人類が一夫一婦制を採用している理由

多少の例外はありますが、人類の多くは一夫一婦制を導入しています。

人間のやることには必ず理由があるはずです。
長年受け継がれてきた風習ですから何か合理的な理由があるはずです。

不思議に思っていましたがヒントになる記事を日経サイエンスでみつけました。
(参考文献:日経サイエンス2014年12月号 一夫一妻になったわけ)

700万年以上前に大型類人猿と人類の祖先であるホミニンが共通祖先から分かれた際に3つの革新的な変化が起こったそうです。

  • 二足歩行により食物を運ぶことができるようになった
  • ペアボンド(一夫一婦制)を採用するようになった
  • メスの排卵を知らせる外部シグナルがなくなった

食物を運ぶことができるようになったことで、オスは美味しい食材をメスに差し出すことで求愛をしたそうです。
それまでのメスの奪い合いに費やした労力を、オスはできるだけ広い範囲を効率よく探し回り貴重な食材を獲得することに振り分けました。
メスは強い戦士よりもより魅力的な食材を確保するをパートナーとして選ぶことにつながったそうです。
一夫一婦制を取り入れるにあたり、それまで存在していたメスの発情期をなくしたそうです。発情期があるとパートナーとして選んだオス以外を引き付けてしまうため、無駄な争いを避ける目的で発情期をなくしたようです。

一夫一婦制の期限の3つの仮説

  • メスのまばらな分布説
    メス同士が離れて暮らしていると複数のメスをパートナーとして選ぶのは困難となる
    魅力的なエサをオスに要求する種に見られる傾向がある
    人類は社会性を構築する種族でメス同士が離れて暮らすとは考えにくく、人類以外の動物ではよくあてはまる
  • 子殺し回避説
    強いオスに戦いを挑んで勝利したオスは、自分の子孫を残すために元のオスの子供を殺す
    子供を殺すことを避けるために、自分と自分の子供を守ってくれるオスを選ぶ
  • 父親による子の世話説
    子育てに父親が参加することで、子供の生存率が高まるほか、母親との絆もより深まる
    子供を抱いて運ぶだけで、授乳に匹敵するエネルギーが必要なため、父親が運んでくれるだけで母親には助けになった

統計的な解析では霊長類との比較では子殺し回避説がやや有意な可能性があり、別の統計では父親による子の世話説は最も可能性が低いと判定されたそうです。
学術的には最終見解はまだ出ていないようです。

私の考える一夫一婦制になった理由

か弱いメスが一匹で存在していたとは考えにくいと思います。
もしメスが一匹だけで存在すればオスは力ずくでわが物にすると思いますから、不用心な一匹で過ごすのは考えにくいと思います。一匹で過ごしていれば言語もふ発達しなかったと思いますから、否定的だと思います。

子殺し回避説は確かに一理あります。一夫一婦制を導入すれば子殺しは避けることができます。何故なら子供を守るために他のオスと父親が争う場合、母親も争いに参加することで2対1で子供を守ることができるのです。
サルをはじめとした他の動物ではオス対オスですが、一夫一婦制を導入した人類の祖先は二人で一組で家族としての絆で他のオスに対応することで勝負にならず、無駄な争いを避けることができたと考えられます。

父親による子の世話説。
私は懐疑的です。子供を抱いて世話をするよりも、母親がほしいのは子供がある程度まで育つ間の食料です。一緒に食料探しに移動するために子供を抱っこして父親に世話してもらうよりも、美味しい食材を探してもってきてくれる方が母親としてはありがたいはずです。先述した子殺し回避のためには母親の近くにいなければなりませんが、基本的には父親は食材探しだと私は思います。
人類は赤ちゃんが他の動物に比較して圧倒的に未熟な状態で生まれます。何故なら他の動物と同程度まで母親の胎内で育ってしまうと産道を通り抜けることができないからです。首がすわらない状態で生まれるのはそのためです。首が座るまでは母親は赤ちゃんを抱っこしたまま動くことができません。合理的に考えれば母親も出産で体力を消耗し授乳もするので、食料を父親と一緒に探し回るよりも、食料を確保してきてもらうことを望むはずです。少なくとも赤ちゃんの首が座るまでは移動は避けたいはずです。

