に支障のない一般人は、テレビで流れてきたらそっとチャンネルを変えることです。芸能ニュースを見る意味は野次馬的な好奇心が満たされるだけで、生活は何も変わりません。視聴率が目的のテレビは野次馬根性を刺激することで、見てもらいやすいから報道しているだけです。間違ってもYouTubeを検索して見たりしないことです。

客観的に見れば、芸能人の離婚が訴訟に発展する珍しいケースというだけです。しかも主張が支離滅裂なので、耳を傾けるだけ時間の無駄です。

最後に

心理の奥底を読み解くスーパー心理学なる考え方を提唱していますが、今の心理の奥底は正直読み取れません。主張が次々変わりますし、それだけ本人も混乱して言動に一貫性がないように私には見えます。女優さんなので演技なのかもしれませんが、表情からは病的な様子にも見受けられました。

もしかしたら芸能界を引退するにあたり最後の一花として、自分の書いた脚本でマスコミを脇役とした舞台を演じているつもりなのかもしれません。

いずれにしても、色々な意味でそっとしておいてあげましょう。

炭水化物を食べないと低血糖という勘違い

私は様々な病気を避けるために糖質回避という炭水化物を控えることを提案していますが、患者さんの中には炭水化物を食べないと低血糖になるという方がおられます。極端な方はお腹が空いてくると手が痺れるという方までおられました。低血糖を解消するためには炭水化物を食べなければ仕方ないのでしょうか?

低血糖の起こる仕組み

残念ながら炭水化物を食べなければ低血糖になるという考え方は間違っています。炭水化物を食べるから低血糖になるのです(参考:不眠の原因は低血糖 〜血糖値持続測定〜不眠の原因は再び低血糖 〜血糖値持続測定〜)。私の場合糖質依存ではありませんが、昼間に実験で食べた糖質により血糖値の急上昇が起こり、その後糖質を食べなかったため夜間低血糖に陥りました。糖質を食べたことで血糖値が上がり、慌てて血糖値を下げた際に下げ過ぎることで低血糖が起こるのです。

睡眠時低血糖

 

そもそも糖質を食べなければ、血糖値はほとんど変動しません(参考:主食を食べない血糖値 〜血糖値持続測定〜)。糖質を食べるから血糖値は上がり、そして下がり過ぎるのです。

主食を食べない血糖値の推移を示したものです。

炭水化物を食べたい人達

低血糖になるから炭水化物を食べると主張する方は、炭水化物を食べることが目的です。炭水化物を食べるための言い訳をしているに過ぎません。原因と結果を取り違えているのです。ただ炭水化物を食べるから低血糖になることを知らない人も多いため、正確な情報を伝えてあげましょう。炭水化物を食べるから低血糖になるという正しい情報をお伝えしても理解できない人は仕方がありません。糖質依存の状態、つまり糖質教の信者なのです。他の宗教(この場合は糖質教)の信者に考え方を押し付けても争いが起こるだけです。糖質回避教を信じている人達にできることは、相手が信じるかどうかは別にして、理解できるように情報を伝えてあげることです。

病気になるとわかっても摂ってしまうのが依存状態です。ましてや炭水化物によって病気(この場合は低血糖)になることを認めないのですから、炭水化物をやめられないのです。

信じられない人のために

炭水化物のせいで低血糖になることが信じられない人のために提案があります。

まず炭水化物をやめてみることです。やめてみて低血糖を繰り返すかどうかです。繰り返すのであればやはり炭水化物を摂らないから低血糖になるのでしょう。しかし現実は異なります。炭水化物を摂るから反動で低血糖になっているに過ぎません。

このことを否定するためには炭水化物を控えてみることです。炭水化物をしばらく食べない状態を続けても低血糖が持続するのであれば、確かに炭水化物を食べないから低血糖になるのでしょう。しかし炭水化物を食べながら、炭水化物をやめると低血糖になるとおびえるのは正に糖質依存状態で、糖質を摂るための言い訳を探しているに過ぎません。タバコを吸っているのが当たり前の人にタバコをやめるように伝えても、タバコをやめると体の調子が悪くなると誤解しているのと同じです。

一度炭水化物をやめてみましょう。本当に低血糖を生じるかどうか試してみましょう。実際には最初のうちは低血糖を生じる可能性は十分あります。食事に対する条件反射で、食事をしたと体が認識すればいつも糖質が多いためあらかじめインスリンが分泌されることで血糖値が下がります。糖質を少量食べると余計お腹が空く理由(仮説)に書きましたが、糖質依存状態から抜け出すまでは身体が条件反射を起こしやすい状態です。丁度美味しい食べ物を見ると条件反射で唾液が沸き上がるのと同じ状態です。それが体内でインスリン分泌で起こっているのです。
身体がこれまでの炭水化物の多い食事と同じような食事だと誤解して条件反射を起こしているだけです。身体が炭水化物の少ない食事に慣れてしまえば条件反射は起こらなくなります。ちなみにお腹が空くのは糖質依存の禁断症状ですが、インスリン分泌の条件反射同様慣れてくるとお腹が空かなくなります。いずれも糖質依存から抜け出すためです。

