病は糖質から

「病は気から」という諺がありますが、私は新しい諺「病は糖質から」を提案したいと思います。

糖質一度に摂り過ぎ症候群はもちろん、肥満や2型糖尿病などの糖質依存による病気である糖質依存症も糖質が原因で引き起こされます。免疫が関わる病気の大半は糖質が何らかの関与をしているようです。

糖質一度に摂り過ぎ症候群は様々な病気が含まれます。アトピー性皮膚炎ニキビ(尋常性ざ瘡)などは典型的な糖質一度に摂り過ぎ症候群です。慢性感染症であるイボ(尋常性疣贅)も糖質一度に摂り過ぎ症候群の一種のようなので、免疫の過剰反応だけでなく免疫不全も引き起こしてしまうようです。

糖質が免疫に関わる際、自己免疫性疾患も免疫不全も引き起こしてしまうようです。

別の視点で見ると、糖質依存と共に陥る塩分依存の共依存により高血圧も発症するようです。他にも塩分が免疫に関わることがあるようなので、糖質が塩分と共に病気を引き起こすメカニズムもありそうです。

現代の病気の大半は糖質が絡んでいるようです。恐らく血糖値が一時的に上がることが問題なので、血糖値の上がらない病気を避ける理想の食べ方が望ましいと思います。

まだ多くの人が糖質の本当の姿を知らないため、この諺が一般の人達に受け入れられるのはまだまだ先になるとは思います。しかし糖質が多くの病気を引き起こしているのは間違いない事実です。糖質の摂り過ぎが病気の原因だといずれ多くの人が気付くでしょう。もしかしたら10年後には「病は糖質から」という諺は当たり前過ぎて、諺にすらしてもらえない周知の事実になっているでしょう。むしろ私はそうなっていて欲しいと心から思います。何故なら糖質の食べ方一つで様々な病気を避けることが出来るからです。

「病は糖質から」という諺が、糖質の食べ方を広める一助になれば良いと思います。

抗生物質を処方しない医者の心理

患者さんと話をしていてわかったことですが、抗生物質を処方しない医者がいるようです。直接話をした訳ではありませんが、その心理を考えてみます。

明らかな細菌感染症であれば抗生物質は有効です。にも関わらず抗生物質を処方しないのは何らかの恐れあるいは目的があるはずです。その心理を考えてみます。

考えられることは二つです。一つは抗生物質を恐れていて処方しない。二つ目は抗生物質が必要ないと考えている。この二つしか考えられません。
(もしかしたら細菌感染症だと理解できないでいるのかもしれませんが・・・)

抗生物質を恐れて処方しないのは、何らかの副作用で困ったことがあったのかもしれません。恐れているのであれば処方しないことは仕方がありません。なかなか治りが悪ければ他院を受診する方が良いのかもしれません。

抗生物質が必要ないと考えているのは、治らなくても良いと考えているからだと思います。命に関わる感染症でなければ、抗生物質を使わなくてもいずれは治ります。そういう意味で抗生物質は必要ないと考えているのかもしれません。抗生物質に頼ってはいけないという患者さん教育をする医者もいます。一見患者さんのことを考えているように見えますが、その目的は違います。治さない方が通院回数が増えるため儲かるのです。抗生物質を使えば3・4日で治る病気でも、抗生物質を使わなければ1・2週間かかってしまうことはよくあります。患者さんにとっては3・4日で治る方が良いに決まっていますが、医者によっては3・4日で治ってもらっては困るのです。自分の経営のためにゆっくり治ってほしいのです。

子供には抗生物質を出さない医者もいますが、抗生物質を一定回数以上飲んだ子供の方が体重増加が良かったという報告があります。その論文には体重が増えた根拠は書かれていませんでしたが、私は抗生物質を飲むことで体内の腸内細菌が成長に有利な状態にリセットされるのだと考えています。体重を増やすためにわざわざ抗生物質を飲む必要はないとは思いますが、そのような事実があるのであれば抗生物質を控えることに意味はないと私は思います。

 

漢方薬を使う医者は宗教家に似ている

私は基本的に漢方薬は使いません。何故なら効果が一定しないからです。漢方薬を製造している製薬会社の人と話をしても、有効率という効果の因果関係を示してはくれません。私が使う漢方薬は、飲んだ人の約半分の方に効果が期待できるという数少ない有効率らしきものがわかっている漢方薬を使うのみです。

効く確率すらわからない薬を信じて使うのは宗教に似ていると私は考えます。何故なら裏付けのある信用できる薬ではなく、裏づけなくただ信頼して飲む薬という意味だからです。信用ではなく信頼で成り立つのは科学ではなく宗教です。だから漢方薬を使う医者は、宗教家に近いと私は考えます。不確かな物事を信じることが出来るという点で宗教に近いと思うのです。確かなものと不確かな物事との違いは再現性です。