人類は出産後の子育てに労力があまりにかかるため、夫婦二人で子育てに当たり役割分担したことが考えられます。夫婦二人で子育てすると有利になるというよりは、子供が小さいうちは母親だけでは安全には子育てができなかったのではないでしょうか?
このあたりに一夫一婦制になった合理的な理由がありそうです。

そして一夫一婦制では一度パートナーを決めると次のパートナー選びという作業が必要なくなるため、子育てに専念できるというメリットがあります。
ゴリラなどの一夫多妻制では維持するのに多大な労力を使いますし、新たにボスの座を獲得するのに多大な労力を必要とするのと対照的です。一夫一婦制はより多くの個人が安全に子孫を残せる合理的な仕組みだったことが考えられます。ボノボのような乱交型だと、子育ての際に食料を運んでくれない可能性があるため子育てに多大な労力を要する人類にとってはパートナーを決めるということに大きな意味があるようです。

人類の進化の歴史で培った一夫一婦制の意味は、赤ちゃんが他の動物と比べて非常に未熟な状態で生まれることに由来すると思います。子育てを二人で行わないと安全に育てることができないことから、発達したのだと私は思います。

子孫を安全に残すために一人のパートナーを決めることに意味があるのです。
ちなみに通常は一夫多妻のお猿さんですが、メスザルがボス以外の若いサルを誘惑して浮気することもあるようです。

人類でもたまに浮気してしまう人が存在するのは先祖返りの一種なのかもしれません。

血糖値を上げない食べ方

糖尿病は血糖値が下がらなくなる病気ですが、瞬間的に上がる血糖値が様々な病気の原因かも知れません(糖化産物原因説)。

糖質回避教に入信されるのも一つの選択肢ですが、どうしても糖質をやめられない方に朗報です。

糖化産物原因説はアトピー性皮膚炎ではほぼ間違いないと思います。現時点で3人の方が血糖値の上がらない食べ方で改善しておられます。無理に糖質を回避しなくても、食べ方の工夫だけでアトピー性皮膚炎が改善するかも知れません。他のアレルギーも改善するかも知れませんが、現時点ではわかりません。

血糖値の上がりにくい食べ方

糖質の量を控える

具体的には糖質を食べ過ぎないということです。御飯のお代わりなどは避けるのが望ましいと思います。精製された炭水化物は糖質の割合が高く血糖値を急上昇させるので精製されていない炭水化物がオススメです。例えば白米より玄米、小麦粉よりも全粒粉の方が血糖値の上昇を抑えられると思います。

糖質を最後に食べる

更に食べ方の工夫としては野菜・肉・魚類を先に食べ、最後に御飯を食べる食べ方です。最初に御飯を食べると他に食べ物がないため、一気に血糖値が上昇します。先に野菜や肉・魚類を食べた後で御飯を食べることで、一気に消化吸収することが邪魔されるので血糖値の上昇を抑えることが出来ます。

時間をかけて食べる

他にはゆっくり時間をかけて食べることです。一気に胃の中に入ると一気に消化吸収が始まります。ゆっくり時間をかけて食べると、少しずつ消化されるため吸収も緩やかに行われます。緩やかな上昇であればインスリンも適切に働くため、急上昇を避けることが出来ます。

糖質回避教の具体的な方法

一言で言えば糖質を避けるだけですが、これまで当たり前に食べていた糖質・炭水化物を避けるとなるとどうしても戸惑ってしまいます。そこで糖質回避教の具体的な方法を書いてみます。