糖質回避の注意点ですが、糖質回避をしながら突然おにぎりだけ、パンだけ、うどんだけという食べ方をしないことです。食後血糖値が急上昇するため、その後も身体が血糖値が上昇すると誤解してインスリンが分泌され続け、私のように夜間低血糖を発症する可能性があります(参考:私の不眠の原因は低血糖不眠の原因は再び低血糖)。

人工甘味料は危険?

人工甘味料が危険と考える人達がいます。私は一種の宗教のようなものだと思います。はっきりと安全だというは答えは無いからです。安全だという保証がないから危険だと疑っているのです。何かいるかも知れないから暗闇を闇雲に怖がることに似ています。

正直なところ人工甘味料が絶対安全だと保証出来るだけの情報を持ってはいません。しかし明らかな健康被害をもたらす程危険だとは思えません。それよりも糖質の方が余程危険だと私は思います。何故なら糖質は様々な病気を明らかに引き起こすからです。

一つ人工甘味料が害が無いと私が推測する根拠があります。それは人工甘味料がどれだけプールの中にあるか調べた結果についてです。人工甘味料がプールの中で検出されることがあるそうです。実は排尿の際に人工甘味料はそのまま排出されるため、プールの中の人工甘味料は排尿を表すそうです。ということは人間の身体を素通りすることを意味すると思います。素通りするものがそれ程悪さをするようには思えません。

かといって人工甘味料は絶対安全と証明されている訳ではありませんので、証明されるまでは摂り過ぎに気をつけながら上手に付き合う方が良いのでは無いかと思います。根拠も無く恐れるのは宗教変わりませんので、人にも恐れるように強要はしないことです。人の問題に立ち入らなければ、争いは起きないからです。

人間の身体を素通りする人工甘味料を恐れる宗教を信じるか、恐れない宗教を信じるかのどちらかです。私は身体を素通りする人工甘味料を恐れない宗教を信じています。砂糖には明らかな健康被害がありますから、人工甘味料の方が余程安全だと今のところ考えています。

物事の考え方の参考になれば幸いです。

糖質の落とし穴 罪悪感の欠落

実は糖質が人類を落とし穴に落としています。大きな大きな落とし穴に多くの人達を陥れているのです。落とし穴が大きすぎてほとんどの人達がまだ気づいていないのです。罪悪感がないことが身体に悪い物を食べている自覚がないため、食べ過ぎてしまうのです。罪悪感とは悪いことをしていると自覚する事です。自覚がないだけに知らない間に病気になってしまうのです。

糖質は米や小麦など主食として食べることが多いため、いつの間にか食事の中心となっています。砂糖のように極端な甘味があるわけではないため、身体に悪いという罪悪感という発想が生まれにくいのです。

罪悪感ということでいえば、甘い物やお菓子などの糖分は甘味という魅力があるためその反面身体に害がありそうだと予想することが出来るのです。つまり甘い物やお菓子などは罪悪感を感じながら食べる人もいるのです。太るかもしれないという罪悪感を感じながら楽しむことが多いのです。

糖質は確かに美味しいものの、糖分程の魅力があるわけではないため罪悪感を感じることなく食べ過ぎてしまうのです。そしていつの間にか糖質依存に陥ってしまうのです。

もう一つの問題は糖質には依存性があることが比ゆ的に使われるだけで、本当に病的に依存しているという自覚がないことが多いことです。これも罪悪感がないことから生じているように私は思います。身近にある糖質がそこまで悪いことをするはずがないと思い込んでいることが一つの原因です。

罪悪感として悪いことをしているという自覚がないまま食べている糖質が、様々な病気を引き起こすほどの問題児だとは想像すらしていないのです。糖質一度に摂り過ぎ症候群は明らかに糖質の摂り過ぎが原因です。肥満も糖質の摂り過ぎが原因ですし、2型糖尿病も糖質を摂り過ぎた結果血糖値が下がらなくなっただけにすぎません。

思い通りの答えが出るまで納得しない人の心理

世の中には人に質問をしながら思い通りの答えが出るまで納得しない人がいます。その心理を考えてみたいと思います。

一言でいえば、自分で結論があるのにわざわざ人に質問するのです。自分が正しいことを相手に言わせ、確認するような心理のようです。
自分の思い通りの答えが返ってこないと不機嫌になったり、どれだけ説明されても受け入れません。

