医者が余ると給料は下がる?

一言でタイトルの答えを書くと給料の上がる医者と下がる医者がいます。その理由を書いていきます。

近い将来医者が余ることは間違いありません。その理由は

これらが言われています。

厚生労働省も認めたので、これから医者が余ることは紛れもない事実です。問題は医者が余ることでどのようなことが起こるかです。

国家資格にも関わらず、一足先に過剰になっている業界に歯科医師と弁護士があります。いずれも過剰となったために、需要と供給のバランスから勤務歯科医師や勤務弁護士は安い給料で働くことを余儀なくされています。どうしても経験を積む必要があるため、安い給料でも働かざるをえないのです。一説によると勤務歯科医師は夜勤をする看護師さんの給料よりも少ないというデータも存在するようです。弁護士ではせっかく国家試験に合格しても登録料が払えない人もいるという話も聞こえてきます。

国家試験に合格すれば安泰な時代は終わりつつあるようです。その話が医師免許にも拡大するだけのことです。

現実にどのようなことが予測出来るかというと、勤務医では横並びの給料が診療科によって変わるということです。市場原理が導入されることが予想されます。小児科・産婦人科など今のところなり手の少ない診療科の給料が上がり、希望者の多い診療科の給料は下がることが考えられます。

そもそも医者の偏在の理由の一つが同じ給料が前提で、診療科の忙しさ・責任の重さが給料に反映されないことです。忙しくても暇でも給料が同じであれば、暇な診療科を選ぶ医者が多いのも仕方のないことだと思います。考え方は共産主義に似ているのではないかと思います。歴史を見ても共産主義は人間の本質には合わず多くが破綻しています。むしろ診療科毎に給料が異なることが資本主義の世の中にあってあると私は思います。実は都会と田舎では田舎の方が給料が高い傾向にはあるのですが、是正されず田舎の医者が減るのはそれでもまだ給料が安いと考える医者が多いのだと思います。

医者が余る時代になると安い給料でも働かざるを得ない状況に陥ります。ましてや簡単に開業など成り立たないようになります。今の歯科医師の開業状況を見ても苦戦ぶりがよくわかります。腕が良くて、人当たりが良くて当たり前、更に何かがなければ経営が難しいのが現状です。歯科医師の場合、経営手腕が問われる状況になっています。どれだけ理不尽な物言いをしても経営が成り立つ医者とは対照的です。この状況が近い将来開業の歯科医のように変わるでしょう。

安い給料で働く医者が出てくれば、逆に高い給料を支払うことも出来ます。医者が不足している診療科は、給料を上げることで人材を確保しようとします。市場原理が働くのです。資本主義では当たり前の市場原理がこれまで働かず、横並びの給料だったことが問題なのです。

既に麻酔科医はアルバイトという形で非常に高い給料を得ています。他の診療科でも需要と供給のバランスから、給料が上下するようになるでしょう。

医師免許があれば無条件で高い給料という時代はもうすぐ終わりを告げるでしょう。遅くとも20年、早ければ10年で診療科による給料の格差は始まるでしょう。経営が成り立たなくなる病院も出てくるので、医者を取り巻く環境は激変するのではないかと思います。人々に予防医学である糖質回避が広まり、患者さんが減り医者が増える時代がやってきます。冷静に給料がどうなるか考えてみてください。自然に考えれば全体的には下がり、一部不足している診療科の給料は上がると私は思います。

具体的な年収の予測は今の医者の平均年収と看護師の平均年収の中間程度に落ち着くのではないかと思います。理由は医者は診療科ごとに診察内容が異なるため、今の歯科医師のような過剰具合にはならないと思うからです。もし私の予測をこえて医者の余り方が急速に過剰になれば、歯科医師のように看護師さんと同程度の給料になる可能性も考えられます。特に一度常勤で雇用すると待遇を変えることは困難なため、新しく雇用する若手の医者の待遇だけが急速に悪化するようになるかもしれません。次の段階として病院の経営が悪化した時点で医者の給料が下がり始めると思います。

予防医学が進みすぎて、医者が全くいらない世の中になることはさすがに私が生きている間には実現しないとは思いますが…。

事実から解釈を読み解く

事実から解釈を読み解くことを考えてみます。事実は事実ですから嘘や偽りがなければ受け入れるしかありません。事実から解釈の仕方を考えるのです。解釈の仕方は人それぞれですが、真実は一つのはずです。

