騙す人と騙される人 どっちが悪い?

性善説と性悪説なんて意味がないに引き続き、善悪について考えてみたいと思います。

世の中には人を騙しても平気な人がいます。騙すことを商売にしている詐欺師の方々だけでなく、日常生活において自分が有利になるためにちょっとした嘘で人を騙す人がいます。

人に嘘をついて不快な思いをさせることは好ましいことではありませんし、当然人を騙して利益を得ることは犯罪ですからやってはいけません。今の世の中では犯罪を犯すと捕まることを抑止力として、犯罪を防止しようとしています。逆にそのことが誤ったメッセージとして受け取っている人達がいます。捕まらなければ犯罪を犯しても良いと考える人達です。嘘をついてもバレなければ嘘にならないと考える人種もいるようです。

嘘つきや犯罪者を擁護するわけではありませんが、自然界を通して騙すと騙されるを考えてみたいと思います。

自然界では騙すと騙されるの勝負は騙したものが圧倒的に勝ちです。騙された生き物は騙したことを責めたくても、騙した生き物に食べられて既にお腹の中です。自然界では騙されないように気をつけるものであって、騙しては駄目という価値観はどうやら人間界だけのようです。

だからといって騙された人が悪いと主張するつもりはありません。ただ自然界において騙されることは即死を意味しますから騙されないように必死です。騙されて不快な思いをしたかもしれませんが、自然界の動物のように命までとられなくてよかったと考えることもできます。
そして自然界の動物から学ぶことは、如何に騙されないように気を付けるかということです。

実はある種のお猿さんは嘘をつくそうです。
(参考文献:現実を生きるサル 空想を語るヒト―人間と動物をへだてる、たった2つの違い
エサを見つけた際、敵が来た鳴き声を上げて仲間が逃げ出した間に自分一匹だけエサを食べるそうです。つまりエサを独り占めするために敵が来たと嘘をつくそうです。仲間がかえってきて、一匹だけでエサを食べていることを責められるかというと責められないそうです。
いわば一番知恵があるのが嘘つき猿なのかもしれません。
どうやら嘘を見抜けるのは知恵のある人間だけのようです。
人が嘘をついてしまうのはまだお猿さんの名残なのかもしれません。

騙された後で騙した人を責めてもお互いが嫌な思いをするだけです。
(騙した人は覚悟の上かもしれませんが)
騙されてお金を奪われてしまうと、そのお金の多くが返ってきません。自然界で騙されて一度奪われた命が二度とかえってこないように。
騙す人がいる以上騙す人がいなくなるまでの間は、人間界で生きていくには騙されない知恵を身に着けるしかないのではないかと思います。

騙されないためには本当かどうか確認することです。
例えば糖質回避でダイエットできるとこのサイトでは書いていますが、本当かどうかはご自分で確かめてみることです。
インターネットの発達のおかげもあって、様々な情報が飛び交っています。
その情報の真偽(正しいか嘘か)を確認することが大切です。
この呉からの風が真偽を確かめる一助になることができれば幸いです。

性善説と性悪説なんて意味がない

性善説と性悪説という考え方がありますが、私は意味がないと思います。
理由は二つです。

人はいつも同じ行動をするとは限らない

一つ目の理由は人はその時その時で一般的に良いとされる行いも、一般的に悪い行いもする存在だからです。いつもは良い人がつい出来心ということもありますし、いつもは悪いことをしているのに仏心で良い行いをすることもあることは、出来心と仏心という言葉が存在することが証明しています。

善悪自体が曖昧

二つ目の理由は善悪自体が強者と弱者・多数派と少数派ということによって左右されるからです。人を殺すことは一般的には悪とされますが、戦時にはより多く殺すと英雄として扱われます。時代や状況、取り巻く環境により善悪は簡単に変わってしまうのです。

自分は善人と思い込んでいる人の理屈

元々性善説と性悪説は、自分は善だと思い込んでいる人の考え出した理屈だと思います。人を殺すこと一つとっても、状況によって善悪の判断が分かれるのです。つまり善だと思っていたことが悪に変わることだってありえるということです。その曖昧な善悪を生まれつきの性善説と性悪説と分けても意味がないと思います。

善悪の概念自体が絶対的なものではなく、相対的なものだということを意識すると、新しい感覚を身につけることが出来るかもしれませんね。

誰の都合? 企業?お客さん?