主食を避ける

簡単なのは主食(御飯・パン・麺類)を食べないようにして、主食の代わりに豆腐を食べることです。おかず・副食はそのままです。

豆腐に醤油をかけずに、おかずの塩気で豆腐を食べると美味しくいただけます。

私の場合、最初は豆腐を一丁食べていましたが、時間とともに胃が小さくなるので最終的には4分の1丁程度に落ち着きました。最近では豆腐を食べない日もあります。最初はおかずも多く食べていましたが、最終的にはおかずの量は糖質回避前と変わりません。皆さん信じられないかもあが、イメージとしては糖質の分を余分に(無駄に?)食べ過ぎていた印象です。

牛丼の具を豆腐にのせる豆腐牛丼など、御飯の代わりに豆腐に置き換えてみると美味しく頂けるのではないかと思います。

肉・魚・卵・チーズは御自由に

肉・魚はどれだけ食べても大丈夫です。脂身も問題ありません。ただし長期的には健康被害の可能性がありますので植物性たんぱく質(大豆、豆腐など)を中心に動物性たんぱく質とバランス良く食べるのが良さそうです。

卵・チーズもタンパク質なので大丈夫です。
卵焼き・目玉焼き・ゆで卵、チーズなどは朝食に最適です。

野菜は一部気を付けて

野菜は一部を除いて大丈夫です。一部とはジャガイモ、サツマイモ、里芋、人参などの根菜類は糖質が多いので避けるようにしましょう。

おすすめはタンパク質が豊富な豆類です。

脂質も御自由に

カロリー説では悪の権化のように扱われる脂質ですが、糖質回避教では制限の必要はありません。(ただし極端に脂質を取ると長期的には健康被害の可能性があります)

カロリー説が当たり前のように流布されています。しかし脂身大好きで良く食べる私が痩せ過ぎるくらい痩せることを考えるとカロリー説は間違っていると私は思います。カロリー説の問題は参考文献:炭水化物が人類を滅ぼすをご参照下さい。

コストパフォーマンスを考えると豚バラは糖質回避教のおすすめ食材です。

間食のオススメ

慣れるまでの短い間ですが糖質回避をはじめた際にお腹がすくようなら、間食がおすすめです。間食は枝豆、ピーナッツなどのナッツ類、チーズ、ゆで卵がオススメです。
するめなども大半がタンパク質なので食べても大丈夫です。

から揚げなどもコンビニで手軽に買うことができるので、現実的かもしれません。

外食する場合

外食する場合定食屋は避けるのが無難ですが、大戸屋さんは単品メニューがあります。
中でもまいどおおきに食堂は自分で選択できるのでお勧めです。
単品メニューのあるファミリーレストランは簡単に糖質回避することができます。
自分で食材を選ぶことのできる各種バイキングレストランもおすすめです。

他には焼肉屋さんや居酒屋さんもメニューを選ぶことで、糖質を避けることが出来ます。

コンビニでの糖質回避の具体例

子供の習い事について 嫌々行ってませんか?

子供の習い事について考えてみます。
結論を一言で言うと、子供が納得していない習い事は時間とお金の無駄だということです。
少なくとも習い事の目的を納得していないと効果は期待できません。

習い事の目的がわからないと効果が半減

自分自身の経験からわかることですが、自分がやりたくてやり始めたことと親に強制されてやり始めたことでは意欲が異なります。
私は2つほど不本意な習い事をやりました。嫌で嫌で仕方がありませんでした。
親の価値観ではやるべきだと考えたようですが、私には『意味』がわかりませんでした。
納得できないまま強制されたので身につくわけがありません。

私の不本意だった習い事の一つは算盤(ソロバン)でした。
友達は公文式を習っています。私は算盤をやめて公文式を習うことを希望しましたが、親には受け入れられませんでした。何故なら親が子供の頃には公文式はなかったから理解できなかったようです。算盤の3級をとれば履歴書に書けるため就職に有利だという考えも根底にはあったようです。私は計算機があるのに算盤の時代が続くとは思えないと思っていましたが、当時はうまく伝えることが出来ませんでした。
良くも悪くも親の価値観で判断され、時代が移り変わっていることは考慮されませんでした。
とはいえ今ほど情報もなかったため、親が自分の経験から習い事を決めたのもやむをえなかったとは思います。