事実に対する解釈は、多くの人は、深く考えずそういうものとして受け入れてしまいます。生まれてから当たり前で生活する上で困らなければ気にしないのです。

例えば重力を考えてみます。物は全て下に落ちます。全ての物が下に落ちるのが当たり前なので、ニュートンが気付くまで引力という概念に気付くとことは出来ませんでした。ニュートン以前は引力は当たり前すぎて認識出来なかったのです。

ニュートンは全ての物が下に落ちるという事実から解釈の仕方を考えました。何故だろうと。当たり前を疑ったのです。

結果としてアインシュタインにより重力で空間が歪むということがわかるまで、力の働き方をわかりやすく説明出来る万有引力の法則を発見しました。ニュートンが気付くまでみんなが同じ現象を見ているはずですが、当たり前過ぎて理屈を考えることが出来なかったのです。

この事実から解釈を読み解くということは、副鼻腔の存在する理由を考えた際に活用しました。事実から解釈を読み解くには「0から思考」が有効です。「0から思考」を行わないと先入観にとらわれてしまって正しい解釈を見つけることが出来ないからです。副鼻腔は存在することが事実です。目的は生存に有利だったはずです。逆に生存に関係がない理屈は存在する理由にはならないでしょう。解釈する際に自然淘汰を生き残った明確な理由を探す必要があるのです。

事実から解釈を読み解くのは「0から思考」の応用法です。例えば人間には体毛がほとんどない理由を考えてみます。人間は猿から分岐して進化したようですから、体毛を捨て去った訳です。これが事実です。体毛の有無が生存に有利・不利があり、体毛が少ない方が生存に有利で生き残る環境だったと考えることが出来ます。ポイントは自然淘汰の仕組みで体毛の多い子孫は淘汰され、体毛の少ない子孫が生き残ったという事実です。体毛が少ない方が有利なのは気温が高く、体温が上昇するような環境が考えられます。人類の進化の歴史を考えると、非常に長い時間をかけて食料を探していたようです。長時間走り回ると体温が上昇するため体毛が少ない方が有利だったのです。体毛があると長時間走り回ることで体温が上昇し、体温が下がるまで動けなくなってしまうのです。動けなくなった時点でライオンなどの肉食動物に襲われてしまうとひとたまりもありません。体毛が少ない方が動くことの出来る範囲が広いため、食料をより多く確保出来ます。こうして体毛が少ない方が子孫を残すパートナーに選ばれやすくなるのです。

現生人類には体毛が少ないことから、自然淘汰の仕組みをキーワードに読み解くと、猿と比較して体毛がなくなった理屈がわかります。

同じ要領で人間には眉毛やまつ毛が存在する事実から、それらが存在する理由を考えてみてください。このことを考える際のポイントは、自然淘汰を生き抜いたということです。眉毛やまつ毛があることで生存に有利な環境を生き抜いたことが考えられます。事実から解釈を読み解く例題として考えてみてください。

英語を話す目的を考える

英語は日本では義務教育でみんなが習ったことになっています。
しかし英語教育の視点が、日本語に置き換えて理解することを目的としているため、中学を卒業してもほとんどの人が話すことが出来るようにはなりません。
英語教育の制度設計をした時点で英語の論文を読んで、西洋の知恵を取り入れることを目的としていたからかもしれません。もしくは日本の英語教師の都合で採点しやすいように、日本語に翻訳するテストを行う結果かもしれません。つまり教師が楽をする目的で日本語に翻訳するテストをしているのかもしれません。

英語を話す目的

英語は言葉ですから人間同士が意思やの伝達をすることが目的です。言葉を発するのは基本的には相手に理解してもらうことが目的てす。あえて相手にわからないかもしれない言葉を選ぶのは暗号の要素を含んでいるのかもしれません。

ある大学で学長が式辞を英語で伝えたそうです。

私は英語で式辞を伝えた学長の目的が気になります。今からの世の中、英語が大切ですと伝えたいのかもしれません。もしかしたら学長が英語を話せることを自慢したいのかもしれません。もしかしたら英語を話せない人間は大学にいらないと考えているのかもしれません。

いずれにしても英語で式辞を伝えたということは、理解出来ない人の問題だと考えているのではないでしょうか?相手に理解してもらうのは説明する側の責任です。このことを説明する側が理解出来ていないのであれば、残念ながら大学としての将来は暗いかもしれません。これから英語の理解が大切だからそのことに気付いてもらう目的で英語の式辞であれば一理はあるとは思いますが。私の想像をこえるような目的で英語による式辞であれば、素晴らしい大学ですね。

