『カビ生えたパンを小学生に』からわかったこと

驚くようなニュースが流れています。
小学校の担任教師が小学1年生に対してカビの生えたパンを食べさせていたそうです。

報道からは先生に病的な素因があった可能性が考えられます。
私は専門ではありありませんし、想像で物事を判断しても意味がありません。
そこで報道からわかったことを書いてみたいと思います。

問題があったのは昨年の話です。偶然カビの生えたパンを食べさせられたお子さんが、テレビ番組でカビの特集を見て『カビを見たことがある!』と発言したことから発覚したそうです。
このことからわかるのは、小学1年生であれば善悪・物事の良し悪しの判断がつかないため先生の言うことを疑うことができなかったのでしょう。そして当たり前だと錯覚しているので、その時点ではお母さんにわざわざ言わなかったことが考えられるのです。

通常の先生であればこのような行いは当然しませんが、中には病的な行動をとってしまう先生が紛れ込んでしまう可能性があることがこの事実からわかりました。
ということは自分の子供を守るための対策を考える必要があると私は思います。念のため子供達を守るために、その対策をとるべきだとわかりました。その対策を書いてみます。

対策

子供達から話を聞くことです。それしかありません。学校であったことを一つ一つ聞いてあげることです。どんなことが嬉しかったのか、どんなことが悲しかったのか、そしてどんなことが嫌だったのかを聞いてあげるのです。積極的に学校に苦情を言うべきと主張したい訳ではありません。子供の勘違いで悲しんだり嫌な思いをしているかもしれません。もしかしたら先生の勘違いで怒られたりすることもあるかもしれません。当然子供自身が悪くて怒られたということもあるでしょう。それらを聞き出して客観的に解説をしてあげるようにするのです。
親として自分の子供をかばいたい気持ちをぐっと抑えて、客観的に時には先生や友達の立場に立って子供に説明してあげるようにするのです。
日頃からそのように子供の話を聞くことしか、このような親の常識から逸脱した行動をとる先生から子供達を守る術は私には思いつきません。ただ先生を見張る目的で子供達の話を聞くことを提案するわけではなく、子供の感じていることや考えていることを知る目的で行い、おまけとして先生が逸脱していないかを念のため確認するようにすることをお勧めします。何故なら普通の先生はわざわざカビの生えたパンを食べさせたりはしないからです。多くの先生は一生懸命子供達をみてくださっている訳ですから、本来なら見張る必要などないはずです。ただ念のために子供達から話を聞いて、先生が突飛な考え方や行動をされていないかを確認することを提案します。

恐らく問題となった先生は誰からも注意されることがなかったので、自分の行動に問題があったとは思っていなかったはずです。つまりこれだけ問題にされる自覚はなかったのです。丁度自覚がないままイジメがエスカレートすることに似ています。大問題になる程行動がエスカレートする前に誰かが軌道修正出来る仕組みを作るしかありません。その一つの手段として子供達から話を聞いて問題がないかをチェックするしかないのではないかと私は思います。先生を信頼しているからこそ、通常そのようなチェックをすることはないでしょう。しかし先生を信用するために念のための問題行動の有無のチェックをすることを提案します。先生を信頼ではなく信用できるように気を付けましょう。まさか先生が非常識な行動をとらないだろうという信頼という思い込みにより、今回のことが見過ごされていたことです。

何より怖いと私が感じたのは今回のことがカビを生徒がテレビ番組で見たことで偶然発覚したという事実です。見ていなければ子供達が嫌な思いをしただけで終わり、誰も知らずに済んでしまったかもしれないことです。もしくは死亡事故が起こった後で発覚するかもしれなかったことです(アレルギーの食材を無理やり食べさせたという証言もあるようなので、亡くなっていれば殺人となっていたかもしれません)。

