利益は企業の為ならず

私の考えた諺です。

情けは人の為ならず

の諺を参考に考えました。情けは人の為ならずとは、人に親切にするのは人の為にするのではなく、巡り巡って自分にかえってくるのだから自分の為に親切にするのだよという意味です。

人の為にならないから情けをかけてはいけないと誤解されてもいます。

利益は企業の為ならず

この諺の意味は企業が存在することでお客さんに様々な恩恵をもたらすことてお客さんの為になる。その企業が存続することこそがお客さんの為になる。企業が存続するための運営資金として利益が必要である。つまりお客さんの為に企業が存続する目的で、利益があるべきだという考え方です。実はこの考え方をしている有名企業が二つ思い浮かびます。ある検索サイトとネット通販会社です。

情けは人の為ならずの解釈での誤解のように、利益は企業の為ならずの解釈を間違え『利益は企業の為にならない』としたとします。この場合は企業の目的が利益ではいけないのだと戒める諺だと解釈できます。要するに誤解されても成立するという二重の意味を持つ諺です。企業や経営者を戒めるのに役立つのではないかと思います。

将来『利益は企業の為ならず』を社是にした日本の企業が世界を圧倒し、経済の世界でも風が吹くことを心から願っています。

素朴な疑問 2型糖尿病の理想の食事療法

素朴な疑問を書いていきます。これまでの常識や先入観にとらわれることなく頭の体操として素直に考えてみて下さい。

血糖値を上げるのは糖質だけ

たんぱく質・脂質・炭水化物(糖質)のうち血糖値を上げるのは糖質だけです。たんぱく質はアミノ酸、脂質は脂質酸とグリセリン、糖質はブドウ糖に消化され吸収されるのは学生時代に習った通りです。血糖値とはブドウ糖の血中濃度のことで、アミノ酸・脂肪酸・グリセリンはブドウ糖とは異なるため血糖値に影響はありません。

身体の仕組みとしてはアミノ酸などからブドウ糖を作り出す方法があるため、いつもブドウ糖が作られていると誤解されたようです。実際には血糖値が下がってしまった場合だけ、アミノ酸などからブドウ糖が作り出される仕組みです。糖質を食べていると血糖値が下がらないのでアミノ酸などからブドウ糖を作り出す必要がありません。

血糖値は糖質を食べた分だけ上がります。

2型糖尿病は血糖値が高いまま下がらない病気です

2型糖尿病は血糖値が下がらない病気です。家族に同じ2型糖尿病の方が多いため、遺伝的な体質だと思われていました。

血糖値が高くなると、血糖値を下げる唯一のホルモン、膵臓から分泌されるインスリンが働いて血糖値を下げようとします。度重なる血糖値の上昇により、何度もインスリンが出続けることで働き過ぎて膵臓が働けなくなったか、インスリン自体の効き方が悪くなった状態が2型糖尿病です。

血糖値が下がらなくなった病気ではありますが、血糖値が何度も上がったことによる結果だと捉えることができます。

ここで問題です。

2型糖尿病の理想の食事療法は?

以上の情報から、実際に出来るかどうかは別問題にして、理想の食事療法を考えてみて下さい。そもそも上記が信じられなければ、御自身でも調べてみて下さい。

先入観にとらわれない小学生の方が、簡単に答えに辿り着くかもしれません。

私の考える答えはこちら

理想の食事を実践された実例はこちらです。

飲食店の注文端末の改善点

飲食店で注文端末を見る度に思います。お互い時間の無駄だと。

間違う隙がある上に探す時間がかかります。確認も名前で確認する必要があるため時間がかかります。

私が社外取締役ならメニューを番号管理にします。番号管理しない理由があるのか、アイディアがないだけかはわかりませんが店員さんもお客さんも時間の無駄だと思います。

番号入力なら時間もかなり短縮されますし、確認も早くできます。

もし全てシステムから作り直して良いなら、入り口に入力端末を置き、入力し終わったお客さんから席に案内します。

何でも人のせいにする人の心理

何でも人のせいにする人がいます。
その心理を考えてみます。

人のせいにする人とは、自分の責任を認めず人に責任を擦り付ける人のことです。
口では自分が悪いと認めたとしても、でも聞いてくださいと説明を始めるのが特徴です。
その心理の元は、本当の意味での自分の責任と認める概念がないのです。
そして人のせいにしているつもりも全くありません。
全て自分が悪いわけではなく、人の責任もあることをわかってもらう目的で説明しているだけで、人のせいにしている自覚はないのです。
人のせいにしているという自覚がないからこそ、人のせいにするなと指摘されても人のせいにはしていませんと本気で主張します。

人のせいにするという自覚がないことは非常に厄介です。会話が噛み合わないからです。

対策は単純に、人のせいにする言動がはじまれば、『誰の責任?』『誰が悪いの?』と責任の所在を自覚してもらうことです。

次の対策は『改善策は?』『再発防止策は?』と立て続けに質問することで、言い訳に付き合う無駄な労力を削ぎ落とすことが出来ます。

改善策や再発防止策が出てきた時点で、改めて誰の責任だったか自覚を促すと認めるかも知れません。

最後まで人のせいにするのであれば、それ以上相手にしても意味がないかも知れませんね

太るのは糖質を食べ過ぎるから

人が太る理由を皆さん知っていますか?