建前としての言い訳ではなく、その学長が何を目的として英語で式辞を言われたのか興味があります。

企業内での英語について

幾つかの企業で公用語を英語としているそうですが、部外者からみるとその目的は判然としません。

海外と商談をする目的で英語というのであれば、社内全て英語にする必要はないはずです。英語の方が結論から話すので話が早いからというのも言い訳です。日本語の話し方の工夫で対応出来る話です。日本語でもまず目的・結論を告げてから、その理由を説明する話し方を導入すれば良いだけです。

もしかしたら英語を公用語として使うことで、内外にむけて先進的な企業だと印象っけることが目的なのかもしれません。つまり見せかけだけでも英語を公用語として使うようにしているなけなのかもしれません。

英語が出来ない人を切り落とす踏み絵として、英語を活用しているのかもしれません。

いずれにしても目的が明確でなければ、英語にしても混乱するだけです。建前ではなく、本音で英語を使う目的を伝えることをお勧めします。

日本人を相手にしている企業が英語を公用語とする目的が、理想とズレていないのとを祈るばかりです。

事実から論理・理屈を導き出し解釈し検証する

事実は事実です。
そして事実には必ず理由・理屈があります。
ただし人々が理由や理屈が論理として全て解釈出来るとは限りません。むしろ世の中の多くのこと、もしかしたら大半のことがまだ解釈出来ていないのかもしれません。解釈出来たことだけを使って生活しているので、あたかも世の中よことは全て解釈・理解出来ているかのような錯覚に陥っているのです。

例えば宇宙の起源はビッグバンだと言われますが、それ以前はどうなっていたのか誰も想像すらつきません。重力という静電気力に比較して非常に弱い力があることはわかっていますが、仕組みはまだわかっていません。ようやく波として伝わるらしいことがわかりつつあるだけです。

事実は事実

事実は事実です。
誰かが欺くために用意したものでなければ受け入れるしかありません。そしてその事実に合致する論理・理屈を考えるしかないのです。

信じられないような事実であっても事実は事実です。嘘や偽りだとして検討することなく拒絶する人もいますが、事実であれば無駄なことです。受け入れる受け入れないの問題ではありません。いつ受け入れるかの問題です。

例えばピラミッドという古代建造物があるのは事実です。文明が途絶えたため、目的や作り方は全くわかりません。事実は事実として受け入れ、誰がどのように、どんな目的で作ったのか論理・理屈を考えるしかありません。まず事実ありきです。ちなみにピラミッドの石は、直方体の石に円弧状の木の枠組みを取り付け、円柱型にし石そのものを転がして運んだそうです。実験によると丸太の上を転がすよりはるかに素早く、簡単に石を運ぶことが出来たそうです。円弧状の木枠が発見されたことでわかった事実です。

論理・理屈

かつて天動説から地動説に考え方が変わるのに100年を要したそうです。天動説を信じていた人達が死に絶え、素直に地動説を受け入れた人達が多数派をしめるようになったそうです。当時は情報のやり取りが非常に困難だったため、100年もの月日を必要としただけのことです。そして当時の観測技術では論理的思考の出来る人にしか理解出来ない程度の検証が限界だったからです。天動説を信じている人に衛星写真を見せて、地球が自転していることを見せれば嫌でも信じざるを得なかったと思います。当時はその一目瞭然の検証が出来なかったのです。

検証

論理・理屈の検証は、同じことが再現できるかどうかです。
かつて古代文明では支配者が日食や月食を予言し、自らの神秘性を高めたそうです。理屈が全くわからない古代の人々はさぞ驚いたことでしょう。支配者が太陽や月を隠してしまったと思ったかもしれません。

先程のピラミッドの石の運搬も木枠をつけることで石が運べるかどうか実際に実験しています。円弧にロープを巻きつけて引き上げることでロープを引く力がそのまま回転する力に変換されるため、非常に簡単に石を引き上げることが証明されました。

果物を食べ過ぎて病気になる話

一般的に果物はビタミンが豊富で身体に良い物という印象があります。しかし印象であって事実は異なるようです。果物を食べ過ぎると病気になることがあります。糖質によって引き起こされる病気は、果物を食べ過ぎることでも起こり得ます。

実際に炭水化物をほとんど食べていないとおっしゃる患者さんにニキビやアトピーが認められました。症状と食べておられるものの内容が合いません。よくお話してみると果物は食べているとのことでした。