物事には色々な都合があって今の形に落ち着いています。

生物は様々な自然淘汰を生き残ることで今の形態に辿り着きました。自然界の都合に合わないものは淘汰されてしまうことで、絶滅してしまい化石として存在が確認できるだけです。

自然界では自然の都合に振り回されながらも、何とか適応できた生物だけが生き残ることが出来ます。

企業が自分達の都合を押し付けていても生き残ることが出来るのは競争相手がいなかったからだと思います。

例えばコンピューターは機械の使い方を知っている者のみが扱うことの出来る仕組みでした。いわば企業の都合で作ったコンピューターの作法に従うことの出来る者だけ、扱うことが許されるというものでした。競争相手がいない時は従うしかありませんでした。

そこに作法を身につける必要のない、直感的に誰にでも扱えるコンピューターが出現しました。5歳の子供でも直感的に扱えるもので、正にお客さんの都合に合わせた商品でした。慌てて直感的に操作できるように、お客さんの都合を考えるようになりました。

1人の天才の出現でコンピューター業界は企業の都合からお客さんの都合にシフトしましたが、まだ誰の都合に合わせて商売するべきか気付いていない業界が多いのは残念に思います。

自然界における生物と自然の関係と経済における企業と消費者の関係がダブって見えます。

気付いている企業の業績は伸びていますし、気付いていない企業はどうしたら良いのかわからず混乱しているようですね。様々な決断が誰の都合か考えると簡単に答えが出ると思うのは私だけででしょうか?

 

誤解に関して

何事にも意図せぬ勘違いを元にした誤解はつきものです。今の世の中では誤解したら誤解した方が悪いと考えている人もいるようです。

しかし私は21世紀の企業や人は誤解する隙を与えてしまったと考えることで、もう一段上のステージに上がることができるのではないかと思います。

例えばホームページで何らかの告知をした場合、こちらの意図しない解釈をされたお客さんがおられたことを想像してみてください。こちらはいわなくても当たり前と考えたことが、ホームページを見られた方にとっては当たり前でないので意図していない解釈があり得るのです。私は誤解を与える隙があったと考える方が良いのではないかと思います。

そういう解釈があり得るなら、誤解を生じ得ない適切な表現に改めるべきだと思います。

誤解する方が悪いという高飛車な考え方は20世紀の企業や人の考え方で、21世紀の企業や人の考え方であれば誤解される隙のある表現ですいません。表現を改めます。という方針の企業や人が成長していくと思います。

誤解した方が悪いなどの良し悪しの考え方ではなく、表現した側に誤解を与える隙があったことを踏まえて今後の対策を考える方が、建設的だと思います。

糖質の血中濃度という新しい概念

糖質の血中濃度という新しい概念をグラフで表してみました。
血液中のブドウ糖濃度は一般的には血糖値と言われています。
その血糖値を上昇させる食べ物が唯一炭水化物・糖質です。元々の血糖値を0と考え、糖質によって上昇した分を糖質の血中濃度と考えました。

糖質血中濃度=血糖値-基本血糖値

すると基本血糖値よりも血糖値が下がることがわかります。その下がった分が糖質に対する欠乏感を引き起こしているのではないかと考えます。
糖質依存という新しい概念を考えましたが、その概念を理解してもらうために糖質の血中濃度という概念を考え付きました。

糖質が食べたいという強い欲求(強い空腹感のことです)が糖質に対する禁断症状だと考えたのです。
言い換えると糖質に対する欠乏感が、強い欲求を引き起こします。
その元は糖質を食べたことで糖質濃度(血糖値-ベース血中濃度)が一時的に上昇し、膵臓からインスリンを分泌することで糖質濃度を下げようとします。インスリンが効きすぎることで、糖質濃度0を下回ってしまいます。糖質の血中濃度が枯渇した時点で、糖質に対する強い欲求が生まれます。糖質濃度は見た目の上ではマイナスになってしまっています。
そのまま我慢していると血糖値が下がりすぎて危険なため、やむを得ず血糖値上昇ホルモンを分泌することにより血糖値を上昇させます。この時点で見た目上糖質濃度は0になるため、糖質に対する強い欲求は減退します。俗に空腹感のピークをこえたと感じる状態です。

糖質の血中濃度=血糖値ーベースの血糖値
糖質の血中濃度=血糖値ーベースの血糖値

糖質を食べないこと(糖質回避教のすすめ)でこの禁断症状はなくなります。
良かったらお試しください。

ご興味がありましたら、様々な病気の元かもしれない糖化産物の仮説をご覧下さい

 

あなたの幸福度は?

あなたの幸福度は?と聞かれると、70~80点くらいと答える人が多いと思います。
減点法の考え方をされているのか、もしくは100点とするとこれから下がるしかないから100点としたくないという考え方なのかも知れません。良いことを探して点数をつけた結果70〜80点という人は少ないのではないかと思います。

私の幸福度は100点でもあり、0点でもあります。

今ある状況に恵まれていると感謝し満足していると考えれば100点ですが、私はそれ以上ないから下がるしかないとは考えません。これからは120点、130点、200点、1万点を目指していきます。

そして全てのことを当たり前として受け止めていれば0点でもあります。これからプラスになるのもマイナスになるのも自分次第とも考えることができます。

『ありのままで』と考えれば幸福度は100点で今幸せですし、『ありのままを』と考えれば幸福度は0点でこれからにかかっているといえると思います

あなたの幸福度はいくつですか?