子供達の話を聞くことが子供達を守ることに繋がると私は思います。
いじめにあっていることを早く見つけることができるかもしれませんし、自分の子供がいじめをしていることに気付くかもしれません。もしかしたら先生から体罰を受けていることがわかるかもしれません。逆に子供の勘違いにより問題行動をしていることに気付くことができるかもしれません。子供の感じていることを聞いてみる。様々な利点があると私は考えます。

今時わざわざ消毒する医者の心理

夏井先生が傷口の消毒をしないことを提案していただいたおかげで、傷口は消毒しない方が明らかに早く治ることが知られていますが、今時患者さんに痛い思いをさせてまでしてわざわざ傷口を消毒する医者がいます。その理由と心理を考えてみます。

傷口を消毒すると治りが悪いことは試してみるとすぐにわかります。消毒しないことと比較するだけですぐに実感することができます。患者さんで試すことには抵抗があっても、自分や家族が怪我をした際に消毒をしない治療を試してみればその差は明らかです。

傷口を消毒しない医者には2種類います。一つは消毒しない方が早く治ることを知らない勉強不足の医者と、知っていてもわざと消毒する儲け主義の医者です。

知らない医者

今時傷口を消毒する医者はもしかしたら傷口を消毒しない方が治りが早いことを知らない勉強不足の医者なのかもしれません。知らないから躊躇うことなく傷口の消毒をすることができるのです。消毒しない方が早く傷が治ることを知らない医者の心理は、消毒しないという選択肢を知らないのですから何も考えていません。

傷口を消毒しない方が早く治ることを聞いても、自分の常識と照らし合わせてあり得ない考え方としてシャットアウトしてしまうのです。頭が堅い医者という表現がわかりやすいのかもしれません。

自分のプライドが邪魔をして受け入れられない医者もいるのかもしれません。

知っていても消毒する医者

消毒しない方が早く治ることは知っていても、あえて消毒する医者もいるようです。
わざわざ消毒する医者の心理は、自分のことしか考えておらず、儲けのために消毒をするのです。
何故なら消毒しない方が早く治ってしまうため、儲からないのです。そんな医者がいないことを祈っていますが、自分の儲けのためにわざと治りにくくして、長く治療するために患者さんに痛い思いをさせてまでして消毒をしているのです。
治りが悪い方が通院回数が増えるため、儲かるのです。そして消毒と称して何度も通院を促すことができるのです。

この点では抗生物質を処方しない医者の心理に似ているのかもしれません。

消毒は二重の負担

消毒は痛みを伴います。痛みを伴う治療であっても治すために仕方がないと思うからこそ患者さんは痛みに耐えるのです。しかし現実には消毒は痛みを強いるだけで治るのは遅くなります。治りを遅くするためにわざわざ消毒をするのです。知らないだけなら仕方がないかもしれませんが、治りが遅くなることを知っていてわざと消毒する医者はたちが悪いと思います。何故なら治りが悪いため経済的負担も強いることになります。痛みという負担を強いるだけでなく、治りが遅くなり通院回数が増えることで経済的負担を強いることになるのです。その目的が医者の儲けとわかっていても、わざわざ消毒に通う患者さんはいないでしょう。

消毒をしない方が早く治ることを知らない無知なだけの医者であっても、勉強不足で二重に負担を強いられる必要はないと私は思います。

今時傷口を消毒する医者は、勉強不足か儲け主義のため出来れば避けることをお勧めします。近くに消毒しない医者がいないがいないのであれば仕方がありませんが、近くに消毒をしない医者がいれば、消毒をする医者を選ばない方が二重にお得だと私は思います。痛みがない上に早く治ります。

