民主主義の意味

今のところ最も優れた政治形態は民主主義だと思います。

その民主主義の『意味』を考えてみました。

民主主義は多数決を行い多い方の意見に従うのが基本です。

様々な意見や思惑があり、どうするのが正解なのか誰にもわからないから、みんなで多数決で決めようという手法です。
正解がわからないのでみんなの知恵を積算して、恐らく正しいだろうと考えられるものを選び出す方法です。少なくとも比較的ましだと考えられる方を選択をするのが民主主義です。

その選択が必ずしも正しいとは限りませんが、民主主義には競争原理が働くのがが利点です。間違いがあれば競争に敗れ自然に正しい方向に修正されるということです。

みんなで政治を見張るので、明らかな不正が少ないのも特徴です。

独裁政治では誰も咎めることの出来る人間がいないので独裁者に有利な極端な政治を行うのと対照的です。

歴史の上で様々な政治が行われてきましたが、色々な理由で淘汰され民主主義が残っているというのが現実です。民主主義を知らない国の人々は、その国の政治が当たり前で不満も無いと思います。今後他国の情報が入ってくると、民主主義とのギャップに我慢出来なくなるため民主化が起こるのではないかと思います。

民主主義より更に優れた政治手法が発明されるまでは民主主義が続くと思いますし、世界的な流れとしてこれからも次第に民主主義が増えていくと思います。

糖質回避で糖尿病・肥満が改善しない場合

糖質回避で肥満や糖尿病が改善しない場合を考えてみました。

タンパク質・脂質・糖質のうち、血糖値を上げるのは糖質だけなので理論上は糖質回避で糖尿病は改善するはずです。太る理由糖質依存による過剰摂取が原因だと思いますので、理論上でいえば肥満も改善するはずです。

改善しない場合は何が考えられるか検討してみました。

前提条件が間違っている?

前提条件とは血糖値を上げるのは糖質だけということと、糖質依存による過剰摂取という二つです。
糖質を完全に回避しても糖尿病・肥満が改善しないとすれば、この前提条件に間違いがある可能性が考えられます。多くの人は改善するので前提条件に間違いはないとは思いますが、改善しない人は何らかの原因ですり抜けてしまうのかもしれません。

本来人間の体では血糖値を上げるのは糖質だけのはずですが、何らかの理由でブドウ糖をつくり出す仕組みがしまったのだと思います。ブドウ糖を作り出す仕組みを考えてみました。

一つの仮説

  1. 通常は消化できない食物繊維を消化できる腸内細菌が生着しており(草食動物には生着しているので、いわば草食動物の腸内が再現されているイメージです)、食物繊維からブドウ糖を作り出すことができるのではないか?
  2. タンパク質や脂質をブドウ糖に変換できる腸内細菌が生着しており(そんな細菌が存在するかどうかは知りません)、タンパク質や脂質から血糖値を上げることができる。(通常は低血糖にならないと、ブドウ糖は作り出しません)
  3. 身体の血糖値の設定値がズレてしまい、設定値を下回ると身体が低血糖と勘違いしてタンパク質からブドウ糖を作り出してしまいます。

1.であれば草食動物のように野菜から栄養を効率的に取り込むことが出来る最も進化した人類なのかも知れません。糖質と共に食物繊維も避けることで改善するかも知れません。

2.であれば食べる総量を減らすか食物繊維を多く食べることで血糖値の急激な上昇を抑えるしか対策が思いつきません。

確認方法は持続血糖値測定を行い、お肉だけ食べて血糖値が上がらなければ1.ですし、お肉だけで血糖値が上がれば2.だと考えられます。いずれも糖質回避では血糖値が上がるので糖尿病や肥満を引き起こす原因となり得ます。

3.の確認方法は持続血糖値測定を行い、食事と血糖値の関係の確認と糖質回避で血糖値が変動するかどうかの確認です。これだと糖尿病が改善しない原因の説明にはなりますが、肥満には関係がないのかもしれません。

