人の落ち度を過剰に責めたい人の心理

人の落ち度や過失を過剰に責め立てる人がいます。その心理を考えてみます。

目的は自分の優位性を示すこと

人の行動には必ず目的があります。明らかな落ち度や過失を責め立てる人にも目的があります。反論出来ない状況で責め立てることで、自分の優位性を示したいのです。お店でモンスターと言われる人達は優位性を示す目的でちょっとした落ち度を過剰に責め立てるのです。目的が優位性を示すことなので、早い段階で話を終息させようとすると満足出来ないため、余計責め立てるのです。モンスターペアレンツと言われる人達も似たような心理です。先生達が言い返せないことをいいことに過剰に責め立てるのです。

過剰に責め立てることで、逆に非難される可能性があることを想像出来ないのです。自分は人を責め立てることの出来る立派な人間だと周囲に誇示する目的だけが独り歩きしてしまうのです。

ネットでは更に過剰に落ち度を追求する人達が現れます。何故なら実社会では何らかの形で個人が特定され責任を取らざるを得なくなる危険性がわずかながらありますが、ネットでは匿名で言いたい放題だからです。ネットでは実際に仕返しされる心配がほとんどないため、言いっ放しで過剰な表現を言いがちです。ネットでは絡んでもらうことが目的で過剰に責め立てる人もいるようです。

対策

過剰に責め立てることの目的は優位性の誇示なので、まともに相手をしないことです。相手をすればする程更に優位性を誇示したくて余計過剰に責め立てるようになります。落ち度は認めた上で謝罪し、話を打ち切ることです。それでも責め立てるのであれば、責め立てる目的を直接聞いてみることです。目的は優位性を誇示したい欲求を満足することとは答えられないでしょうから話が終わると思います。

下手な説明 説明のピントがズレている

説明の下手な人の話し方には特徴があります。その一つは説明のピントがズレているのです。
説明のピントがズレているとは、物事を正確に表さず曖昧な言葉を使っているのです。以前にも書きましたが、

説明のピントがずれているとは?

「御飯を食べなければ多くの病気が治ります」と言った場合、少なくとも2つの意味を含みます。1つは御飯がお米を意味するのか、食事を意味するのかという意味です。更に付け加えると全く食べてはいけないのか、減らせば良いのかもこれらの言葉からははっきりとはわかりません。説明する側はわかっていて説明しますが、聞く側には初めて聞く話であればどの意味かわからないのです。いくつかの意味を持ち合わせ、特定出来ない言い方を説明のピントがズレていると表現します。

写真のピントがずれていると写真がぼやけるのと同じように、説明のピントがずれていると説明している内容がぼやけてしまうのです。聞き手の知識や経験によって受け取り方がいくつかわかれてしまうのです。聞き手が上手であれば曖昧な言葉の意味を聞き出すことでピントを合わせながら聞くことができます。

説明のピントがずれていると、言葉が曖昧なため聞き手に負担がかかります。聞き手の負担とはどの意味で言っているか考えながら聞く必要があるのです。相手と会話しているであればどういう意味か聞き返すことができますが、授業や多人数での会議であれば直接確認することが難しい場合もあります。その都度の確認が難しいと説明のピントがずれているまま、聞き手がどの意味か考えながら聞いて、どの意味合いか特定する必要があるのです。そこまで努力して聞いてくれる聞き手であれば良いですが、聞き手によっては説明のピントがずれていると聞いてもらえなくなってしまうのです。

説明のピントがずれている人は、自分のわかっていることと相手のわかっていることが理解できていないのかもしれません。相手もわかるはずだと思い込んでいるので、自分の説明のピントがずれている自覚のない人も多くいます。説明して相手が混乱している様子を見せる場合には、説明のピントがずれているかもしれないと考えてみるべきかもしれません。説明の中に説明のピントがずれている内容が含まれていると疑ってみることです。

説明する人自身の頭の中で、違いが明確に理解できていないこともあります。その場合にはわざと説明のピントをずらして説明しているのです。わざと説明のピントをずらして話をしている場合、聞き手が説明のピントを合わそうと質問しても、質問に答えてくれません。何故なら明確に区別して説明できないからです。もしかしたら頭の中のピントがずれていると表現するのが適切なのかもしれません。

説明のピントの合わせ方

説明の上手な人は曖昧で聞く側が労力を要する無駄を省くために、最初からピントのあった言い方をします。
「食事をしてはいけない訳ではなく、御飯・お米を食べなければ多くの病気が治ります」と説明します。聞いた側の混乱を減らすことが出来るのです。言葉が曖昧にならないように説明のピントを合わせるようにするのです。