通常動物は太りません。何故なら太るとエサが取れなくなるか、エサになるからです。つまり食べ過ぎない仕組みがあります。

当然人間にも太らない仕組み(一定の状態を保つ性質・恒常性)が備わっているはずです。では何故太るのでしょう?

糖質を食べ過ぎるからです。

太る理由は糖質を食べ過ぎるからです。糖質に騙されて食べ過ぎるのです。(糖質依存ともいえます。)

太る理由が糖質に騙されて食べ過ぎているので、糖質をやめれば痩せていきます。ただそれだけのことです。糖質を食べながら痩せようとするのは、アクセルを踏みながらブレーキを踏んで車が止まらないと悩んでいるようなものです。血糖値を上げない工夫と同じです

血糖値を上げるのは糖質だけという事実

皆さん知っていますか?血糖値を上げるのは糖質だけという事実。

たんぱく質、脂質はいくら食べても直接血糖値を上げません。

逆に基本血糖値から上がった分だけ糖質を食べたということです。

その証拠に炭水化物を食べるのをやめた人は糖尿病が治りました。食後でも血糖値98でした。たんぱく質・脂質を食べても血糖値は上がらないのです。

糖尿病が治りました

2型糖尿病の方の食事療法は炭水化物をいかに避けるかだと思います。

炭水化物を食べながら、薬で治療するのは、アクセルを踏みながら車が止まらないのと同じです。少なくともアクセルをゆるめるように、炭水化物を減らすことは基本だと思います。

議論する余地もその必要はありません。

糖質回避教のすすめ 論理的宗教

糖質に関して議論するより宗教の一種である論理的宗教・糖質回避教という考え方がわかりやすいと思います。信じるか信じないかです。
正しいかどうかが議論されていますが、これまでの糖質に対する認識が間違っていたのは明らかです。
明らかなことを議論することは無意味です。糖質に関する正しい認識ができない方は、正しい情報が不足しているのか、物事を論理的に考えることができないかのいずれかだと思います。それでも反対される人はいわば異教徒です。最初から受け入れるという概念はないため、反対・否定できそうな理屈を探すことしか考えていないので、その点でも議論は無意味です。
反対する人も、いつ糖質の本当の姿に気付くかあるいは糖質の本当の姿を認めるかだと私は思います。広く受け入れられるまでの地動説と同じです。
そこで議論しないために、人それぞれが信じるか信じないかの問題にしてしまいます。
いきついた結果が、糖質回避教です。

糖質制限とか糖質制限ダイエットという言葉がはやっていますので、そのままいけば糖質制限教です。ただ私個人の印象では制限という言葉は制限速度で使われるように人に決められたことに従う印象があります。糖質を制限するすることにあまりこだわらず、自分の意思で避けるという回避という心づもりの方が適切だと思います。糖質回避・糖質回避教という考え方です。

そして糖質回避教というのは、糖質回避をするかしないかを信じるかどうかで宗教のようにとらえてはどうかと考えました。もともと宗教というのは、明らかな裏づけなく信じる信用から信仰に至っています。ただ信じるかどうかが宗教では問題です。たまに証拠を求められて奇跡が起こったと伝わっていますが、そのこと自体も本当だと信じるしかないのです。通常の宗教は死んだあとにしか真偽がわかりませんが、この糖質回避教は試してみることで真偽がわかります。宗教といってもこれまでの何となく感情的に信じるものと違うので、理屈にかなっているから信じるという論理的宗教という概念でとらえていただければと思います。この分類でいくと科学も論理的宗教といえるのかもしれません。

いったん糖質回避教を信じてみても、間違っている・自分には合わないと思われたらやめられたらよいと思います。
論理的宗教も感情的宗教も人に考えを強要しなければ争いにはなりません。
宗教戦争は信じる気がない人に自分の宗教を強要しようとして起こったのです。
本来宗教は信じた人が仲良く心豊かに生きるために生まれたもののはずです。
論理的宗教もそうです。信じる人だけが救われればよいのですから。