習い事をする目的やお得なことを納得できれば意欲がわく

計算するのに、算盤というツールが必要な習い事と、ツールを必要としない考え方を身につける公文式では公文式の方が理に適っているように当時から思っていました。(当時は深くは考えてはいませんでしたが、計算機が出現した頃なので、算盤はなくなると直感し無駄だと考えていたようです)
もし算盤を極めたら、暗算が出来るようになるため算盤というツールなしで計算が速く出来るようになるからお得だということを理解させてもらっていれば、もしかしたらもう少し真剣に算盤に取り組んでいたかもしれません。親は算盤を頭に描いて暗算が出来たので、算盤を習っていると暗算は当たり前であり自然と身につくものだと考えていたため私には当たり前すぎてそのメリットを伝えていなかったのかもしれません。私にとっては算盤というツールを持ち歩くわけでもなく、学校の試験にはそのツールは持ち込めないわけですから、算盤を習う『意味』・目的がわかりませんでした。もし暗算が出来るようになるとお得だからその練習のために、日頃は算盤を練習するのだということを教えてくれていれば、もう少し意欲が湧いたかもしれません。(もしかしたら親は教えてくれていたのかもしれませんが、少なくとも私は理解していませんでした)

理想は算盤を極めると暗算ができるようになるからお得だけど、習うか習わないかどうする?と私に判断させてくれればよかったとは思います。

子供にとって習い事にお金を払う意味

親にとっては子供のためになることにお金を払っているつもりです。
子供にとって嫌な習い事にお金を払うのは、自分のために払ってくれていると理解するよりは子供に嫌なことをさせているのだから対価を払うのも仕方がないと考えているのかもしれません。
そのため親が負担している金額を子供に伝えても、心に響かないのだと思います。
むしろそんなに高いお金を払ってまで子供が嫌がることをさせたいのだと、あきれてしまうのかもしれません。

習い事の選び方

大人が習わせたいことと子供が習いたいことを比べて、最終的に子供に判断させることです。やりたいかやりたくないか。子供が楽しめるかどうかで選べばよいと思います。
実際には親が習わせたいことをいくつか子供に提案し、子供がその中から楽しめそうなことを選ぶのが一番だと思います。
どれだけ将来子供の役に立つはずと親が思ったところで、嫌々習い事をして成果が上がるのはごくごく一部の優秀な人だけです。

楽しく習い事ができなければ時間とお金の無駄です。
習い事を見直す際、子供が楽しいかどうかで選んでみてはいかがでしょうか?

大切な確認

本人が習い事を楽しんでいれば何よりですが、確認しなければならない大切なことがあります。
確認すべき大切なこととは習い事の目的です。
本人が目的を理解しているかどうかです。
大人はお金を払って習い事をするのだから目的は知っていて当たり前と思いがちです。
または今はわからなくても習っているうちに目的はわかると思いがちです。

習い事の目的を知っているかどうかを確認することです。
そして習い事を続けたいかやめたいかです。
子供は親の顔色を読んで親の望む答えを言うことがあるので、楽しいか楽しくないかを聞いてみるとよいかもしれません。
楽しい場合は問題ありませんが、楽しくないと子供が考えているのであれば改善策・対応策があるかどうか相談してみることです。楽しくない習い事は諦めて別の楽しめそうなことを探すことをお勧めします。

誤解・勘違いは誰のせい?

誤解・勘違いは誰にでもあることです。誤解・勘違いの原因は思い込みや言葉・表現の曖昧さによる認識の齟齬です。

誤解・勘違いは誰が悪く誰の責任なのでしょうか?