仮説の根拠

肥満の患者さんの腸内細菌をマウスに注入することで、肥満が再現されたこと。

本当かどうかはわかりませんが、青汁だけで生きている人がいるとテレビで見たことがあります。これを本当だと仮定すると食物繊維を栄養として使えるとしか考えられないからです。人間が消化できない食物繊維を栄養として吸収しているのであれば、自前で消化酵素を獲得したと考えるよりは腸内細菌に働きによると考える方が無理が無く合理的だと思います。

腸内細菌は偶然腸内に住み着き身体に影響を与えるのだと思います。

腸内細菌説の仮説の先

人間は自ら作り出すことの出来るビタミンは限られていますが、もしかしたら腸内細菌が知らない間に作り出せる人がいるのかも知れません。

そう考えた根拠は同じものを食べても脚気を発症する人と発症しない人がいたことです。腸内細菌がビタミンを作り出してくれる人は脚気を発症せず、作り出すことの出来ない人が脚気を発症したのかも知れません。

 

TOEICが高くても仕事で役に立たない人がいる理由

英語でTOEICの点数が重宝されていますが、TOEICは英語の習熟度の目安を表すものです。TOEICの点数が高ければ必ず仕事の役に立つと思われていますが、大きな誤解のようです。あまり役に立たないとも聞くことがあります。
そのことから仕事に役に立たないことがあることの理由を考えてみました。

実際いは一定の目安にしかならないようです。何故なら英語が話せることと説明が上手なこととは別物だからです。英語で物事を考えることが出来るかどうかの判別には役立つかも知れませんが、英語で会話が上手に出来るかどうかは別物です。会話には言語能力と会話能力があります。TOEICは言語能力を測るだけで、必ずしも会話能力を測ることが出来るわけではないのではないでしょうか?会話は相手の言っていることを瞬時に読み取り、返答する必要があります。その会話能力がはかれないのではないかと思います。

実際説明能力の違いを抜きにして、英語を使えるかどうかを評価してもあまり意味が無いように思います。しかし元々の会話能力の違いを測定する方法がないため、事前の策としてTOEICを活用しているのだと思います。

母語の日本語の使い方すらおぼつかない人が、勉強することでTOEICの点数を取ることが出来るようになっても、外国人との意思の疎通は上手くいかないと思います。
私はまず日本語の使い方を磨いてから第二外国語に手を付けることがおすすめだと思います。
説明の極意 相手のわかる言葉で伝える
説明の極意 一言に凝縮する
説明下手な人の話し方

会話には共通概念が必要ですが外国人の持っている概念を身に着けるのは簡単ではありません。そして相手の考えていることが想像できなければ、多少の言葉のやり取りは出来ても会話が成立しないからです。まず母語での会話能力を引き上げることが大切だと私は思います。

相手の目的を読み取って会話をしないと、会話が成立しないのです。この相手の目的の読み取る能力こそが会話能力だと思います。

TOEICの点数と意志の疎通をはかる会話能力が同じではないから、正確なやり取りができず仕事に支障をきたすことがあるようです。

まずは母語での会話能力を高めることが早道ではないかと私は思います。
日本人が長年授業を受けても英語が話せない理由はこちら

糖質回避・糖質制限を否定する理屈

糖質回避・糖質制限を否定する理屈を言う人たちがいます。その多くは受け入れると都合の悪い人たちです。もしくは新しいことを受け入れる気がないため頭が非常に固く、柔軟な発想を持ち合わせていない人です。

否定する理屈を言う人たちに共通しているのは、受け入れないこと・拒絶することを先に決め、自分自身を納得させる・自分自身に言い訳する理屈を探すことです。心理状態は言い訳する人達と同じです。先に否定することを決めてから理屈を考えるだけなので、議論する価値はないように思います。
否定する内容を聞いてみると、何の根拠も示さず○○が不安だとか○○だと思うという思いを言うだけのようです。