説明の上手な人は、曖昧さを含む説明が気持ち悪く感じるようです。説明した内容が伝わるかどうか相手次第ということが気持ち悪く感じるのです。
そこで曖昧さを失くすために、いくつもの意味が含まれている言葉は一つの意味になるように言い定めるのです。一つの意味になるように言い定めることが困難であれば、別の言葉に置き換えて説明するのです。
「御飯」という言葉は、食事という意味、お米を炊いたものという意味があります。その二つの意味のどちらの意味かを特定する作業を、説明のピントを合わせると表現しているのです。

最初から説明のピントを合わせていると、相手が混乱せずに聞き取ることができるのでより短い時間で説明することができます。伝達効率が上昇するのです。
説明する側が知恵を働かせる必要があるので大変ですが、その知恵と労力のおかげで伝達効率が上昇するのです。

説明のピントを合わせて説明する癖をつけると、何事においても伝達効率が上昇するのでお得です。よかったらお試しください。

まだダイエットの番組が放送されることに驚き

先日テレビをザッピングしているとダイエットの内容の放送がされていました。
不思議なダイエット法が取り上げられ、痩せたという人たちが出ていました。
本質からずれているダイエット法もありそうなので、改めて太る仕組み、ダイエットについて書いておきます。

太る原因は糖質依存

そもそも本来であれば他の動物同様太ることが出来ないはずの人類が太る理由糖質依存です。糖質依存により糖質の摂取量が自己コントロールできないことで、糖質を食べすぎてしまうことが原因です。糖質依存は強い空腹感という禁断症状まであるので厄介です。
太る本質が糖質依存なので、いかに糖質依存から抜け出すかがダイエットの本質です。
様々なダイエット法の多くが、この本質・糖質依存から抜け出すことからずれているから一時はダイエットに成功したとしても、リバウンドしてしまうだけのことです。

糖質依存の抜け出し方

糖質回避により糖質依存から抜け出すことが一番です。一回に食べる糖質の量を減らすより、一食糖質を抜く方が理にかなっています。何故なら糖質依存の方は、少し糖質を食べると余計お腹が空くという不思議な現象が起こるからです。だから少しは食べるより逆に一食抜く方が楽なのです。まずは一食糖質をぬいてみて、身体が慣れてきたら二食、三食と抜いていく方が糖質依存の抜け出し方としては簡単です。つまり一日量では同じ3分の1の減量であっても、3食のうちの1食糖質抜きにする方が、一回当たり3分の1ずつ糖質を減らす(具体的にはいつもはお茶碗一杯を3分の1減らしてお茶碗3分の2にするなど)より楽なのです。一回当たり3分の1ずつ糖質を減らすと余計食べたくなってしまう食欲と闘う必要があるので、失敗しやすいのです。

次に食べるとき糖質をやめられない場合でも糖質依存から抜け出すことができる可能性を考えてみます。
糖質依存は血糖値が一時的に急上昇することで生じる可能性が考えられます。
逆に血糖値が急上昇しない食べ方をすれば、糖質を食べていても糖質依存から抜け出すことができる可能性があります。例えば肉・魚・野菜のおかずをある程度食べてからご飯などの糖質を食べるという食べ方(参考:食べる順番で痩せることのできる理由)や、同じ食事量であっても少しずつ頻回に食べる方が血糖値の一時的な急上昇が避けられるため糖質依存から抜け出すことができる可能性があります。
糖質依存から抜け出すことができれば、太る原因がなくなるので痩せることができるのです。

お腹いっぱい食べても痩せることができる

糖質依存が肥満の原因ですから糖質を食べなければ、タンパク質・脂質はどれだけ食べても痩せることができます。糖質依存により糖質に騙されて食べ過ぎることが肥満の原因なのです。ダイエットが失敗する理由の多くは食欲と闘おうとするからです。糖質回避の考え方は食欲とは戦いません。何故なら闘う必要などなく、おなか一杯たべても痩せることができるからです。糖質を避けるという知恵一つでお腹いっぱい食べても痩せられるのです。他のダイエット法を試すのは、アクセルを踏みながらブレーキを踏んでいるような状態です。アクセルを踏みながらブレーキを踏んでも止まらないことを知っている人から見ると、止まらず悩んでいても滑稽に見えるだけです。糖質を食べながらダイエットをしていても滑稽に見えるだけです。ましてやお金をかけてダイエットをするのは、非常にもったいないと私は思います。糖質をお金を出して買って食べ、ダイエットにもお金をかけるからです。