誤解・勘違いは改善を

私は誤解・勘違いは誰も悪くありません。ただし誤解・勘違いをさせた原因を作り出した人が配慮不足を反省して今後の対策を考えるべきだと思います。話し方や表現の仕方の曖昧さを無くす努力をするべきだと思います。相手は混乱しますし、自分も本来の意図とは異なる解釈をされては損だからです。

誤解・勘違いは笑うこと

誤解・勘違いで嫌な思いをすることもあるとは思いますが、悪気があるわけでも意図的にしたことで怒っても意味がないことです。配慮が足らないことを指摘することで今後同じことを無くす意味はあっても、怒ったところで解決には至りませんし、お互いが嫌な思いをして終わりです。

誤解・勘違いは笑うことであって怒ることではありません。笑って改善策を相談しましょう。

企業の場合

現在様々な表現があります。紛らわしい表現もあちこちで見かけます。

言葉の揺れにより、2通りの解釈が出来る表現もよくあります。表現している人は一つの解釈しか出来ないと完全に思い込んでいることが多いため、二つの解釈が出来ることを想定すらしていません。二つの解釈が出来ることを指摘しても、直そうとしない場合も良くあります。二つの解釈をする方が悪いと受け取れる対応です。

企業がこのような対応だと、お客様目線か企業目線かが良くわかります。誤解・勘違いはお互い損なので曖昧な表現は改める方が良いと思います。

勘違いしてもらった方が利益につながると、勘違いされかねないことでも違法でもない限り放置してしまうようです。

利益は企業の為ならずとは真逆の、利益追求企業そのものです。

まだ誤解・勘違いで利益を上げても意味が無いことに気付いていないのは残念なことです。

カップヌードルのトッピング

勝手に考える私が社外取締役ならです。

今回はかなり前から思っていた内容です。

カップヌードルに入っているフリーズドライのお肉。美味しいです。

トッピングとして別売りすれば売れるのではないかと思います。あのお肉もっと食べたいのです。

たまにしか食べない人には不向きですがいつも食べる人には、振りかけのように好きな量を振りかけて食べるようにすれば良いのにと思っています。

長年待ち望んでいますが、発売されないのはアイディアが無いのか、需要が無いのか、あの比率にこだわりがあるから変えたくないのかわかりません。

糖質回避の観点からもトッピングのお肉だけのフリーズドライの別売りがあると様々な用途に期待できます。

別の用途

例えばチャーハン。ご飯にフリーズドライのまま炒めれば余分な水分を吸ってパラパラチャーハンになりそうです。例えば卵焼きの具材、スープのクルトン代わり、あらゆる可能性が広がると思います。

私が社外取締役ならすぐ発売するんですけど、何か素人が思い付かない問題でもあるのかも知れません。

人が物事に飽きる仕組み

人には同じ物事を繰り返していると、飽きる仕組みが備わっています。

何故人は飽きるのでしょうか?

飽きることで別の物に興味を持たせるため

飽きるというのは様々な状況で障害になります。例えば勉強に飽きてしまえば、他の物事に興味をうつしたいのに、状況が許しません。勉強に飽きているのに勉強しなければならない状況は苦行とも言える我慢の時と化します。同じことの繰り返しの仕事に飽きてしまえば、それはお金と引き換えの作業でしかありません。

本来人間は知らないことやわからないことに対して興味を持つようです。興味を抱いた物事を知ることで脳の報酬系(脳に対するご褒美みたいなものです)が活性化されます。この脳の報酬系は記憶とも連携しており、記憶の分報酬が差し引かれるように設計されているようです。初めて知ることや経験に対しては過大な喜びが得られますが、記憶にあることは記憶の分差し引かれて報酬が与えられます。だから同じことを二度体験しても感動が少ないのです。何度も経験するうちに十分記憶した時点で、報酬系が報酬を与えなくなります。いわゆる飽きたという状態になります。

これは同じことに執着することで、他の物事を経験する機会を逃さないようにする仕組みだと思います。様々な物事を経験しておく方が、一つのことに執着しているより環境の変化に適応できる可能性が高く、生き残りに有利だからです。