糖質回避をしたらどうなるかデータがないから不安

少なくとも糖質の害が多数あるのは確かです。
糖質回避は長期間経験した人はいないので確かにデータはありません。
しかし害があるのに、害がないかもしれないことをデータがないからと不安がるのは不思議です。

明らかに害があることがわかっていながら、やめるとどうなるかわからないから不安なのでやめない。
改めて書きますが、室内で火事が起こっているけれど、外に出ると車にはねられるかもしれないから外には出ないようなものです。外に車が走っているかどうかわからないのに。外が安全かどうかわからないから出ないと言っても、室内は危険であることは確かなのに。

物事が合理的に考えられないことを公言することと同じですから、あまり賢い説明とは言えないと私は思います。

糖質回避をしたらタンパク質摂取量が増えて腎臓に負担がかかるから不安

糖質回避をしたらタンパク質摂取量は一時的に増えるかもしれませんが、糖質依存から抜け出せるので食べ過ぎがなくなるため最終的にはタンパク質摂取量は糖質回避前とそれほど変わらないと思います。

一説によると人類は肉食(肉が主食)だった時代もあるようです。
その時代を生き抜くことができたので、肉食になっても生き抜けるのではないかと思います。
その上少なくとも腎臓は2つあるものが1つになっても生きていけるほど余裕のある臓器です。
お肉だけ食べただけで腎機能に問題が出てくるとは考えにくいです。
通常タンパク質・脂質しか食べない肉食動物より人類の方が腎機能の余力が少ないデータがあれば可能性がありますが、そのデータを示さず腎機能が不安というのはそれらしい言い訳を見つけただけのように思います。

糖質制限が寿命を短くしないか不安

確かに糖質制限の寿命に関する影響はわかりません。
ただし糖質を食べることで糖尿病を発症しなくても、血糖値が上昇することは確かです。血糖値が一時的に上昇することでタンパク質の糖化により血管障害を引き起こしていることは間違いなさそうです。その血管障害の蓄積が心筋梗塞や脳梗塞を引き起こしている可能性があるので、糖質回避はこれらの可能性が下がるため寿命は延びるほうに働きそうです。
血液内で生じる糖化産物が障害を引き起こしている可能性が考えられる(糖化産物原罪説)。その障害が避けられることで寿命が延びる可能性が考えられる。

実際に寿命が短くなる可能性を考えてみます。
動物性タンパク質が多いと血管障害の報告があったと記憶しています。植物性タンパク質は過剰摂取でも問題がないそうです。
脂質の過剰摂取でも動脈硬化の報告があったように思います。
実際には糖質による血管障害の影響を考えると、動物性タンパク質の問題も脂質の過剰摂取の問題も糖質の害よりも小さいのではないかと私は思います。

植物性タンパク質(大豆・豆腐など)を積極的に食べるようにすれば寿命が延びることがあっても短くなる心配はなさそうです。
私は糖質回避をすると寿命は延びると考えていますが、実際に寿命がどうなるかは時間がたたないとわかりません。

糖質回避の不安をたとえ話に例えると

例え話を考えてみます。
家の中で小さな火事・ボヤ(糖質の害)が起きています。
外に逃げるべきですが、外(糖質回避)が安全かどうかわからない(糖質回避でどうなるかわからない)から外に出ないと言っているのです。
明らかな害があっても、外に出ると車にはねられるかもしれないから外には出ないと言っているのと変わりありません。
外の安全が確保されなければ外に出ないというのです。家の中は小さいとは言え火事なのに・・・。

明らかな害(糖質の害・小さな火事)がわかっていれば、まずは明らかな害を避けるべきではないでしょうか?
いるかどうかわからない車を恐れることが冷静な判断でしょうか?
私には糖質回避をしないために作り出した不安・言い訳にしか見えません。
(不安の心理は参考文献:アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉をご参照ください)

子供が長く寝る理由 眠る意味は?

子供が長く寝る理由を考えてみました。

成長と共に寝る時間が短くなります。大人になると子供の頃は好きなだけ寝ることが出来たのが嘘のように、眠れなくなってしまいます。

何故か考えてみました。

眠る意味は?