糖質依存から抜け出した確認

糖質依存から抜け出すことのできた簡単な確認方法を提案します。
糖質回避をしていると胃が小さくなったように感じ、あまり食べられなくなります。そのことからも糖質依存から抜け出せたことがわかりますが、糖質依存から抜け出すことができた明確な確認方法は禁断症状である強い空腹感を感じなくなるかどうかです。
空腹を我慢しているとピークをこえる不思議な感覚を味わうことがありますが、そのピークをこえることが禁断症状の証拠です。糖質依存から抜け出すと、ピークをこえた後の空腹感しか感じなくなるのです。大してお腹が空かなくなるので食に対する拘りもかなり薄れます。結果として食べる量そのものが減るので簡単に痩せられるのです。

糖質は食べても大丈夫

糖質は猛毒な訳ではありませんから、食べても大丈夫です。
ただし糖質の食べ方には注意が必要です。
再び糖質依存に陥らないことです。一度糖質依存から抜け出すことができても、再び糖質依存に陥ることでリバウンドしてしまうからです。
糖質依存の本質は体の条件反射だと思うので、何度も続けて繰り返していると条件反射をするようになるのだと思います。例えば週末だけ糖質を食べるとか、週1・2回食べるという食べ方であれば糖質依存にはなりにくいと思います。

糖質を食べたくなって我慢できなくなってしまったら、糖質依存の可能性がかなり高いと思います。再び糖質回避をされることがおすすめです。

各種ダイエットと糖質依存の回避法とのずれ

各種ダイエット法が糖質依存の回避法に準じているかずれているのか確認してみましょう。
ずれていれば短時間のダイエットには成功しても1年後にはリバウンドしていると思います。
糖質依存の回避に役立つダイエット法であれば、1年後にリバウンドしていることはないと思います。
糖質依存の知恵を身につけていれば、各種ダイエット法を見ていると成功するか失敗するかが大体わかるようになります。失敗するはずなのに痩せたというのは偶然か他の痩せる要素が隠されていることがわかります。
ぜひ糖質依存の知恵を身にみにつけてみてください。

医者が商売人であるという視点で俯瞰する

一つの視点の提案です。
医者が商売人であるという視点で俯瞰する(鳥のような視点で上から客観的に眺める)ことを提案します。商売人であるという視点で医者を見ることがないのではないかと思い書いてみます。

勤務医の場合

勤務医は商売人ではないと錯覚してしまいますが、実は病院によっては売り上げを求められているのです。そのため念のためと称して入院を勧めたりするのです。念のための前に売り上げのためにという言葉が省略されているのです。決して患者さんのためだけを思って入院を勧めているわけではないこともあるのです。
以前は売り上げや収支ということは民間病院では求められていたものの、最近では公的病院でも求められるようになりつつあります。何故なら独立採算のため赤字になることは避けなければいけないからです。そのため経費の削減だけでは経営が成り立たないため、経営陣も売り上げを医者に求めるのです。
良性疾患で手術をしきりと勧める医者は、医者自身が手術したいだけではなく病院から売り上げを求められているのかもしれないのです。

開業医の場合

開業医がある種の商売人であることは間違いありません。何故なら開業医は患者さんを診療して得た収入から、家賃や光熱費・従業員の給料である人件費など必要経費を支払った残りが自らの収入になります。医療法人の医師は勤務医と同じで給料として収入を得ます。
個人経営の場合、いくら志の高い患者さん思いの医療を行って赤字になっても、誰も補てんはしてもらえないのです。どの程度患者さんのことを考えて医療を行うか、自分の利益のことを考えて医療を行うかは医者のモラル・良心に任されているのです。
本来であれば患者さんの治療・病気を治すことを最優先するべきですが、一部の医者は儲けるために患者さんに無駄な薬を処方するのです。一応論文などで裏付けはされている薬ですが、その論文は製薬会社がスポンサーとなって出された論文で広告のような論文を根拠に処方を続けるのです。薬を長く飲む方が良いという論文により、医者も製薬会社も儲かるのです。医者の中には製薬会社の持ってくる広告のような論文しか読まない医者もいるようです。

お金を儲けることが目的の開業医は病気を治さない方が儲かるため治す気はありません。病気を改善する方法が見つかったとしても、わざわざ収入を減らしてまで患者さんに教えようとはしないのです。

お金儲けだけ考えている医者はごく一部です。逆に経営のことを考えていない開業医もごく一部です。ある程度は経営のことを考えざるをえないのですが、儲けだけが目的の医者は受診されないことがお勧めです。儲け主義の医者かどうかの見分け方は怒るかどうか待ち時間です。患者さんの病気を治すことを目的とした開業医の先生を探してみてください。