臭い匂いに慣れる仕組みとその理由と目的

人間には臭い匂いに慣れる仕組みがあります。その理由と目的を考えてみます。
臭い匂いに慣れる仕組みは、一言でいえば匂いの0点設定をするようなものです。その時点の長く続いている匂いを0とする仕組みのようです。これは自分自身の匂いが臭いか臭くないか判断が出来ないことと似ています。自分自身の匂いを臭いと感じ続けていると、他の匂いを感じることができなくなってしまうからです。仕組みとしては人が物事に飽きる仕組みと同じような仕組みが働いていることが考えられます。同じ刺激が繰り返されると匂いを感じることに飽きてしまうのかもしれません。新しい匂いには比較的反応するものの、強烈であっても同じ匂いが継続されていると匂いを感じにくくなる仕組みのようです。

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臭い匂いに慣れる理由は、自分の匂いを臭いと感じてしまうと他の匂いがマスクされてしまうからです。意味ある臭い匂いなのか、元々の匂いなのかわからなくなってしまうことを避けるために元々の匂いは感じなくするような仕組みが備わっているようです。いわば雑音なのか意味のある音なのかわからなくなるため、元々ある音を雑音としてカットするようなものです。

人間が目的をもってわざわざ匂いを感じ取る感覚を身につけた訳ではないとは思いますが、臭い匂いに慣れる目的は匂いの変化を鋭敏に感じ取るためです。臭い匂いを感じ続けてしまうと他のかすかな匂いの変化を感じ取ることが出来ないのです。臭い匂いに慣れる仕組みがあれば、臭い匂いを感じなくなるためかすかな匂いの変化を感じ取ることができるようになります。

自然淘汰の歴史においては臭い匂いに慣れることのできなかった人類の祖先は、かすかな匂いの変化に気付くことができず淘汰されてしまったのでしょう。

子育ての極意 交換条件

様々な物事の解決策には交換条件が適切だと思います。特に子育ての極意は交換条件だと思います。何故なら子供の要求には交換条件がないから、親が諦めるまで無制限に要求するのです。子供の要求に交換条件を求めると、無駄なやり取りがなくなります。少なくともかなり減ると思います。交換条件なしを認めていると、子供の要求には際限がありません。無料だからです。
タダで貰うものは誰だって欲しいです。大人だってそうです。お金という交換条件が無いから、タダで貰うということは別の制限が必要となります。例えば無料配布などは、通常は個数の制限をするのです。

多くの子供のお願いは交換条件無しにお願いしているように思います。お菓子買って!おもちゃ買って!と、交換条件が無いから止め処もなく要求がエスカレートしてしまうのです。というよりもダメ元でお願いしてみるのです。何しろ交換条件というリスクがないのですから、少しでも欲しければとりあえず要求しておかないと損なのです。
お願いされる側も交換条件無しに要求されるので、一度要求を受け入れるとどこまで要求されるようになるかわからないので、頑なに拒否するようになります。

交換条件のないやり取りはお互い時間の無駄です。少なくとも子供のためにはなりません。際限ない要求をして子供は怒られたとしても、要求を実現することと引き換えにする我慢だと思うのです。もしかしたら無意識のうちに怒られるという嫌なことを我慢するというお仕事の結果、要求が認められると考えているかもしれません。交換条件のないやり取りは、子供と親の我慢比べになってしまいます。子供は欲求を満たすために、実現するまで要求し続けるはずです。親が諦めるまで。

子育てに交換条件を持ち込むことが、子育ての極意だと思います。
何故なら、子供の欲求を交換条件により制限できるからです。
例えばゲームセンターでゲームがしたいと子供に言われたら、お風呂掃除を1回。2回ゲームをしたいと言われればお風呂掃除を2回してもらうのです。
お菓子がほしいと言われれば、お皿洗いを1回などと提案するのです。
交換条件はお手伝いに限りません。お手伝いよりも勉強をさせたいと思えば、計算問題を100問でも構いません。
交換条件の対象と相場(何回行うか)は状況により変えていけばいいのです。
前もってある程度決めておけば、ゲームを本当にしたい場合子供の側から『お風呂掃除を3回するからゲームをさせてください』と言ってくるようになります。逆にお風呂掃除をしてまではやりたくないゲームの場合、親にゲームを求めることがなくなります。少しやりたい程度だとお風呂掃除という交換条件では割に合わないと自分で考えるのです。この交換条件がなければダメ元でゲームしたいと言い出すことでしょう。

