説明の極意の一つとして聞き手の立場を想定することを考えてみました。今回アメリカに本社がある外資系企業が『誕生日ではない日おめでとう』と言う意味のツイートをしたのですが、『なんでもない日おめでとう』と日本語訳をしてツイートしたことが問題となりました。
日本人にとっては意味のある日でも、アメリカ人には意味のない日ととられかねないツイートだけに問題になったようです。(実際には長崎の原爆記念日だと知らなかっただけか、忘れていただけだとは思います。)
物事は人によって受け取り方が異なる
物事はそれまでの経験や知識によって受け取り方や判断の仕方が異なります。そのことに留意せずに発言や発信を行うと、今回のことや政治家の失言で問題になり得ます。
例えば日本人にとって8月6日、8月9日、8月15日は戦争があったことを振り返る意味のある日です。ただ残念なことに同じ日本人でも何の日か覚えていない人もいるでしょう。
例えば今日8月11日は、多くの人にとっては特にこれといった日では無いかも知れませんが、誕生日の人にとっては1年で掛け替えのない1日です。ただ誕生日の人個人にとって大きく意味のある日ですが、多くの人にとっては365分の364の日でしかありません。誕生日では無くてもある人にとっては大切な人の忘れられない命日かもしれないのです。
つまりその人その人にとって、同じ日付でさえも意味が全く異なることを知っておく必要があることが広まるきっかけとなりました。
日付一つとってみてもこのように人それぞれの受け取り方が異なるのですから、ましてや他のことの受け取り方が人によって大きく異なることは容易に想像がつくと思います。聞き手の知識や経験、考え方によっては何気なく言った一言が大変な結果を招くことに繋がります。
相手の立場に立って考える
私自身もいつでも相手の立場に立って考えることが出来る訳ではありませんが、極力相手の立場に立って理解出来る言葉を選んで説明するようにしているつもりです。
今回の『なんでもない日』の問題は誰も長崎の原爆の記念日が何でもないと言っているわけではなく、ただ単に配慮不足だっただけだと思います。何でもないとツイートする前にグーグルで念のために調べることを怠ってしまった結果だと思います。
個人個人への配慮は難しいとしても、大衆への配慮は必要だったかも知れませんね。ツイートも個人がつぶやいただけなら大した問題にはならなかったと思いますが、原爆を落とした国の会社だったことも問題を大きくした一因だと思います。おそらく意図的に8月9日に『なんでもない日』としたわけではなく、ただ単に『なんでもない日』としたのが偶然8月9日だったのだと思います。
このことから聞き手の思い掛けない解釈により窮地に追い込まれることがあることを教訓にすると良いと思います。
アメリカに進出した日本企業が9月11日に『なんでもない日』などと言うことはあり得ないと思います。
相手の立場を考えるとは、おもいやりの話です。相手の立場も考えることの出来る余裕を身に付けたいですね。