  • エネルギーの節約
  • 身体の休息
  • 脳の休息

夜間は昼間のように見る事が出来ないため、無駄なエネルギーを節約するために寝ることが進化したようです。しかし夜行性の生き物達も昼間には寝ていることから、必ず必要なもののようです。

ちなみに泳ぎ続けるイルカは脳の半分ずつ寝ることが出来るそうです。

身体の休息と脳の休息

エネルギー節約の次に考えられるのは身体の休息と脳の休息です。

両方の意味があるとは思いますが赤ちゃんの方が寝る時間が長いことから、身体の休息よりも脳の休息の意味合いが大きいのでは無いかと思います。

起きている間に受けた刺激を寝ている間に処理しているのではないでしょうか?起きている間に受けた刺激が大きくなり過ぎると、刺激が強すぎて起きている間の処理が出来なくなるため、脳が新たな刺激をシャットダウンするために眠くなるのではないかという仮説を考えました。

このことは4つのことから導き出しました。

  • 赤ちゃんが長時間眠り、次第に眠る時間が短くなること。
  • 子供が全く新しい体験をすると良く眠ること。
  • 私がそれまで知らなかった新しい情報に大量に触れると眠くなり、10時間〜11時間も寝てしまうこと。
  • 歳をとると眠る時間が短くなる

赤ちゃんが長時間眠ること

生まれたての赤ちゃんが20時間も眠るのは、見るもの聞くもの触れるもの全てが知らないもので、刺激が強すぎて処理し切れないためではないでしょうか?頭の整理がつくか、お腹が空くと目覚めて、処理し切れなくなると眠くなるのではないかと思います。

刺激をシャットダウンするために寝たいのに、シャットダウンできないと、グズグズして泣いてしまうのかも知れません。

子供が全く新しい体験をするとよく眠ること

子供がこれまで経験したことのない全く新しい体験をすると、短時間の経験でもよく眠ることがあります。
赤ちゃんがよく眠るのと同じことで、初めての経験は刺激が強く頭に様々な情報が入り込むため処理しきれなくて眠くなるのではないでしょうか?

子供が成長と共に眠る時間が減ってくるのは、様々な経験を記憶することにより全く新しい体験が減るため処理が簡単にできるようになるため長時間眠る必要がなくなるのかもしれません。

大人でも新しい知識を大量に吸収すると長時間眠ることがある

私の経験ですが、本やビデオ映像など全く新しい知識を大量に仕入れると処理しきれなくなるのか強い眠気に襲われるようになることがあります。逆に目新しい情報がない日には8時間以上は眠ることができません。目が覚めてしまいます。
一つの仮説ですが、全く知らない情報が大量に頭に流れ込むと赤ちゃんと一緒で眠くなるのだと思います。

歳をとると眠る時間が短くなる

子供が次第に眠る時間が短くなるように、大人も年齢とともに少しずつ眠る時間が短くなるようです。これも様々な経験をしている大人は新しい情報に触れる機会は少なく、脳の休憩である情報を処理するための睡眠がほとんど必要なくなるのかもしれません。身体を休めるための休息としての睡眠の意味だけが残るのかもしれません。

赤ちゃんが眠る時間が非常に長く、成長と共に次第に眠る時間が短くなることを一つの理屈で説明できる仮説です。
もしかしたら不眠症で悩んでいる人は自分が知りたいと思う新しい情報を積極的に取り入れることで、脳が休息を求めるようになり眠れるようになるのかもしれません。
良かったらお試しください。

人類が言葉を獲得した理由

人類は言葉を獲得したことで急速に進化しました。

ネアンデルタール人も言葉を使ったかも知れませんが、ここまで複雑な意思の疎通は無理だったようです。そして環境に適応し切れず絶滅してしまいました。

人類が言葉を獲得した目的

人類の進化の歴史において狩りをしていたのは確かなようです。化石や石器からもわかりますし、他の霊長類と比較して肩関節が物を投げることに適した可動域を持つのがその証拠のようです。イルカやクジラでも集団で狩りをするので、恐らく人類の祖先も集団で狩りをしていたことが考えられます。