交換条件が子育ての極意だと考えるのは、子供が自分で考えるように導くことができるからです。考えるきっかけを与えることができるからです。
子育てに交換条件を持ち込んでみましょう。

相次ぐ金塊密輸に思う

相次ぐ金塊密輸事件に思います。法律で売買を禁止されている訳ではない金塊をわざわざ密輸する目的は消費税です。密輸に成功すれば消費税分得をするのです。密輸に失敗しても金塊の大半は返却されるのでリスクをおかす輩がいるのです。

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脱税の際に提案した、脱税した額を全て没収し、更に悪質であれば罰金を課す仕組みと同じで密輸した金塊は没収にすべきです。何故なら金塊密輸に旨味があるからです。摘発のリスクを犯しても、成功すれば丸儲け、失敗してもペナルティーが多少あるだけだと考えているからです。損得を考えて、金塊の密輸がトータルで損な仕組みにしてしまえば馬鹿らしくて誰もやらなくなります。

脱税も金塊密輸もトータルで損する仕組みにしてしまえば良いはずです。何故しないのでしょうか?そこまで深く考えていないだけならこれから考えてもらうとして、もしかしたら政治家や支援者が脱税の可能性があるから逃げ道を残しているのなら悲しいですね。

これまでは罰則として刑罰を課すことで、犯罪の抑止力としていました。刑罰を受けないために犯罪を犯さないはずだという視点に立って法律が作られています。これは元々犯罪を犯さないつもりの人達にとっては非常に有効な仕組みです。しかし犯罪者は犯罪で得られる利益と見つかった際に受ける刑罰とのバランスを考えて、得だと思うと犯罪を犯してしまうのです。得られる利益に対して罰則が軽ければダメ元で犯罪を犯そうとする輩がいるのです。
犯罪の抑止が刑罰では行えないことは、死刑にしてほしくて人を殺してしまう人がいることからもわかります。少なくとも経済犯罪は見つかったら利得を全て没収し、更に罰金という刑罰にすれば、損得が分かる人間であれば行わないでしょう。つまり犯罪により期待される収支をマイナスにしてしまうのです。犯罪に成功すれば利益が得られても、失敗すれば大損ししかも犯罪者という仕組みにすればかなりの経済犯罪は予防できるでしょう。

何故しないのでしょうか?
刑罰以外の犯罪を防止する仕組みをそろそろ考えても良い時代ではないでしょうか?

怒るのは幼稚な証拠

人は思い通りにならないと怒る生き物のようです。0歳児でも思い通りにならなければ怒り出します。0歳児が思い通りにならないと怒るのは本能なのかもしれません。しかし大人が他人に対して怒るのは、赤ちゃんのように幼稚な証拠だと私は思います。若い頃に怒ることをやめたアドラーが作り上げた心理学によると怒りは感情であり、感情をコントロールすることは無意味だそうです。怒りを幼稚と捉えたり無意味だお捉えたりするのは、一見矛盾するようですが矛盾しません。何故なら怒る前に認知という作業があるからです。同じ事柄でも人によって捉え方が異なるのです。人によっては嬉しく思うことでも、他の人にとっては腹立たしく思うこと、悲しく感じることがあるのです。

不快だと感じることは仕方がないかもしれませんが、それを怒りと表現するか、悲しみと表現するかは考え方次第です。

例えば子供が片づけをしない事実を見て、怒りだす親がいたとします。
しかし片づけを出来ないことを悲しむ親がいても良いのではないでしょうか?自分が片づけの仕方や意味を教えていないと反省し悲しむ親がいても良いと思うのです。
同じ子供が片づけをしないという事実に対して、怒る人もいれば悲しむ人もいるし反省する人もいるのです。
相手が自分を怒らせるから自分が怒ることは仕方がないと考えている人もいますが、それは自分が絶対正しいという自分中心的な考え方です。その意味で自分が世界の中心である幼い子供と変わらないのです。そのような視点で怒るのは幼稚だと私は考えています。認知に自分の思い込みという問題があるからです。
自分が至らないところがあって、相手が自分の思い通りに動いていないに過ぎません。自分の思い通りに行動しないことを怒るのが幼稚だというのです。特に何度も同じことを言ったのに行動が変わらないとして怒る場合もありますが、言ったつもりということはよくあることです。