皮膚の症状を改善する目的で果物を口にされていたのですが、逆効果でした。果物に皮膚病を改善する働きは無さそうです。事実果物をやめられたら症状が悪化することがなくなりました。

糖質による病気は糖質である果物を食べることで起こり得ます。果物は健康のための食べ物という印象がありますが、他の糖質同様に血糖値を上げることで病気を引き起こすようです。果物は他の糖質同様に快楽を追求する嗜好品に過ぎないのかもしれません。

健康のために果物を食べているつもりで、果物のせいで健康を害しているかもしれないのです。果物を含めた糖質を食べ過ぎることで病気が起り得ることを知っておく方がお得だと思います。

皮膚むしり症は簡単に治るかもしれない

先日テレビを見ていると「皮膚むしり症」なる病気のことが紹介されていました。テレビで見た症状からは搔爬した傷に二次感染して治らないだけのようです。アメリカでは自分の意思に反して搔爬し続けることが、精神疾患の一つに分類されるそうです。自分ではやめたいと思っても、皮膚を掻きむしってしまう病気のことのようです。

掻くことを搔爬といいますが、皮膚を搔爬することにより極軽度の快感を感じます。この快感に依存しているのではないかと思います。言い換えると搔爬依存です。

搔爬は痒みに対して行いますので痒みを止めることが一番です。抗アレルギー剤内服・ステロイド剤外用と糖質回避により治すことが出来ます。抗アレルギー剤を飲まなくても、しばらく糖質回避を行うことで改善が期待出来ます。

注意点は搔爬による傷に二次感染をきたしている可能性が高いことです。抗生物質の内服も併用することで劇的に改善するはずです。

治療法

  • 抗アレルギー剤内服
  • 抗生物質内服
  • ステロイド剤外用
  • 糖質回避

特に糖質回避により症状が劇的に改善することが期待出来ます。「皮膚むしり症」とはいえ何もないのに搔爬するわけではないはずです。スタートは痒み・瘙痒感だと思いますので、その痒みを取り除くことです。多くの痒みの原因は糖質の食べ過ぎだと思いますので、糖質回避することで簡単に「皮膚むしり症」を治すことが出来ると思います。

ただし皮膚の掻き傷は二次感染していることが多いので、抗生物質の内服を併用する方が早く改善すると思います。

 

食欲との上手な付き合い方 〜我慢しない方法〜

食欲との上手な付き合い方を考えてみます。
どうしても我慢出来なくて食べてしまうという方もおられます。
我慢しようと食欲と戦うので負けてしまうのです。食欲は人間が生まれつきもっている生理的な欲求(本能)なので、理性で抑えるのには限界があります。

では食欲と戦わないためにはどうすれば良いのでしょうか?食べれば良いのです。人間には生きるために本能として食欲が用意されているのですから。ただし食欲に悩まされているということは、食欲のおもむくまま食べると食べ過ぎているのではないかと思います。原因は糖質依存です。

そもそも人間にも、他の動物同様食べ過ぎない仕組みが備わっています。その仕組みを帳消しにしてしまうのが糖質依存です。依存状態のため自己コントロールが出来ず、食べ過ぎてしまいます。

我慢出来ないこと自体が依存の証拠ですし、そもそも我慢出来ない程の食欲は糖質依存の禁断症状なのです。禁断症状なのですから、糖質依存から抜け出せば我慢出来ない程の食欲はなくなります。だから食欲と戦う必要などないのです。

我慢出来ない程の食欲で悩んでいれば糖質依存です。糖質依存から抜け出せば良いので、糖質を控える(糖質回避)だけで良いのです。タンパク質・脂質はお腹いっぱい食べて良いのです。糖質を避ける知恵さえあれば、食欲と戦う必要などありません。お肉・魚・根菜類を除く野菜は食欲のおもむくままに好きなだけ食べて良いのです。糖質を避けるだけです。糖質を避けていればそのうち食欲は減ってきます。禁断症状ではなくなり、生命を維持するための本来の食欲だけが残るのです。糖質回避をしていると胃が小さくなると感じるのは糖質依存から抜け出せただけのことなのです。

いきなり糖質ゼロにするのは難しい人も多く、糖質の我慢がストレスになってどうにでもなれ効果により反動で大量に食べてしまうようになるかもしれません。おすすめは一食ずつ糖質回避をすすめることです。一食抜いて大丈夫なら二食、二食で大丈夫なら三食抜けば良いのです。そして緩く考えることです。何が何でも糖質制限ではなく、糖質は出来れば避けるという糖質回避が一番です。たまには楽しめば良いのです。ただし注意点は再び糖質依存に陥らないことです。そのことさえ気をつけることで、食欲と上手に付き合うことが出来ます。