言葉を獲得した目的

人類は必要に迫られて言葉を獲得したのではないでしょうか?動物でも行う狩りの合図は鳴き声一つで問題ありません。複雑な言葉をどのように使ったのでしょうか?当時の人類にとって大切なことは食料の確保と外敵からの身の安全です。

一説によると狩りの反省や改善点の相談に活用されたそうです。言葉を活用することで狩りの精度が増したため、人類は生き延びることが出来たそうです。

元々言葉は反省する・改善点を探すために獲得したと考えると、非を認めて反省できない言い訳人間はお猿さんに近い先祖がえりなのかも知れませんね。

人類は言葉を使って改善点を探すことで発展出来た

人類は言葉を使うことで様々な改善点を話し合うことが出来た。その結果このような人類の飛躍的な発展が出来た。もし人類が言葉を獲得していなければ、まだ石器を使っているのかもしれないと考えると非常に面白いですね。

天動説型思考と地動説型思考

以前はアナログ思考とデジタル思考という思考の仕方の分類をしてみました。今回は自分の立ち位置、立場を認識の仕方から2種類に分類してみました。

天動説型思考

天動説型思考とは主観的に物事を捉えることしか出来ず、客観的に物事を考える能力が欠落している。全ての物事が自分中心で回っていなければ気がすまないわけでなく、自分中心で回っていると信じて疑わない考え方のことです。一言で言うと自己中心的な考え方の持ち主です。

本人に悪気があるわけではなく、他の物事のとらえ方があることを知らないのです。かつての人類が天動説以外を知らなかったようなものです。

自分中心と完全に思い込んでしまうと、自分が望むことは全て他の人が叶えてくれると信じて疑いません。小さな子供の多くは天動説型思考をしていますが、周りが思い通り動かないことを少しずつ受け入れ、地動説型思考に意向していくことが多いと思います。

地動説型思考

地動説型思考とは天動説型思考とは対照的に、物事を客観的に捉えることができ、バランス感覚に優れます。物事を俯瞰(鳥の目から見るように全体を眺めること)して捉えることができるため、誤解が少なく正確にとらえることができます。人の立場に立って物事を考えることが出来るため、折り合いのつく方法を探し出すことが出来ます。

多くの子供は天動説型思考をしていますが、成長と共に周りが思い通り動くわけではないことを受け入れて地動説型思考に意向します。他人の立場に立って考える、他人がどのように感じるかを考えることで地動説型思考を出来るように進化していくようです。

天動説型思考と地動説型思考の関係

天動説型思考をする人は地動説型思考をする人のことが全く理解できません。そもそも概念がないため、理解しようがないのです。地動説型思考の人は天動説型思考の考え方も理解できる場合がありますが、天動説型思考の考え方の度がこえていれば相容れない関係となってしまいます。

天動説型思考と地動説型思考の見分け方

何か望みがある場合、自分が動くことを考えるか、誰かがしてくれることを考えるかのどちらかです。自分が動くことを考えるのであれば地動説型思考、誰かがしてくれるのを待つのは天動説型思考だと思います。

対策

天動説と地動説では地動説が正しいようです。思考法でも人が動くのを期待するよりも自分が動くことを考える方が健全です。天動説型思考をしている人は、少しでも早く地動説型思考に意向するように頭を切り替える方がお得だと思います。

頭の切り替えにはアドラーの心理学がオススメです。

糖質回避・糖質制限を否定する人達

  • 糖質・炭水化物だけが直接血糖値を上げる
  • 2型糖尿病は血糖値が下がらなくなる病気である
  • 炭水化物をやめるとアレルギーがおさまる人がいる

これらの事実・状況証拠から糖質に問題があることは明らかです。

受け入れるか受け入れないかは各個人の問題です。私は是非ではなく、いつ受け入れるか時間の問題だと思います。何故なら状況証拠を集めれば集めるほど糖質の摂り過ぎの問題が明らかになるからです。