炭水化物を避け、タンパク質を中心に脂肪分も制限することなく好きなだけ食べていただければよいのです(ただし長期的には動物性タンパク質による病気、高脂肪食による病気の発生が懸念されます)。ダイエットと考えても空腹感を我慢する必要がないので簡単だと思います。ダイエットのあとのつきもののリバウンドもあり得ません。何故なら糖質回避教はおなか一杯食べながらダイエットができるので、リバウンドのようにダイエット後にかえって食事量が増えることがないのです。
糖質回避教 ~炭水化物を避ける知恵~のおすすめです。

炭水化物・糖質を避ける(回避する)だけでよいので簡単です。
具体的には主食であるご飯、パン、麺類を避け、おかずだけにすることです。おかずでもジャガイモやサツマイモなどのいも類と人参などは比較的多く炭水化物が含まれているため、避けるほうがよいと思います。
肉や魚、野菜を中心に食生活を楽しんでみてください。
糖質を避けるなんて無理と思われた方は無意識のうちに糖質依存に陥っている可能性が考えられます。一度その概念を確認してみてください。もし当てはまれば、自分自身の脳あるいは糖質に騙されているのです。

炭水化物(糖質)制限をされている方の中には、炭水化物を避けるように天ぷらの衣をはがして食べるほど徹底的に忌み嫌う方もおられますが、避けることができれば避けるという気楽な気持ちが長続きするコツだと思います。炭水化物・糖質を避けることすら楽しむくらいの気楽な糖質回避教がおすすめです。

糖質回避教にはお布施もありませんし、グッズ販売もありません。
論理的宗教も人に考えを押し付けるものでもありません。信じるものだけが救われるのです。
もしうまくいったら貴方も風の一部になって、他の人にも『呉からの風』を伝えてあげてみてください。

これまでの一般的な宗教(仏教やキリスト教など)との混在は全く問題ありません。
糖質回避教と大げさに言っても、いわば食べ物に対して自分で決まりを作るだけのことです。
誰に責められることもありません。

振り込め詐欺(電話による詐欺)の簡単な対策

振り込め詐欺や電話による詐欺の簡単な対策を考えてみました。

詐欺師の狙いは家族と勘違いさせてお金を引き出すことです。

家族と勘違いしなければ詐欺にあいません。

勘違いしないためには、家族で合言葉を決めるのです。

家族を名乗る電話があれば『合言葉は?』

と聞くのです。詐欺師は無駄なことはしないはずなのですぐに電話を切ると思います。切らなければ合言葉を確認すれば良いだけです。

合言葉は家族ならではの内容が笑いも誘えて、話のタネになっていいかもしれませんね。例えば子供の頃の呼び名や愛称を答えさせるとかですね。

詐欺防止に合言葉!

簡単な対策だと思いますがいかがでしょうか?

ダイエットしながら糖質を食べる意味

体重を減らす目的で行うダイエットですが、様々な方法が提案され実践されています。

そもそも人間が太る原因が糖質に騙されて糖質を食べ過ぎることなので、体重を減らしたいのであれば糖質を控えるだけで十分です。

逆に言えば糖質を食べながらダイエットをするのは、例えるならアクセル(糖質を食べること)を踏みながらブレーキ(ダイエットに励むこと)を踏んで、止まらないと言っているようなものです。ブレーキの工夫をするよりはまずはアクセルをはなしてみることだと思います。少なくともアクセル(糖質を食べること)は緩めてみると良いかもしれませんね。

これからはダイエットの概念そのものが変わると思います。一種の宗教のようなもので信じた人だけが得をすると思います。良かったら糖質回避教のすすめをご覧ください。

妊娠中の体重増加で悩んだら

妊娠中の体重増加で悩まれる方も多いと思います。
体重増加をしてしまう理由は食べ物の食べ過ぎだと思われていると思います。
実は食べ物の食べ過ぎではなく、糖質(炭水化物)の食べ過ぎなのです。
糖質に騙されてしまって、食べ過ぎてしまうのです。
妊娠糖尿病も同じ理屈です。

妊娠のとき以外でも太る原因は糖質の食べ過ぎです。
糖質をやめるなんて無理と思われた方は糖質に騙されてしまって糖質依存に陥っているのかもしれません。

逆に糖質(炭水化物・主食)を避けさえすれば、タンパク質・脂質はおなか一杯食べても大丈夫です。満腹感を感じるので食べ過ぎることができません。糖質は別腹という感覚でもわかるように脳が騙されて満腹以上に食べ過ぎてしまうことで、太ってしまうのです。
特に食事の間におなかがすいた場合、チーズや枝豆・ピーナッツ・豆腐・厚揚げなどがおすすめです。