漢方薬の製薬会社がやる気さえあれば、有効率を出すことは比較的容易だと思います。何故なら他の製薬会社は有効率を提出してはじめて認可がおりるからです。漢方薬だけ有効率が出せないということはないでしょう。私はその有効率が10%でも20%でも良いと思います。現在の西洋医学は対症療法に過ぎず、治療法がない病気に対して10%でも20%でも効果があるのであれば存在意義はあると思います。他の治療の有効率が0%なのであれば、10%や20%は大したものだと思うからです。
にも関わらず製薬会社が有効率を出そうとしないのは、有効率が低いと保険診療から外されてしまうからだと私は考えます。

どの程度効くとも言えず、漢方薬を処方出来る医者は、自分は宗教を信じているからその宗教を広める宗教家と変わりありません。

信じる者は救われると私は考えているので、漢方薬を飲んでおられる方を否定するつもりはありません。効果がある方は飲まれれば良いと思います。少なくとも漢方薬を飲んで害がないのであればやめなくても良いと思います。
しかし21世紀にもなって作用機序はおろか、有効率すら出せない(出さない)薬を使う医者は、科学者ではないように思います。

ましてや漢方薬など使わなくても、食事の仕方を提案するだけで多くの病気を治せることが分かった今となっては、漢方薬を処方する医者と私は会話が成り立たないでしょう。

ちなみに私は有効率を出さない時点で漢方薬は保険適応から外すべきだと考えています。漢方薬を飲むこと自体が一種の宗教と同じなのですから、保険を使う必要はないと考えています。全額自費で効果を信頼して薬を飲むと良いと思います。ましてや副作用の心配が少ないのであれば、医者がわざわざ処方しなくても良いと考えます。

いじめで中3女子自殺でわかったこと

いじめで中3女子自殺に思うに書きましたが、その後わかってきたことがあります。

残念なことに教育委員会がいじめを隠そうとしていたことがわかってきました。
中学校はいじめの事案にあたると報告を上げていたにも関わらず、教育委員会がいじめはなかったという結論を議決したそうです。少なくともいじめを疑う物証があるにも関わらず事実を局解しいじめはなかったということにしたかったようです。
第三者委員会のメンバーが、いじめはないが保護者の意向により念のため第三者委員会を設置したという趣旨の発言をされていました。

いじめがなかったと判断を示す根拠を示す議事録はほとんどが黒塗りで公表されたようです。逆に言えば表に出せない理由でいじめはなかったことにしたということです。

人々の行動には必ず目的がある(目的論)ので、教育委員会がいじめを隠そうとした目的を考えてみます。考えられることは二つです。ただのことなかれ主義かいじめそのものを隠す目的があるかのどちらかです。

ことなかれ主義の場合、いじめはなかったことにすれば後の対策は必要がないため楽だから、いじめはなかったで片付けようとしたのだと思います。誤魔化していればそれで済むと考えたのかもしれません。

いじめそのものを隠す目的の場合、これはあくまでも仮説ですがいじめをした人間が教育委員会のメンバーの家族だった可能性を考えました。教育委員会の仲間の家族を守る目的でいじめを隠したのではないかと私は疑ってしまいます。教育委員会のメンバーの家族が問題のあった中学に在籍していたかどうかは調べればわかることです。そのようなことがないことを祈っています。

いずれにしても教育委員会は何らかの目的でいじめを隠そうと考えたのです。隠しきれないとわかった為、いじめを認めたに過ぎないようです。

対策はいじめで中3女子自殺に思うに書きましたが、いじめがあることを前提にすることです。いじめがあるのは仕方ないから重大な問題になる前に対策をとるようにすることです。いじめはあってはならないものという前提に無理があるようです。医療界においてもミスはあってはならないものという考えから、ミスは起こり得るから小さなミスから重大なミスを避ける知恵を見いだす仕組み(ヒヤリハット)を導入しています。
教育界も早くいじめを失くす仕組みを作り上げてほしいですね。

亡くなられた方のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
今回の問題が、今後いじめで亡くなる人がいなくなる足がかりになることを祈っています。

塩辛い物を食べさせると薄味を食べなくなる理由

子供や赤ちゃんに塩辛い物を食べさせると薄味の物を食べなくなるため濃い味付けを食べさせてはいけないと言われることがあります。迷信なのか医学的に正しいのか考えてみます。一言でいえば医学的に正しいと私は考えます。その根拠を書いていきます。