そして明らかに問題がある糖質・炭水化物を避ける糖質回避・糖質制限を受け入れないだけでなく否定する人達がいます。
特に糖尿病の治療をしている先生たちは、もしかしたら専門家だけに受け入れにくいのかもしれません。

受け入れることを拒絶するのは受け入れると損をする医師、製薬会社、テレビ局です。

糖質の害を受け入れられない

俗に頭が固いと言われる人は新しいことを受け入れる素養がないようです。
血糖値を直接上げる食べ物は糖質だけという事実を積み上げれば糖質の害は明らかだとは思うのですが、受け入れられない人にとっては信じられないようです。
特にこれまで糖尿病の誤った治療(これまではわからなかったのですから、間違っていても仕方がありません)をしていた人は、治療が間違っていたことから受け入れなければならないので心理的に大きな抵抗があるようです。

糖質回避を受け入れると都合が悪い人達

糖質の害を受け入れると、糖尿病の治療方針そのものが根底から変わってしまいます。
そもそも患者さんが糖質を避けることができれば、病院に行く必要がなくなるかもしれないのです。患者さんがいなくなってしまうと考えると、糖質の害を受け入れたくないのもわかる気がします。自分たちの都合が悪いため受け入れないのです。

自分達の存在意義を失うので受け入れない可能性があるのです。

糖質回避を受け入れないのは誰の為?

2型糖尿病で糖質を食べると血糖値が上がり、糖質を食べないと血糖値が上がらないのは確かです。信じられない方はネットで調べられれば出てくると思います。

糖尿病の第一選択の治療は炭水化物を避けることだと思います。
食べ物を選べば薬はいらないのです。(2型糖尿病が薬無しで治りましたをご参照)

これらは間違いありませんが、その糖質回避を受け入れないとすれば誰のためでしょうか?
糖尿病の治療をしている先生の目的が、お金だと絶対受け入れないことでしょう。
先生の目的が患者さんの幸せであれば、即座に受け入れることでしょう。受け入れないまでも、必死で情報を集められると思います。
糖尿病の先生に糖質回避のことを尋ねられて、即答で拒絶されたらもしかしたら先生の目的はお金かもしれません。(そんなことはないと思いたいですが)

糖質回避が広まると都合の悪い企業

糖尿病のお医者さんも都合が悪いと考える方もおられるも知れませんが、糖尿病の治療薬を売っている製薬会社にとっては非常に都合が悪いと思います。糖尿病治療薬は年間3000億円以上の市場だそうです。その何割かでも無くなると考えると倒産はしないまでも、経営に打撃があるのは間違いありません。

もしかしたら製薬会社はスポンサーとしてテレビ局に圧力をかけて、糖質制限に関して放送しないように仕向けているかも知れません。ダイエットとしては視聴率を稼ぐために放送しても、糖尿病の食事療法として大々的に放送しないのはスポンサーの意向が働いているのではないかと思います。

そういう意味ではテレビ局もスポンサーの経営が傾いて、スポンサーを撤退するかも知れない糖質と糖尿病の関係の放送は都合が悪いのでしないようです。

真実はインターネットで広めるしかないのかも知れません。このサイトのように。

泣かさない子育て

怒る必要のない子育てを提唱していますが、赤ちゃんの頃から出来ることを考えてみました。

そこで考えついたのが、泣かさない子育てです。

赤ちゃんは泣くのが仕事って本当?という記事を書きましたが、どうやら赤ちゃんは泣く必要は無さそうです。

実は紙おむつが主流になりつつある頃に、お尻に不快感がないがために赤ちゃんが泣かなくてすむことに疑問がありました。泣かなくて大丈夫だろうか?と。成長に問題が生じるのではないかと心配していたことを思い出します。