医者の言動が理解できない場合

医者の言動が理解できない場合、もしかしたら儲け主義かもしれないという視点で俯瞰して読み解いてみてください。あっさり納得できる言動かもしれません。
他にも医者の言動で理解できないのは、医者自身が偉いと勘違いしている場合、説明しても理解できないのは患者さんが悪いと勘違いしている場合などです。それらのことはまた機会がありましたら改めて書きたいと思います。

 

計算問題は出来ても文章題が出来ない一つの理由

算数がわからなくなるのはある理由があります。計算問題は解くことが出来ても、文章題を解くのが苦手な人がいます。計算問題は解ける訳ですから計算が出来ない訳ではありません。つまり計算式が立てられないのです。その理由を考えてみました。

計算式の意味がわかっていない

大人は当たり前に計算式を立てることができるため、子供が計算式の意味を理解していないこと自体が理解できないのです。
当然学校では計算式を立てる意味を順序立てて説明しているのですが、意味を正確に理解できないまま何となくこんな感じという程度の理解で授業が進んでしまうのです。
先生も含めて大人は何気なく当たり前に文章題から計算式を立てるので、その仕組みを理解しなければ立てられないことが理解できないのです。
つまり先生も含めた大人は計算式は立てられて当たり前で、わざわざ計算式の意味を教える必要などないと思っています。子供は答えが出ればよいというクイズ問題を解いているのと同じような感覚で問題を解いています。物事の意味を計算式に変換するという意味をを知らないのです。この大人と子供の齟齬のせいで子供が問題が解けないことが大人には理解できないのです。子供は子供で式を立てる意味が理解できていないので、どうしてよいかわからず混乱してしまうのです。

言葉の計算式を立てる

まず言葉の計算式を立てることを提案します。

具体的に例題を元に説明してみます。
A君がみかんを5個食べました。B君はみかんを3個食べました。みかんは2個残っています。
最初にあったみかんは何個ですか?

ここで
5+3+2=10

答え10個と答えるのは簡単です。
しかしこの式を立てることが難しい子供もいるようです。
意味もわからず最初に出てきた数字をとにかく足すということだけ理解する子供もいます。
そうなると数字が変わっただけの問題は解けますが、ほかの文章題では全く解けなくなってしまいます。

ここで言葉の計算式を立てることを提案します。
大人は当たり前に理解していることをあえて式として見せて理解を促すのです。

食べたみかん+残ったみかん=最初のみかん

食べたみかんは?と食べたみかんを分解してみます。

A君の食べたみかん+B君の食べたみかん=食べたみかん
つまり

食べたみかん+残ったみかん=最初のみかん
(A君の食べたみかん+BB君の食べたみかん)+残ったみかん=最初のみかん

と書くことができます。
この言葉の計算式に数字を当てはめると数字の計算式になります。

5+3)+2=10
このように言葉の計算式をまず書いてから、数字の計算式を書くようにすると理解できるお子さんがいます。
もしよかったらお試しください。

賢さは言葉の選び方でわかる

人の賢さは言葉の選び方に現れると私は思います。
受験における偏差値の値が頭の良さを表していると誤解している人がいますが、間違っています。偏差値が頭の良さを表すとは限らないのは、偏差値は記憶力とその使い方をテストしているに過ぎない、テストを解くテクニックにより上下すること、すべての人が最大限努力した訳ではないなどです。これらのことにより必ずしも偏差値が頭の良さを表すとは限りません。世間一般で偏差値が頭の良さを表す指標とされているのは、他に数値化できるような適切な物差しがないため次善の策として代用しているに過ぎません。仕方なく代用していることを知らない人は、偏差値が高い人こそが頭が良いという錯覚に陥っています。

賢さは言葉の選び方わかる

私は人の賢さは言葉の選び方でわかると思います。
その場その場に応じた言葉を選ぶことで相手に納得してもらったり、相手に気付きを与えたりすることができます。時に笑いを誘うことができるのです。
逆に失言する人は相手がどのように受け取る可能性があるのかという想像力が足らないのです。言い換えると賢さが足らないのだと思います。失言した人は後で仕方なく言い訳をしますが、そもそも思慮が足らないことが多いので何故人に指摘されるのか理解できないことも多々あります。