怒るのは犬が吠えるのと同じです。
怒ることで相手に伝わるのは不快だと感じていることだけです。
そもそも怒られている側は何に対して怒られているかわからないのですから、怒ること自体が無意味です。
我々は言葉が使える人間なのですから、怒ることで不快を伝えず言葉で不快に感じていることを伝えれば良いのではないでしょうか?そしてお互いで解決策を話し合えば争いはなくなるのではないでしょうか?

怒るのは自分が正しいと思い込んでいる幼稚な証拠だと私は思います。
怒っている人を見ると、自分は絶対正しいと勘違いしているんだろうなと思ってしまいます。逆に絶対正しいのであれば、怒らず教えてあげれば相手が恐縮するはずです。自分が正しいとは信じているけど、相手にわからせる自信がないから怒る勢いで自分の正当性を認めさせたいだけではないでしょうか?クレーマーなどは怒ることで相手を圧倒して、不当な要求をつきつけます。場合によっては相手が恐縮することを目的に言いがかりをつけてきますので、延々クレームを聞かされてしまいます。

怒るのはこれまで自分の思い通りに導くことができた成功体験が行動させるのでしょう。怒ることが幼稚だと理解する人が増えれば増える程、世の中から争いが減ると私は思います。全ての人が怒ることが幼稚だと理解することができれば、争いのない世の中がやってくるのかもしれません。私が生きている間に争いのない世の中がくることを祈っています。少なくとも1人でも多くの人が怒るのは幼稚だと気付くことを祈っています。

まずは病気で困って受診している患者さんを怒る医者に、怒ることが幼稚な証拠だと早く気付いて欲しいと考えています。そのためには患者さんの方から怒るような医者を避ける世の中になってほしいと考えています。

ニキビ痕の赤みの治し方

ニキビ(尋常性ざ瘡)の痕は赤くなり、なかなか治りません。
ニキビ痕の赤みは少し前までは美容皮膚科でレーザーで血管を焼灼するしかありませんでした。

今では糖質の食べ方に気を付けるだけで簡単に治すことができます。
考え方としては糖質回避です。
ニキビ痕の病態はケロイドや肥厚性瘢痕と同じようです。傷が治る際の創傷治癒細胞に対する自己免疫反応のようです。他の多くの自己免疫疾患同様が糖質回避により改善が期待できます。逆に言えば糖質を摂り過ぎているから治らないようです。糖質一度に摂り過ぎ症候群の一種なのか、一度に限らず糖質摂取を頻回に繰り返すことで発症するのかはまだわかりません。少なくとも糖質を控えなければ何年も赤いままであることは紛れもない事実のようです。
恐らく一度に一定量の糖質を摂ることで自己免疫反応のスイッチが入るため、糖質一度に摂り過ぎ症候群の一種だとは思います。ただしアトピー性皮膚炎やニキビのように一度だけの糖質の摂り過ぎで発症する、狭義の糖質一度に摂り過ぎ症候群とは異なり、一度に糖質を摂り過ぎることの繰り返しで起こる広義の糖質一度に摂り過ぎ症候群とでもいうべき疾患のようです。
病態を考えると、血糖値の一時的な上昇により自己免疫反応の引き金を引くようです。血糖値の一時的な上昇がなくなることで、自己免疫反応が引き起こされなくなり、既に起こってしまっている自己免疫反応が収まると赤みがひいてくるようです。
自己免疫反応を避ける食べ方は、病気を避ける理想の食べ方をご参照ください。