『ありのままで』から『ありのままを』に

2014年『ありのままで』という言葉が流行りました。ありのままでいいんだよというメッセージが万人受けしたのだと思います。

『ありのままで』というのは今のままで良いということを表し、頑張っている人を認めてあげる・才能のある人を認めてあげるという強烈なメッセージが凄く良かったと思います。ただ『ありのままで』努力をしなくて良いと、これまでの自分を都合の良い解釈をする人もいるのも確かです。自己肯定感は大切なことなので『ありのままで』に大きな意味がありました。

いずれにしても『ありのままで』はこれまでの過去のことで、そのままで良いということです。『ありのままで』はこれまでを100点と認めることです。

これから大切なことは自分の『ありのままを』受け入れて、今後どうするかという未来だと思います。

『ありのままで』いいんだよという過去が100点という考え方から、『ありのままを』受け入れて対策を考えるという今0点でこれからどうするのかという未来志向が望ましいと思います。

『ありのままで』から『ありのままを』、過去から未来という考え方はいかがでしょうか?

糖化産物のイメージ図

糖化産物とはブドウ糖とたんぱく質が糖化と呼ばれる現象で結合することです。ブドウ糖の血中濃度(血糖値)に比例して糖化産物は作られると考えられます。

血糖値が上昇することに比例し糖化産物を生じ、糖化産物が様々な病気を引き起こすという仮説です。
血糖値が上昇することに比例し糖化産物を生じ、糖化産物が様々な病気を引き起こすという仮説です。

糖尿病のコントロールの目安に活用されるヘモグロビンA1cのように、様々な糖化産物が産生されることは間違いありません。ブドウ糖がたんぱく質の結合する部位により働きが異なる可能性を考えると、糖化産物の組み合わせは無数に考えられます。

糖化産物はブドウ糖分子とたんぱく質分子同士の衝突によって生じるため、血糖値の濃度に比例して産生されると考えられます。糖化産物は容易には消失しないため(ヘモグロビンA1cは半減期約1ヶ月)、ある一定量の糖化産物が蓄積された時点で発症することが考えられます。

仮説が正しいとしても病因となる糖化産物を特定することは困難なので、血糖値を上げないことで糖化産物を作らないようにして間接的に糖化産物が原因だと確かめようという理屈です。

糖質を減らすのが辛い理由

糖質を減らすのが辛い理由があります。
それは糖質依存の考え方で読み解くと簡単に理解できます。(病的な依存ではなく、糖質に騙されていると考えてみてください)

 

糖質を少し食べると更に欲求が強まる現象がみられます。余計お腹がすくという現象です。
途中で糖質をやめることが困難になる一因です。

少し食べると血糖値が上がりますが、上がり過ぎないように条件反射で前もっていつも食べる量を予測し、予めインスリンを分泌し血糖値の上がり過ぎに備えます。すると食べる前よりも血糖値が下がってしまい、余計お腹がすくのです。

糖質を少しでも食べると条件反射により、インスリンが分泌され血糖値が下がることでお腹がすきます。だから我慢しにくくなるのです。

対策は量を減らすのではなく食べないことです。

一食ずつ減らすのがオススメです。

広島ブログ

某回転寿司の改善案

某回転寿司にてふと思いました。
ネタはよいのにマネージメントが残念でした。

最近ではタッチパネルでの注文が当たり前になっています。
座席までの配達は専用レーンで届けるお寿司屋さんが多い中、某回転寿司では通常レーンにて席の色の器に乗ってやってきました。注文のお届けが近づいてくるとタッチパネルで音がしてお知らせしてくれますが、あちこちで同じ音が鳴っているためわかりにくいです。
他の某回転寿司チェーンでは全てのお皿にふたがついていますが、このお店ではついていませんでした。一つ注文したものが届かったのですが、注文品と通常品の区別が曖昧(各座席の色が書かれた皿の上に乗っているだけです)で他の席の方に間違えられてしまったようです。

私が社外取締役ならと勝手に改善方法を考えてみました。
注文した品だけ座席の色に合わせた蓋をして保護するようにします。
目的は二つです。
注文品であることをはっきりさせて取り忘れを防ぐこと。
他の席で間違えられることを防ぐことです。

設備投資を避けるさしあたりの改善策ですが、実際には近いうちに専用レーンが設置されるのではないかと思います。

全皿蓋つきの回転寿司よりは少し高いものの、お寿司は美味しかっただけに残念に思いました。