説明の上手な人

説明の上手な人は言葉の選び方が適切で賢いと私は思います。相手の元々持っている知識を推し量り、相手にわかる言葉を選んで相手のわかるように説明することができます。相手の理解できる言葉を選ぶことができるのです。賢い言葉の選び方の一つに曖昧な言葉を明確に区別して使い分けることがあります。例えばご飯という言葉一つとっても、お米を炊いたものという意味もあれば、食事という意味合いもあります。『ご飯を食べないように』という一言でも、『お米を食べないように』と『食事をしないように』と明確に区別するです。思慮が足らない人は、一つの意味で思い込んでいるので『ご飯を食べないように』と伝えれば、『食事をしないように』という訳がないからお米のことだとわかるはずだと思い込んでいるので『ご飯を食べないように』という言い方をします。つまり考えればわかるでしょと高をくくっているのです。賢い人はそもそも誤解されると損なので、相手が考えないといけないような言葉を選びません。相手が考えなければ伝わらない言い方は伝達に時間がかかり、受け取り方が人によってことなることが時間の無駄だと知っているのです。賢い人は相手が誤解する隙をなくすような説明の仕方をします。誤解する余地のない言葉を選ぶことができるのです。

言葉の凝縮について

説明の上手な人の賢い言葉の選び方の一つは、言葉を凝縮して伝えることです。人は多くのことを話すと論点が曖昧になり物事が伝わらなくなります。そこで説明の上手な人は相手に伝わるように言葉を凝縮して伝えようとします。物事が伝わるように言葉を凝縮出来ることこそが言葉の選び方の最たるものだと私は思います。相手に驚かれるく程の凝縮した一言を伝えることができるかどうかで、賢さがわかると思います。大袈裟に話すとか嘘をつくなど物事の本質からずれた驚きを与えるのは論外ですが、本質をつく一言に凝縮できる人は賢いと思います。更にそれを前もって時間を考えて凝縮するのではなく、瞬時に言葉の凝縮を行える人はかなり賢いと私は思います。
言葉の凝縮とは、言いたいことを考え抜いた一言で伝えるのです。
ちょうど選挙公約やマニュフェストのようなものです(これらは嘘・偽りや努力目標のような意味合いがありますが・・・)。

言葉の凝縮の利点は伝えたいことが、瞬時に伝わることです。
多くの言葉を使って話をする間に、多くの言葉を使えば使うほど言いたいことが曖昧に薄れていくのと対照的に、言葉を凝縮すると瞬時に伝えることができます。
逆に瞬時に伝えることのできる言葉の選び方ができる人こそが賢いと私は思います。
ちなみにテレビでは回りくどい言い方をすることが多いのは、伝えることが目的ではなく長く見てもらうことが目的のためCMまでの場つなぎをしなければならないからです。
言葉を選んで短くまとめてしまうとCMまでの間がもたないため、時間稼ぎをするような話し方になってしまうようです。時間に応じて話し方を変えることのできる人は、言葉の凝縮ができる人よりも更に賢いと私は思います。

お笑い芸人の場合

例えば何もないところから笑いを生み出す、お笑い芸人は瞬間的な言葉の選び方により笑いを作り出すことができます。何もないところからみんなの笑いを誘う一言を瞬時に選び出すことができるのです。コンテストで優勝した漫才師やお笑い芸人が一発屋で終わるか、総合司会(MC)を出来るようになるかはこの言葉の選び方ができるかどうかです。一発屋で終わる人は何か月もかけてネタを練り上げて、言葉を選び・凝縮することには長けていますが、瞬間的な笑いを誘う言葉の選び方が出来ないのです。ちなみに今ではよく使われる天然とは、狙って笑いを誘うことに対して、何も考えず素の状態で笑いを誘うことから天然と言われるようになったそうです。言い換えれば天然とは笑わせているのではなく、笑われているだけということです。

言葉の選び方で賢さがわかってしまう

幸い今のところ偏差値のように言葉の選び方で賢さが数値化されることはありません。しかし言葉の選び方の上手・下手で賢さは相手にわかってしまいます。数値化はされないものの誰と誰を比べればこちらの方の言葉の選び方の方が適切という相対評価はできてしまいます。つまり偏差値のような絶対評価(全員が偏差値試験を受けていないなど各種理由により正確には絶対評価ではありませんが、数値化できる点で疑似絶対評価とみなすことができるという意味合いです)は今のところできないものの、相対評価はできるのです。
原稿を読むのでは賢さはわかりません(そもそもその人が書いたかどうかもわからないため)が、原稿のないフリートークをすれば言葉の選び方で賢さは比べることができるようです。

音声認識の精度が上がり人工知能が発達すれば、言葉の選び方から賢さをはかることのできる時代がやってくると思います。言葉の選び方から賢さを数値化できる時代がくると思います。恐らく100年はかからないと思いますので、言葉の選び方を磨くことをお勧めします。

狭義の糖質依存症と広義の糖質依存症

糖質依存症とは糖質依存(診断基準あり)による病気の総称のことです。糖質依存という概念を理解することで、それに伴う症状は容易に理解することが出来ます。例えば肥満は糖質依存による糖質の過剰摂取が原因であり、典型的な糖質依存症の一つです。