飽きない仕組みの獲得

飽きない仕組みの獲得とは二つの意味があります。自分で獲得したもの。意図的に仕組みを作ったものです。

自分で飽きない仕組みを獲得してしまうのは、依存のメカニズムです。脳の報酬系が錯覚を起こし、飽きるのとは逆の反応でやり過ぎてしまうのです。

飽きない仕組みとは様々なゲームです。本来は同じことを何度も経験していると飽きるはずですからゲームのやり過ぎは起こりません。しかしゲームメーカーは飽きない仕組みの作り方を経験的に知っているため、ゲームから逃さない仕組みを作り上げてしまうのです。ゲームの問題はこの飽きない仕組みを意図的に作り出してしまったことだと思います。本来人間のもつ飽きる仕組みを回避するのですから、ズルいとも言えるかも知れません。

人間の遊び本来の意味から逸脱しているので、将来的にはある程度規制が必要になるのかも知れません。

一度飽きてもまたやりたくなる理由

一度飽きても再びやりたくなるには理由があります。一言で言えば覚えているかどうかです。もう一度やるかどうか考えた際に記憶が薄れていれば、再度報酬系が活性化されることが期待できますから魅力的に思えます。記憶が鮮明なら報酬系は活性化されませんから魅力的に思えません。

子供が一旦飽きた遊びを再び何度もやりたがるのは、以前の記憶が報酬系を差し引けなくなっているからです。

勉強・仕事などで飽きるのを防止するには?

同じことの繰り返しだと飽きやすいので、時間毎に区切って勉強や仕事をする。毎回新しい発見を探すようにする。例えば覚え方の工夫をし、覚えやすい覚え方を楽しみながら試す等。仕事であれば同じ作業なら時間短縮するための工夫をして何時もとは少しずつ変えていく。

何らかの工夫などを考えることで少しでも改善することを見つけ出す。世の中に完璧なことなどあり得ないので、探せば何かしらの改善点を見つけることが出来るはずである。

糖質回避でアトピー性皮膚炎が5人改善

糖質回避で現在アトピー性皮膚炎が5人改善しています。

お二人は食べ方を血糖値の上がりにくい工夫でアトピー性皮膚炎が改善しているそうです。

となると必ずしも食べ物の工夫をする必要はなく、食べ方の工夫でアトピー性皮膚炎は改善するのかも知れません。食べ方の工夫とは血糖値の上がりにくい食べ方をすることで、具体的には野菜やおかずを食べた後で御飯を食べる。御飯のお代わりはしない。

糖質回避でアトピー性皮膚炎が改善することから考えても、仮説よように糖化産物がなんらかの悪影響を与えている可能性が考えられます。

アトピー性皮膚炎では治療法の第一選択が血糖値を上げない食事療法となる時代が来るかも知れません。

糖質回避で一度良くなれば、どれくらい糖質を食べると症状が出るか自覚できるようになると思います。このくらいなら大丈夫という具合に食べることができるようになると思います。アトピー性皮膚炎が悪化すれば、その前に食べた食べ物や食べ方を振り返ってみることで改善策を探すことが出来るようになると思います。

アトピー性皮膚炎は食事療法で治るもしくは失くす時代が来るのかも知れません。

子供を怒る『意味』

結論を一言で言えば、子供を怒る『意味』はありません。怒ることに『意味』がないことと、怒らない方法を説明していきます。

子供が出来ていないかやってはいけないことをしたから、子供の落ち度を怒るのは仕方がないと親は考えがちです。子供のことを考えて、子供を怒るのはいわば常識だと思われています。しかし子供を怒ることでどんな『意味』が伝わるのでしょうか?

子供にはやってはいけないことだということは伝わると思います。今度同じことをすれば怒られることがわかります。ただそれだけです。そして子供は嫌な思いをしたという事実だけが残ります。

そのやってはいけないことを子供がやってしまうのは何故でしょうか?そしてつい怒ってしまうのは何故でしょうか?