遊びに行くのと遊ばされに行くとの違い

以前遊ぶと遊ばされるの違いについて書きました。遊ぶとは自分で考えて遊ぶのですが、遊ばされるとは人の考えた遊び方で遊んでもらうのです。

遊ばされる仕組みは、あらかじめ楽しみが用意されています。楽しくなるように考えてありますが、そのままでは用意された楽しみに飽きてしまうと面白くなくなります。その対策として新しい楽しみを用意することで、飽きない仕組みにより何度でも遊ばされたくなります。こうして遊ばされる施設のリピーターになってしまうのです。

遊ばされる施設では、用意された楽しみしかないので、施設側の用意した楽しみ以上の刺激はありません。得られるものは楽しかったという満足感だけです。自分で遊び方を考える必要がないので、簡単に楽しむことが出来ます。いわば快楽をお金を使って得るだけです。楽しむことが出来ますが、遊ぶ本来の目的を失っていると思います。たまには遊ばされるのも良いとは思いますが、遊ばされてばかりいると考える能力が養われないので、もったいないと思います。

更に遊ばされる施設の目的はお金です。その場で楽しみたいという「衝動買いの心理」を巧みに利用して、楽しみと引き換えにお金を引き出す仕組みが考えられています。

遊ぶとは自分で楽しむツボを探すことです。遊ぶことの出来る施設は、人それぞれの楽しみ方があります。そして人それぞれの気づきがあるのです。少し視点を変えるだけで全く違う遊びになることもあります。違う視点を見つけるのも自分で楽しいことを探す遊びの醍醐味です。

わざわざお金をかけて遊ばされに行くのと、近場でも自分で考えて遊ぶ施設で遊ぶのでは、遊ぶ施設で遊ぶ方がお金の節約・経験と二重の意味でお得だと思います。

説明が長い医者

説明が長い医者という検索ワードで当サイトにたどり着かれた方がおられました。

説明が長いのはただ単に説明が下手なのです。患者さんの求めている情報を的確に伝えることが出来ないため、長くなるだけなのです。患者さんの求めている情報が医者自身がわからないので、短くまとめることが出来ません。あれもこれも伝えないといけないと思い込んでいるのです。伝えるべきことを絞り込めないため説明が長くなるのです。

もしかしたら情報の加工・取り扱いが苦手なのかもしれません。医学部の入試や国家試験では説明能力が問われることが無いため、陥ってしまう落とし穴です。自分が優秀だと錯覚し、説明しても理解出来ないのは患者さん側の問題だと誤解している医者もいます。説明しても相手にわかってもらえないのは、説明側の問題です。

相手の理解度に応じて説明を省略したり、説明を付け加えるようにすることで相手の理解度は高まります。相手の求める的確な情報を伝えることで、短い時間で手短に伝えることが出来ます。説明が長い医者はこれらが苦手なのかもしれません。

実際に出来るかどうかわかりませんが、対策としては必要な情報で無ければ話の途中でも聞きたいことを質問することです。わからないことをわからないまま聞いても時間ばかり過ぎてしまいます。必要ない情報やわからないことを聞いても余り意味がないと私は思います。

グルテンフリーより糖質回避

グルテンフリーで病気が治るという考え方があります。
「いつものパンがあなたを殺す」という本によると様々な病気がグルテンによって引き起こされるとのことです。

糖質による腸管への自己免疫によって腸管が障害され、小麦の中のグルテンに反応しているだけだと私は思います。小麦自体が糖質のため小麦を控えると改善するのでしょう。

そもそも小麦に関わらず糖質回避をすれば、様々な病気が治ります。グルテンを糖質に置き換えて考えてもらえれば、全て正しいと私は思います。

グルテンフリーは糖質依存の方が何とか糖質を食べるために編み出した食べ方です。糖質回避してしまえばグルテンなど気にする必要はありません。

理屈の上では、日頃から糖質を控えていれば、時折グルテンを食べても症状は出ないと思います。

グルテン罪悪説が説得力を持つのは血液検査で違いが出るからです。しかし糖質回避が出来るのであれば、検査の必要すらありません。糖質回避で症状が改善するかどうか試すだけです。