ニキビ痕が治るまでの期間

ニキビ痕が盛り上がりのない多少の赤み程度であれば数週間の糖質回避で改善が期待できますが、盛り上がる程の強い炎症であれば数か月の時間を要すこともあります。
盛り上がる程のニキビ痕であれば、盛り上がりがなくなり赤みがなくなるまで主食をやめてしまう方が早くよくなってお得だと思います。
今でも糖質回避によりニキビ痕が改善することを知らなければ、レーザー治療しか治す手段がないと思われている人も多いでしょう。保険適応のないレーザー治療に何万円ものお金を支払うことを考えれば、何万円分かの糖質の我慢と考えればお得だと私は思います。
おまけで痩せることもできます

2・3週間経ってもニキビ痕の赤みが改善しないのであれば、まだ糖質が多い可能性があります。少なくともニキビが新生しているのであれば、糖質を一度に食べる量が多い警告を身体がしてくれているのです。ニキビ痕の前にニキビの出来ない糖質量に控えることをお勧めします。

小さいニキビであれば糖質一度に摂り過ぎ注意報、大きいニキビであれば糖質一度に摂り過ぎ警報です。注意報や警報が出ている状態ではニキビ痕も治りません。病気を避ける理想の食べ方を参考に、出来れば主食をやめるようにしてみましょう。ただし既に糖尿病で治療中あるいは腎臓疾患、肝臓疾患にて食事制限のある方は食べ方に注意が必要です。主治医の先生に相談してみてください。

 

広島市の小学校8月6日の登校日なくなるに思う

これまで原爆の日である8月6日を登校日としていた広島市の小学校が、広島市の条例により教職員が休みとなるため登校日を取りやめることになるそうです。教職員の給料の支払いが県から市に移管されることから、教職員にも8月6日が休みという条例が適応されるというような内容の報道でした。

私が登校日を決める立場にいるとして、8月6日を登校日から外す説明の仕方を考えてみました。直接原爆を受けた被爆者が生存されていることもあり、8月6日を登校日から外すことに違和感を感じる人に対して、行きたいと考えている生徒や先生達が8月6日の広島市の平和公園で開かれる記念式典に参列できるように8月6日を休みにします。という説明を私ならします。

行動を変える場合、今回は8月6日の登校日を変更することに対して、様々な考え方が交錯すると思います。少なくとも被爆者が登校する訳ではありません。8月6日から登校日を変更すると平和に対する意識を問われる可能性がありますが、参列したい小学生や教職員が平和記念式典に参列出来るようにする目的で休みにしますと私なら説明します。

当然全員が参列することを望むわけでもありません。休みにすることで記念式典に参列するという選択肢が小学生や教職員に新たに生まれるという視点から、説明すれば違和感を感じる人は少なくなるのではないかと思います。

8月6日が登校日であっても、大して意識していない人達もいるでしょう。逆に8月6日を登校日から外すことで、たった72年前に原爆で焼け野原になった地に平和祈念式典として平和の大切さを改めて実感するために集まることができるようになる人もいるでしょう。

8月6日が登校日から外されるだけで報道されるということは、そのことに違和感を持つ人がいるからでしょう。しかし平和を望む心は皆同じはずです。そして同じ登校日の変更という事実も、視点一つで解釈が変わります。
争いを避ける視点こそこれから世の中を平和にしてくれるのではないかと私は思います。

減塩が難しい理由、減塩に失敗する理由

塩分が高血圧の一因であることは間違いないため、一部の先生が減塩に盛り上がっています。ただ減塩!減塩!と声を張り上げるだけで具体的な方法は薄味にすることを提案しているだけに過ぎません。どうやら糖質依存塩分依存の共依存の関係を知らないようです。依存状態なのですから、その仕組みを理解することなく依存から抜け出すことは非常に困難です。塩分が身体に悪いとわかっていても食べてしまうのは、依存状態そのものです。依存の診断基準にも身体に悪いとわかっていても摂ってしまうという項目があります。これこそが塩分依存の証拠です。