話が長い人あるいははっきりと物を言わない人にこのタイプがいるようです。

困ったことに本人は自分では自分の頭の整理がついていないため人に聞くのですが、実は結論は出ているのです。自分の頭の整理がついていないため色々なことを口にします。口にしたことに対してかえってきた答えの中から自分の考えに近いものを選び出していきます。最終的に自分の思い通りの答えにたどり着いて納得するのです。
つまり思い通りの答えが出るまで納得しない人とは、自分で自分が何を考えているのかわかっていない人なのです。人から話の内容を整理してもらわないと、自分がどうしたいのか言えないのです。

実は患者さんにも見受けられます。
病気の診断を付けても納得されず、その人の思い込みが正しいはずだと様々なことを言い始められます。検査結果のように客観的なものに対してはさすがに言われることはありませんが、客観的な指標がないまま診断をしたことを伝えても納得されない方がおられます。特に病気の原因が糖質であることを伝えると、人によっては納得できないことに怒り始める人までおられます。怒ったりはしなくても、納得できないとしきりと訴えられる方もおられます。根拠を聞くとインターネットで見たからだそうです。宗教のようなもので最終的にはどちらを信じるかですねとお伝えしています。ただ誰が書いているかわからない、間違っていても責任を問われないインターネットと、責任をもって診療している私とのどちらを信じるかです。

思い通りの答えが出るまで納得はしないのであれば、普通の人であれば最初から自分の思っている答えかどうか聞くのですが、このタイプの人ははっきりとは聞きはしません。答えが正しいと思い込んでいるからわざわざ聞かないのかもしれませんが、自分の答えが正しいことを確認しようとする心理が潜んでいるので、はっきりとは聞きません。答えが同じなら速やかにことが進みますが、思い通りの答えが出なければどれだけ話をしても平行線をたどります。

対策としては、目的を聞くことです(目的論)。
思い通りの答えが出ないと納得しない人に対しては、目的を聞きその対策を相談することです。相手の思い通りの答えを手探りで探すと非常に時間がかかる上に、こちらの思惑とは異なる結論を求めているのかもしれません。今後どうしたいのかを聞くことで時間を短縮することができます。目的に対して対策を相談するのです。理由を聞いていても話をしている途中で思いついた理由にすり替わってしまうこともよくあるのでお互い時間の無駄になるからです。

思い通りの答えが出るまで納得しない人のもう一つの特徴は、自分の口からははっきりと言わないことです。自分自身がどうしたいのか自分の頭の整理がついていないだけなのか、相手から言わせたい狡い心理が働いているのかは人によって違いますが、物事をはっきりということをしません。

思い通りの答えが出るまで納得しない人がいることを意識することがまず大切だと私は思います。何故なら意識しなければ理解できないからです。人と話をしながらも前もって決めている答えを無意識のうちに引き出そうとしていることを意識することです。その答えが自分の考えと異なっていれば、1時間話をしても答えにはたどり着かないからです。

実際には思い通りの答えが出るまで納得しない人の心理といっても、思い通りの答えが正しいとすでに思い込んでいるだけのことです。そのため何を言われても聞く耳を持ちません。対策は話の目的を絞り込み、話を切り上げることです。

意識しなければ物事に気付かない

人々は意識しなければ物事に気付くことはできません。
例えば物が上から下に落ちること一つとってみても、重力という概念がなければ当たり前として気付くことはありません。ニュートンが重力という概念に行き着き、体系だてることに成功したためみんなが知るところとなりました。

それまで上から下へ物が落ちることはそういうものだとして誰も気にも留めることはありませんでした。それが何故かを真剣に考えたことから重力という概念が生まれ物理学が発展したのです。

例えば空気に関しても今でこそみんな知っていますが、空気の存在を意識するまでは目に見えないだけに何もないと考えられていたはずです。

細菌に関してもそうです。フックが顕微鏡で微生物を見つけるまでは目に見えない生き物がいることは想像の遥か外だったはずです。しかも数からいえば人間とは比べ物にならないくらいの生き物が存在するのです。今でこそ細菌やウイルスという目には見えない生物が無数に存在することは半ば常識のように受け入れられてはいますが、意識しなければいることを忘れてしまいます。