糖質依存

糖質依存とは糖質を食べることに依存してしまい、糖質に対して自己抑制出来ないことをいいます。糖質依存は比喩的な意味ではなく、診断基準を満たす程多くの人が依存しています。糖質依存により過量摂取してしまうことで生じた症状を糖質依存症といいます。

糖質依存には強い空腹感という禁断症状があります。この禁断症状のために、つい食べてしまうためなかなか糖質依存から抜け出すことが出来ません。

糖質を少し食べると余計お腹が空くという不思議な感覚も糖質依存の一症状です。恐らく少しの糖質に対して更なる糖質に備え身体が条件反射を起こし、必要以上のインスリンが分泌されることで血糖値が下がるためお腹が余計空くのだと思います。条件反射によるインスリンの過量分泌こそ糖質依存の本質を表すものです(まだ証明はされていないので、今の所一つの仮説です)

お腹いっぱいだと思ってもお茶漬けや雑炊なら食べることが出来たり、甘い物だと更に食べることが出来るのも糖質依存により脳が騙される結果です。胃袋の大きさからすれば10でお腹いっぱいに感じるはずが、糖質依存により脳が騙されると12・13と食べることが出来るのです。逆に糖質依存から抜け出すと、胃が小さくなると感じるのは糖質依存により脳が騙されなくなるからです。

糖質依存により糖質を食べ始めるとやめられなくなります。タンパク質や脂質ではこのようなことは起こりにくく、糖質だけの特徴のようです。

狭義の糖質依存症と広義の糖質依存症

糖質依存症には糖質そのものが引き起こす狭義の糖質依存症と、糖質を食べ過ぎた結果二次的に症状を引き起こす広義の糖質依存症があります。糖質が直接関連するのが狭義の糖質依存症、間接的に関連するのが広義の糖質依存症です。

狭義の糖質依存症

糖質依存により糖質を食べ過ぎたことで直接健康を害するものを狭義の糖質依存症と定義します。肥満や2型糖尿病が狭義の糖質依存症に該当します。

肥満は糖質を食べ過ぎた結果、使い切れなくなった糖質を脂肪として蓄えます。他の動物と同様に、本来なら人間にも太らない仕組みが備わっているはずです。一定量食べると満腹で食べ過ぎることが出来ないのです。その仕組みをすり抜けてしまうのが糖質依存の心理です。脳が糖質に騙されて食べ過ぎている状態です。ちょうど甘い物は別腹という別腹こそが、糖質依存症で脳が糖質に騙されて、満腹感をおさえて過剰摂取してしまうのです。

2型糖尿病は血糖値が下がらなくなってしまう病気ですが、そもそも糖質を食べなければ血糖値は上昇しないのです。糖質依存による頻回の糖質の過剰摂取により、膵臓から分泌されるインスリンに反応しにくくなるか、インスリンが出なくなるため血糖値が下がらなくなります。糖質を食べなければ、血糖値が上昇しないので2型糖尿病にはなり得ないのです。紛らわしいのは、同じ量の糖質でも症状の出る人と出ない人がいることです。そのため糖質が原因ではなく、体質だと誤解されたのです。どの程度まで耐えることが出来るかは遺伝性のある体質ですが、そもそも糖質を食べ過ぎなければ2型糖尿病を発症することはなさそうです。

広義の糖質依存症

広義の糖質依存症とは糖質依存により糖質を食べ過ぎた結果引き起こされる病気全てを指します。まだ因果関係は証明されてはいませんが、糖質を控えることで治る病気は全て糖質依存症なのかもしれません。免疫が関わる原因不明の病気は全て糖質依存症の可能性が考えられるのです。糖質が厄介なのは食べ過ぎた結果、人によって免疫不全も過剰免疫の両方を引き起こすことです。

各種アレルギーは恐らく糖質依存症でしょう。糖質回避により簡単に治る自己免疫性疾患も糖質依存症の一種だと思います。そもそも私は各種アレルギーと自己免疫性疾患は同一の病態だと思います。ニキビイボなどの慢性感染症も糖質回避で治りますので、糖質依存症の一種だと思います。これらは改善例があるので間違いないと思います。