減塩が難しく、減塩に失敗する理由は塩分依存という依存状態だからです。
糖質依存において糖質を少し食べると余計お腹が空くのと同様、塩分依存の状態で少し塩気を摂ると余計摂りたくなるのです。塩気が好きだと誤解している人が多いのですが、塩気に騙されて操られているのです。本来の塩気を感じる味覚の設定値が狂っている状態なので、普通の味付けで塩気を感じにくくなります。そのため必要以上に塩気を求めてしまうのです。

減塩の仕方

塩分依存は糖質依存と共依存の可能性が高いため、まずは糖質依存から抜け出すことです。糖質回避という考え方です。
糖質依存の上手な抜け出し方は糖質を食べる食事と糖質を食べない食事をはっきりさせることです。具体的には1食主食をやめてオカズだけ食べる。慣れてくると2食主食をやめてオカズだけ食べる。可能であれば3食オカズだけにするという食べ方です。

糖質の甘味を打ち消すために塩気がほしくなるのです。糖質を食べなければそれほど塩気を必要としないはずです。

糖質制限をしていると味覚が変わったという人達がいるのは、糖質依存から抜け出すと同時に塩分依存からも脱出できるからのようです。塩分依存に陥っていると味覚の設定値が変わってしまうため、塩気を感じにくくなり塩気を求めてしまうためです。

減塩をしたいと思えば、まず糖質依存から抜け出してみましょう。

糖質依存から抜け出しても減塩が難しい場合には、塩気を減らすという発想をやめて、塩気を0にするつもりで減塩してみるとやりやすいと思います。胡椒の辛味やうま味など塩気とは違う味覚にすり替えるのです。もしよかったら塩分依存という状態から抜け出す発想で減塩を考えてみてください。

病は糖質から

「病は気から」という諺がありますが、私は新しい諺「病は糖質から」を提案したいと思います。

糖質一度に摂り過ぎ症候群はもちろん、肥満や2型糖尿病などの糖質依存による病気である糖質依存症も糖質が原因で引き起こされます。免疫が関わる病気の大半は糖質が何らかの関与をしているようです。

糖質一度に摂り過ぎ症候群は様々な病気が含まれます。アトピー性皮膚炎ニキビ(尋常性ざ瘡)などは典型的な糖質一度に摂り過ぎ症候群です。慢性感染症であるイボ(尋常性疣贅)も糖質一度に摂り過ぎ症候群の一種のようなので、免疫の過剰反応だけでなく免疫不全も引き起こしてしまうようです。

糖質が免疫に関わる際、自己免疫性疾患も免疫不全も引き起こしてしまうようです。

別の視点で見ると、糖質依存と共に陥る塩分依存の共依存により高血圧も発症するようです。他にも塩分が免疫に関わることがあるようなので、糖質が塩分と共に病気を引き起こすメカニズムもありそうです。

現代の病気の大半は糖質が絡んでいるようです。恐らく血糖値が一時的に上がることが問題なので、血糖値の上がらない病気を避ける理想の食べ方が望ましいと思います。

まだ多くの人が糖質の本当の姿を知らないため、この諺が一般の人達に受け入れられるのはまだまだ先になるとは思います。しかし糖質が多くの病気を引き起こしているのは間違いない事実です。糖質の摂り過ぎが病気の原因だといずれ多くの人が気付くでしょう。もしかしたら10年後には「病は糖質から」という諺は当たり前過ぎて、諺にすらしてもらえない周知の事実になっているでしょう。むしろ私はそうなっていて欲しいと心から思います。何故なら糖質の食べ方一つで様々な病気を避けることが出来るからです。

「病は糖質から」という諺が、糖質の食べ方を広める一助になれば良いと思います。