他にも意識しなければ物事に気付かないことは、糖質一度に摂り過ぎ症候群です。糖質一度に摂り過ぎ症候群は花粉症やアトピー性皮膚炎などの各種アレルギーや自己免疫性疾患、ニキビやイボなどの慢性感染症など多岐にわたります。誰もが見ている疾患で、数多くの人が罹患していますが糖質との関連、しかも一度の糖質量が病気の原因ということを意識しないため誰も気づかないのです。いえ気付けないのです。まさかそんなことがあるとは夢にも思わないため、完全に想像の枠の外なのです。意識しないから目に見えたものの解釈を誤ってしまうのです。

別分野での意識しなければ物事に気付かない例をあげると虐待です。もしかしたら虐待かもしれないと意識しなければ、気づくことはできません。不自然な怪我を見た際に虐待を疑わなければ、親がわざとやりましたと白状することはあり得ません。周囲の人達がもしかしたらと虐待を意識することが必要なのです。
同じ理屈でいじめもそうです。ふざけているだけだと思い込んでみてしまうと、本気で嫌がっているようにみえないかもしれません。もしかしたらいじめかもしれないと意識してみることが大切だと思います。

意外に身近に虐待やいじめはあるのに、意識していないから気付けないだけかもしれません。
意識しなければ物事に気付かないということを意識してみてください。

勉強ができる人が上手に教えるとは限らない理由

勉強ができる人が上手に教えることが出来るとは限りません。
その理由を解説してみたいと思います。

勉強が出来ない人が教えることが出来るはずはありませんが、勉強ができるからといって人に上手に教えることが出来るとは限らないのです。
一言でいえば、自分では答えの出し方はわかっているものの、人に解説出来る程深く理解出来ていないのです。別の表現をすると、客観的に説明できないのです。

物事の理解には解釈の土台となる基礎知識が必要です。その基礎知識が人によって異なるため、人に教える際には相手の基礎知識に合わせて説明の仕方を変える必要があります。勉強ができる人は相手の基礎知識に合わせることが苦手です。誰でも自分と同じ基礎知識があるはずだと思い込んでいるため、自分の解説で理解できないと相手が悪いと勘違いしてしまうのです。理解してもらうためには説明する側が情報を工夫するべきなのですが、その視点がないため理解出来ないのは説明を受ける人が悪いと考えてしまうのです。言い方を変えると優秀過ぎて、基礎知識がないことが想像できないのです。想像できたとしても基礎知識を身につけていないことを怠慢だとして切り捨ててしまうため、上手に教えることが出来ないのです。
自分自身が『一を聞いて十を知る』ことが出来るので、わざわざ間の二、三、四と説明しなければいけないこと自体が理解できないのです。そしてその途中経過である二、三、四は勉強ができる人は無意識に処理しているので、人にわかるように説明できないのです。

勉強ができる人でも教えることが上手な人は、相手の基礎知識を推し量り、説明の仕方を上手に変えていきます。理解のために必要な基礎知識が不足していれば、その基礎知識から説明することが出来るのです。
本当に教えることが上手な人は教えているうちに相手に概念がないことも理解し、概念から説明することが出来るようです。
自分自身は『一を聞いて十を知る』ことが出来ても、『一から十まで』教えてもらわないとわからない人がいることを理解しているのです。そのため相手の理解の程度によって一、二、三、四と解説することが出来るのです。本当に教えることが上手な人は1.1、1.2、1.3、1.4、1.5と更に詳しく説明することが出来ます。相手の基礎知識量に合わせて情報を圧縮したり引き延ばしたりできるのです。

上記の理由によりいくら偏差値が高くても教えることが上手とは限りません。
別の表現をすると勉強ができることと人に教えることは別の能力が必要だからです。勉強ができるとは教科書を暗記し、テストというパズルを上手に解ける人です。暗記力が高く、パズルを解く能力が高い人が勉強ができると言われます。一方人に上手に教えるためには相手の基礎知識の把握と、説明能力が必要です。必要な能力が一致しないため勉強ができる人でも教えることが上手とはいえない人がいるのです。高学歴の親が勉強を教えようとすると子供が混乱することがあるのはこのためです。

偏差値が高くても仕事が出来ない人がいることに似ています。これも求められる能力が異なるからです。
勉強ができるかどうかは仕事が出来るかどうかに相関はなさそうですが、勉強を教えることが上手かどうかは仕事が出来るかどうかに相関がありそうに私は思います。ほとんどの仕事に、教えることと共通する説明能力が求められるからです。

人工知能が人間の仕事を奪うこれからの時代に求められるのは、人に教える能力なのかもしれません。実はこの人に教える能力も相手に合わせて千差万別に変化することのできる人工知能が得意とするところなので、最低限求められる能力のように思います。勉強ができても人に教えるのが苦手であれば、何故教えるのが苦手なのか、何故相手にわかってもらえないのか考えてみるとよいと私は思います。