まだ仮説の域を出ませんが、悪性疾患も糖質依存症の可能性が考えられるのです。慢性感染症は糖質により狭い範囲の免疫不全を引き起こされた結果であるのは間違いなさそうです。であれば悪性腫瘍に対する免疫不全が起こったため、悪性腫瘍を免疫で抑えきれなくなり発症した可能性が考えられるのです。悪性腫瘍が出来てしまった場合、完全糖質回避を試してみる価値はあふと私は思います。少なくともウイルス感染により引き起こされる子宮頸癌は、糖質回避によりウイルス感染対策が出来る可能性があります。子宮頸癌の検診で異形成でお悩みでしたら、糖質回避がお勧めです。これまでのデータでは1日1食は糖質を食べても2食は糖質を食べなければ、改善が期待出来ます。糖尿病で内服治療中や、肝臓病、腎臓病などでタンパク質制限がなければお試し頂ければ幸いです。上記治療中でしたら主治医の先生と相談されることをお勧めします。

広義の糖質依存症には高血圧も含まれます。高血圧は塩分の摂り過ぎにより発症します。2型糖尿病が糖質を食べなければ発症しないように、高血圧は塩分を全く摂らなければ発症しない可能性があります。とはいえ塩分は味付けだけでなく食材そのものにも含まれているので、完全にゼロには出来ません。しかし味付けをせずに食材を食べるようにすれば、恐らく高血圧は治ると思います。現実に味付け無しで食事出来るかどうかは別問題ですが、理屈の上では成り立ちそうです。塩分は糖質を摂る際に身体が求めます。糖質の持つ甘みを打ち消す目的で塩気を求めるのです。糖質依存により糖質を食べ過ぎる際に、甘味を打ち消す塩分を摂り過ぎた結果塩分依存を発症します。特に高血圧は塩分依存症なのかもしれません。糖質依存と塩分依存の共依存により発症しているのです。糖質回避をすることで糖質依存だけでなく、塩分依存から抜け出すことが出来るので、塩分を身体が求めなくなります。味覚が変化するのです。

知らないだけでまだ他にも糖質依存症は沢山あるのかもしれません。もしかしたら糖質依存症かもしれないという視点で病気をみてみましょう。少なくとも原因不明だとされている病気は、糖質回避で治るかどうか試してみる価値はあると思います。特に病気に何らかの免疫が関わっていれば糖質依存症の可能性は十分あると思います。もし私を信じて頂けるのであればお試しください。

ミスは個人の問題ではなく、システムの問題

人間はヒューマンエラーをすることがどうしても避けられません。ヒューマンエラーをしないように気をつけるという対策は、頑張った振りはするけど結局何もしないことと同じです。

ヒューマンエラーをしないように気をつけるのではなく、ヒューマンエラーを出来る隙を無くすのです。

例えば何かのスイッチを押す場合を考えてみてください。何も対策が無ければ、人が間違いがないことを確認する必要があります。見間違いや勘違いなどで判断を誤ると間違ってスイッチを押してしまう隙があるのです。ヒューマンエラーを無くすために、予めスイッチのボタンを取り外し、第三者が確認しスイッチのボタンを渡す仕組みにすると間違いでスイッチを押すことが出来ます。ちょうど鍵により確認するのと同じ仕組みです。絶対に間違いがあってはいけない核兵器では何重にも確認する仕組みがあるはずです。

ミスの捉え方

ミスをした人がいても怒ってはいけません。何故なら怒ったところで時間を巻き戻すことは出来ないからです。いい加減な対応をした結果、ミスをしたとしてもそもそもミスをする隙があったのです。システムの設計ミスです。ミスのプロセスを見極め、再発防止策を作るのです。ミスをしたくてもミス出来ない仕組みにするのです。先程の例えで言えば、うっかりスイッチを入れてしまうことを防止するならスイッチのボタンを外しておくなどです。航空機はヒューマンエラーが重なると墜落してしまいます。絶対にあってはならない燃料切れで墜落したことも何度かあるのです。ヒューマンエラーが重ならない仕組みを考え出して、飛行機は安全に飛んでいるのです。

仕事でうっかりミスがあったからといって、ミスした人を責め立てても何も解決しません。むしろミスを隠そうとしてしまいます。ミスをする隙を無くすのです。例えば会議に必要な資料の持参を忘れていたとします。万が一忘れていることが発覚してもまだ間に合う時間のうちに、持参しているか確認するのです。あるいは前もって会議室に届けておく仕組みを作るのです。ミスを責め立てるよりも、ミスを無くす仕組みを考える方がより効率的です。

ヒヤリハット

病院で取り入れられているヒヤリハットは、ミスの防止策を見つける手段として有効です。事故には至らないもののヒヤリとするとこやハットすることを元に、大事故にならないように未然に防ぐ対策を立てるのです。人の命が関わる病院ならではの考え方です。ミスをする隙を無くす目的で、危ないと気付いたことの要素を取り出し、ミスを起こせないように改善するのです。