当時紙おむつで育った人達が現在大人になっていますが、特に問題は無さそうです。

赤ちゃんや子供が泣く理由

赤ちゃんや子供が泣く理由は自分達の主張をわかってもらえないからです。赤ちゃんは言葉が話せないので、親を操るには泣くしかありません。子供は言葉が話せはしますが、どうして欲しいのか上手く言葉に出来ないので泣くことで感じ取ってもらおうとします。

わかってもらえれば、わざわざ無駄に泣く必要は無いはずです。

そして赤ちゃんにとっても子供にとっても泣くことは親や周囲の大人を操ることが目的です。思い通り操ることが出来れば成功体験として同じ行為を繰り返しエスカレートしていきます。

話が出来るようになった子供が泣いている場合、泣くのをやめるように言っても無駄です。目的が親を操ることだからです。泣くことで親が動揺していると、操りやすくなるため子供は更に輪をかけて泣き叫びます。子供の術中にはまっているのです。ちなみにその場合の対策は衝動買いの際の心理と同じで10分間気をそらすことです。まずは子供の作戦にはまらないために、動揺しないことです。

泣かさない子育てとは?

赤ちゃんや子供を見ていると泣く寸前に泣く前振り、泣こうか泣くまいか悩んでいる表情をすることが多いようです。その前振りを捉え泣く前に対応するようにするのです。

特に赤ちゃんの場合、やりたいことや希望・主張は限られています。

  • お腹が空いた
  • お尻が気持ち悪い
  • 寂しい
  • 抱っこして欲しい
  • 痛い・苦しい
  • 暑い、寒い
  • 眠い

といったところでしょう。表情が変われば抱き方を変えるなど変化をつけて、表情が和らげば正解、変わらなければ不正解。他の原因・対策を探します。泣くまでに見つけることが出来れば親の勝ちです。泣かれたら、今回は負けですが、表情との関連を考えて次にいかすのです。

泣かさない子育てのメリット

泣かれないので親のストレスはないし、子供も泣く必要がないのでストレスがない。親子共に幸せな仕組みです。

泣くことで親を操ることを知らずに育つため、自分の主張を通すのに、泣くことに頼らない子に育つ可能性がある。

親が子供の思いを前以て感じ取って泣く必要が無い環境を作り上げることが大切です。泣くことを封じるあるいは泣くことを許さない状況を作り出す子育てをすると、子供が思いを消化出来ず歪んだ育ち方をするので注意が必要です。

泣かさない子育ては、怒る必要のない子育てに通じる画期的な考え方だと思います。

赤ちゃんや子供は泣く前に表情や仕草など無言のメッセージを出しています。それを読み取り対応することで、泣かさない子育てが出来ると思います。

実際には全く泣かさないなんて不可能です。ただ泣かれないように気をつけていることで赤ちゃんや子供に、親が見守ってくれているという安心感が生まれると思います。

子供は泣くのが当たり前・常識から、子供を泣かさないように親のできることを前もってやってみるという常識革命をしてみると子育てが変わるかもしれませんね。

ご賛同頂けたら実践してみてください。

赤ちゃんは泣くのが仕事って本当?

赤ちゃんは泣くのが仕事といわれますが本当でしょうか?少し考えてみます。

赤ちゃんは泣く理由

赤ちゃんは何か主張・お願いがあって泣きます。例えばお腹が空いたとかウンチ出て気持ち悪いとか寂しいとか抱っこして欲しいとかです。赤ちゃんは言葉も話せませんから泣くしか表現ができません。そのため色々なお願いをしたくて泣くのです。

別に泣きたくて泣いている訳ではありません。仕方なく泣いているのです。

もし赤ちゃんが言葉を話すことが出来たら、『泣く前に気付いて欲しいな』と話すかもしれません。

赤ちゃんが泣くのは仕方ない?