子供がやってはいけないことをしてしまう理由

そもそも子供はやってはいけないことを理解していないのです。以前似たようなことで怒られたからやってはいけないことは、もしかしたら知ってはいるかも知れません。いずれにしても良く理解できていないのです。

特に大人にとって当たり前・常識で子供も知っていると思い込んでいる場合があります。大人が説明しなくても子供も理由を理解していると思い込んでいるのです。

大人はやってはいけないと知っているはずのことをやるので怒るのです。子供はやってはいけないことは知らないだけなのに怒られるのですからたまったものではありません。

この時子供は怒られるとは全く思っていないので、怒られると驚きの表情を浮かべます。

全く知らずにやって怒られるだけではなく、怒られることを覚悟してやる場合もあります。以前怒られたことを少し変えてみて怒られるかどうか試す場合(怒られる境界線を探すようなイメージです)と、怒られることが目的でやる場合です。以前とは少し変えてやってみるのは、どうすれば怒られるのか境界がわからないので興味本位でやってみるというものです。怒られることが目的というのは寂しいなどの感情をうまく表現できないため、構って欲しくて怒られることをするという心理です。

この二つに共通せるのは怒られた時に、怒られること自体に驚きはなく、ある程度納得しているということです。

怒らず、叱らず、諭す

怒ることは感情をぶつけること、叱ることは責めることです。子供に罪はないので、諭すが正解だと私は思います

子供の知らないことを教えてあげるのです。何故やってはいけないのか?その意味と目的を伝えることで、似たようなこともやってはいけないと理解させたあげるのです。意味と目的を伝えることで、やってよいこととやってはいけないことの境界線を興味本位で試すようなことはなくなります。

明らかにやってはいけないことだとわかっていて、怒られる目的でしたことが疑われたら、どうしたの?寂しかったの?と声をかけてあげましょう。怒ることを期待しているので、驚くと思います。そしてどうしたいのか相談していくとよいと思います。

人の頭を書き換える方法

人の頭を書き換えるとはどういう意味でしょうか?
それは全く違う考え方に頭を切り替えるきっかけを与えることを意味します。

言い換えると常識を書き換えると表現しても良いのかもしれません。

人の考え方を変えるのは簡単ではありませんが、思いもしない一言で切り替わることがあります。想像すらしなかった常識の枠の外のことを知ることで、それまでの常識を打ち壊すことで頭が書き換わることがあります。

頭を書き換える一言

例えば糖尿病を例に考えれば、これまでの常識は一度糖尿病かかると治す方法なないということでした。

頭を書き換える一言は『糖尿病は失くなりますよ』です。最初は高かった血糖値が正常値になったグラフを見せながら治るわけではありません、失くなるんです。と伝えると皆様一瞬思考停止になられます。

または水いぼ摘除は『虐待では?』『差別では?』という一言があると思考停止に陥ります。
他には子供は親の言いなりになる奴隷ではありません。という一言です。

思考停止の後の解説

その後血糖値を上げるのは糖質だけであり、糖質を避けることを解説すると、思考停止からゆっくり頭が働くようになられるようです。

治らないことが常識だったものが、治る上をいく失くなるという表現によって衝撃を受け一瞬で頭が書き換わる準備をするのだと思います。信じるかどうかは別にして、これまでの常識とは異なる可能性があるの知るだけで大きな衝撃を受けるようです。

新しい考え方を取り入れた時点で頭が書き換わるようです。
虐待・差別、奴隷に関する話はそれぞれのリンクをご参照ください。

『虐待』や『差別』をしていませんか?

頭を書き換えるための一言として、いきなりこんなキーワードが出てくれば、戸惑うことでしょう。解説が加わればもしかして!と真っ白になるかも知れません。

詳しい話は水イボ摘除は虐待では?をご参照下さい

人と過去を変えることは出来ない?

過去を変えることは間違いなく出来ませんが、人を変えることはどうでしょうか?アドラーの心理学によると人の頭を書き換えるのはかなり難しいようです。しかし相手の想像をこえる一言で、もしかしたら書き換わるかも知れません。そんな相手の想像をこえる一言を探してみて下さい。

自分の頭の書き換え方は常識革命の起こし方をご覧下さい。