個人を責め立てても、何も生み出さないのです。むしろ隠そうとする分、個人を責め立てることは失うものの方が多いので損です。

再発防止策はどうするのかを考えるのです。

待ち時間の長い病院には行かない方がお得

待ち時間が長い病院には行かない方がお得です。何故なら自分の時間が待つ間に無駄になりますし、そもそも待ち時間が長くなる仕組みをわざと作っている可能性があるからです。ちょうど人気のラーメン屋さんなどで行列が出来ると話題になるのと同じような理屈です。行列で話題だから食べに行ってみると、ただ単に手際が悪くて捌き切れず行列が出来ているだけということがあります。

待ち時間が長くなる仕組み

病院で待ち時間が長くなる仕組みとは、頻回に再診を求めるなどです。患者さんのことを心配している風を装って、診療報酬・売り上げ・稼ぎのために再診を求めているだけかもしれません。稼ぎが目的の医者の特徴は再診しないと患者さんを怒ります。その癖待ち時間を短くする対策はとりません。自分の人気が高いから待ち時間が長くても仕方ないと自惚れているのかもしれません。もしかしたら待ってでも自分の診察を受けたいんだろ?という歪んだ心理が潜んでいるのかもしれません。そんな心理が潜んでいれば、電話での予約はもちろん予約システムを導入する訳がありません。何故なら待ち時間に耐えることの出来る人を選ぶ目的でわざと待たせている可能性があるからです。

診察時間が長い?

説明が下手な医者も診察時間が長くなり、待ち時間が長くなります。説明が的を射ているわかりやすい説明であれば、一人一人の診察時間が短くて済むので待ち時間も短くなりす。待ち時間が長い医者は、説明が下手な可能性が考えられるのです。

待ち時間が長い原因が回りくどい説明のせいで、患者さんが理解しにくいので診察時間が長引くのです。わざわざ長い時間待ってまでわかりにくい説明を聞かなくても良いと思います。

待ち時間に対する勘違い

待ち時間に対する勘違いを医者も患者さんもしている可能性が考えられます。待ち時間を医者の腕や人気のバロメーターだと誤解しているのです。待ち時間が長ければ腕が良いとか、人気が高いと勘違いしているのかもしれません。

説明が下手で納得してもらうのに時間がかかっても、手際や要領が悪くても待ち時間は長くなります。

むしろ待ち時間が長ければ長いほど、医者が儲け主義の可能性が考えられます。

患者さんが待っても医者は困らない

患者さんの待ち時間が長くなっても、直接医者は困りません。困らないから改善する工夫をすることがありません。待ち時間が長いと苦情を言っても、自惚れている医者は、それだけ待っても診察受けたいでしょ?と暗に褒められたと錯覚するので逆効果です。

待ち時間を減らす対策を取らない時点で、人の痛みがわかる医者とは思えません。その意味でも待ち時間が長い医者には行かない方がお得です。

良心的な医者

患者さんの負担を考えることの出来る医者は、そもそも頻回の再診を求めたりしません。必要最低限の受診を提案するだけです。だから待ち時間が伸びることはありません。

待ち時間が少ないのは、患者さんの立場を考えた結果待ち時間を減らす対策をしているのかもしれません。

もし万が一満足のいかない診察だとしても、待ち時間が短い分諦めもつくのではないでしょうか?

待ち時間の長い医者をわざわざ受診するのは、様々な意味でもったいないと私は思います。

妊娠中の高校生に体育の実技強要に思う

妊娠中の高校生に体育の実技を強要したことが発覚し、問題になっているようです。女性は16歳を過ぎれば結婚可能なわけですから、高校生が妊娠することは十分ありえる話です。

妊娠中にも関わらず体育の実技を強要したのは、配慮不足では無く退学してもらうことが目的ではないかと思います。

高校の教師は生徒が妊娠したことを受け入れることが出来なかったため、やめさせられる目的でわざと実技を強要した可能性が考えられます。実技が嫌なら辞めれば良いと考えたのではないかと思います。

少なくとも生徒のことを思いやる気持ちは無かったのではないかと思います。

同級生との卒業は諦め休学し、幸い無事出産されたそうです。

恐らく教師は後々問題になるとは考えることなく排除しようとしてしまったのではないかと思います。学校では生徒は教師には逆らえませんから、教師が権力者のように振舞ってしまったのでしょう。古い価値観からすると高校生が妊娠・出産というのは受け入れがたいのかもしれません。情報源を私は知りませんが、SNSで誰でも世界にむけて発信出来る時代だということを教師達は読み誤ってしまったのでしょう。

様々な価値観を受け入れ、対応が迫られる時代になりつつあります。