赤ちゃんが泣くのは仕方ないと思い込んでいませんでしょうか?実は赤ちゃんを良く見ていると泣く前に、表情が変わることが多いようです。

目を閉じ顔に力が入ります。声を出さずに泣いているような顔つきです。泣く前振りというか、気付いて欲しいメッセージを送っているような印象です。その表情を見つけてすぐに抱っこしたり抱き方を変えたりすると穏やかな表情に戻ります。赤ちゃんのして欲しいことと違っていれば、そのまま泣いてしまいます。

お母さんが泣かさないのが勝ち?

泣く前振りを見分けることが出来るようになれば、もしかしたら声をあげて泣く前に対応出来るようになるかも知れません。

赤ちゃんは泣くのが仕事ではなく、お母さんが泣かさないのが仕事?という考え方も出来るのかも知れません。

実際には泣かれることも多々あるとは思いますが、泣く寸前の前振りをどれだけ気付いてあげることが出来るかどうかで赤ちゃんに泣かれるストレスを減らすことが出来ます。

更に一歩進んで、泣いたら赤ちゃんの勝ち、泣く前振りでお母さんが気付いて泣かれなければお母さんの勝ちという一種の勝負感覚を取り入れてみてはいかがでしょうか?

泣いて赤ちゃんが勝つか、泣かせないでお母さんが勝つかの勝負です。

赤ちゃんの表情を読み取るのに慣れていると、話せるようになる頃には更に赤ちゃんのして欲しいことがわかるようになると思います。

これが怒る必要のない子育てに繋がると思います。

そんな余裕は無いと思われれば無理にされる必要は無いと思います。糖質回避教と同じで、信じる者だけ救われるのかも知れません。

赤ちゃんが泣かなくていいの?

泣くのが仕事と言われている赤ちゃんが泣かなくて良いのでしょうか?

元々赤ちゃんが泣く理由を考えてみると、仕方なく泣いていることがわかります。泣くのが目的ではなく、泣くのは欲求を満たすための手段です。手段をわざわざ無理に引き出す必要は無いと思います。更に日頃泣かなくても欲求が親に伝わる関係になれば、欲求が通らない場合に泣くという行為が研ぎ澄まされるように思います。(根拠はありませんが、いつも泣いているとよくわからないけど泣いておこうという赤ちゃんの心理もあるのでは無いかと思います。泣き癖とでも言うのでしょうか?)

大人でもお店に入ってわざわざ言わ無いと水も出てこない、注文も取りに来ないと不満に思います。一方水が出てきてご注文は?とこちらからわざわざ言わなくても聞いてくれるお店はどちらが良いでしょうか?

もっと別の例えをすると、文句を言わないと何もやってくれないお店と何も言わなくても至れり尽くせりのお店、文句を言わないとやってくれないお店の方がいいですか?

赤ちゃんも文句という訳ではありませんが、泣くことでわざわざ主張しているとしたら考え方を変えても良いのかも知れません。

抱き癖という嘘

抱き癖がつくから抱っこばかりしては駄目という話があります。

抱き癖という言葉・概念を提唱した人や受け入れる人はプチ育児放棄なのではないかと思います。抱っこしたくないという目的が先にあり、抱き癖という言い訳を見つけただけのことです。

太古の昔人類がまだ木の上で生活していた頃を想像してみてください。正に今のお猿さんの赤ちゃんの生活です。基本はお母さんにしがみついています。お母さんにくっついているのが基本です。お母さんと赤ちゃんが離れる方が珍しい話です。人間は外敵に襲われる心配もありませんし、知恵が備わったため赤ちゃんと離れることが出来るようになりましたが、抱っこするのが基本です。抱き癖がつくのではなく本来人類がお猿さんに近かった頃から抱き癖はあるのです。それを受け入れて抱っこするか、抱き癖を言い訳に抱っこしないかだけだと思います。

抱っこ出来るのは限られた期間しかありません。抱っこ出来る限られた期間に抱き癖を言い訳に抱っこしないのはもったいないと思います。

赤ちゃんは泣くのが仕事ではなく、赤ちゃんは抱かれるのが仕事だと思います。