塩分依存

以前から提唱している糖質依存に続き塩分依存という概念を提唱しています。濃い味付けに慣れてしまうとは、塩辛いものに耐えられるだけでなく、塩分に必要以上に快楽を感じてしまい塩分依存に陥るのです。糖質依存では糖質に対する自己抑制が出来ない状態です。食欲に対する設定値が変わってしまうため、強い空腹感という禁断症状に悩まされます。塩分依存とは塩分に対する自己抑制が出来ない状態です。必要以上に塩気を求めてしまうのです。言い換えると味覚が変わってしまうのです。塩味の設定値が変わってしまうようなイメージです。

塩分依存に陥ると、普通の味付けの塩味が足らないように感じてしまいます。既に味付けがされているにも関わらず、更に塩や醤油をかけて食べるようになります。

子供や赤ちゃんの場合には通常の味付けを受け入れなくなります。

対策

糖質依存の対策と同じです。糖質を少しだけ食べると余計糖質を食べたくなってしまいます。糖質依存から抜け出すためには、食べるか食べないかはっきりすることです。中途半端に食べると余計食べたくなるため、逆効果です。

塩分依存の対策は塩気のない食べ物で慣れることです。恐らく出汁の旨味で味付けすることが正解だと思います。塩分依存から抜け出すことが出来れば、再び塩分を摂っても差し支えありません。

塩分依存に陥ることを避けるためには、塩辛い食べ物を連続して食べ続けないことです。

薄味を全く受け付けなければ、塩辛い味付けから少しずつ塩味を薄くして慣れていくしかありません。

経営のために治療をしたい医者

医者同士では半ば常識ですが、世間一般では余り知られていないのが経営のために治療したい医者がいるということです。保険診療では平均の入院期間が長いと入院単価が下がり、平均入院期間が短いと入院単価が上がる仕組みになっています。そのため患者さんの希望に関わらずとにかく早く退院するようにしています。患者さんのために退院を促す訳ではなく、経営のために退院してもらいたいのです。確かに入院していると患者さんは楽なので、その状態に依存させないために早く退院を促す側面はあるとは思いますが、退院を迫る大半は口にはしないものの患者さんのためではなく経営が理由でしょう。逆に医学的には外来で可能な治療を念のためとして、わざわざ一泊入院にするのは経営のための治療の最たるものでしょう。開業医は治療が経営に直結しているので理解しやすいのですが、勤務医も経営のための治療をすることがあります。その目的は売り上げを上げることです。何故なら勤務先の病院から売り上げを求められるのです。国公立の病院でさえ医者に売り上げを上げることが求められているのです。

命に関わる悪性疾患で医者が治療を勧めるのは当然ですが、悪性疾患ではないにも関わらず治療を勧める医者には注意が必要です。治療の目的が患者さんの健康のためではなく、経営のためであるかもしれないのです。実際知人から相談されたことがあります。良性疾患にも関わらず医者から手術するように強く迫られたものの、手術をしたくないと考えていると。事情を聞くと確かに良性疾患でも最悪の事態に陥り感染症を引き起こすと命に関わる可能性はある状態でした。しかし緊急性は全くありません。現在感染もありません。にも関わらず二週間後に手術をします。同意してくださいという説明だったそうです。大袈裟に言えば感染する可能性があり、場合によっては死ぬこともありますから今は症状はないけど盲腸の手術を予防的にしましょうということに近い発想です(盲腸の手術とは正確には虫垂切除のことです)。確率の問題で、相談を受けた知人の場合、正確には予防的虫垂切除よりは感染症に至る可能性が高いとは思いましたが、必ずしも手術が必要とは思えません。少なくとも2週間後に手術を急いでするべき理由は患者さん側にはなかったはずです。では何故か?医者が手術したいのです。その目的は医者は手術がしたいのでしょう。病院は治療費を得たいのでしょう。医者と病院の経営者の利害は一致しているので誰も異を唱える人はいないのでしょう。そんな理由で手術を勧められている患者さんはたまったものではありません。結局その知人は手術を断り1年が経ちますが元気です。

治療費が直接自分の収入に結びつかない勤務医ですら上記の状態です。ましてや治療費が自分の収入に直結する開業医では、更に露骨な経営のための治療を行うことになります。通院の継続を強要したり、患者さんのためではなく経営のために不必要な薬の継続を強要したりします。患者さんのために薬を出していると言い訳をするために、製薬メーカーがスポンサーで仕上げた論文を根拠にして処方していることもあるようです。経営のために治療しているかどうかの一つの見分け方は、患者さんを怒るかどうかです。怒る目的は医者が自分の思い通りにならないと儲からないからです。患者さんのためを思って怒るというのは、論理のすり替えに過ぎません。頼んでもいないのに患者さんのことを考えていると言い訳して、病気で困って受診している患者さんを怒るのは儲けの為だと考えると理解しやすいと思います。

別の開業医に一般的には治らないことが常識の病気を治していると伝えると、真顔で「儲からないから困るじゃない?」と言われました?正直この人は何のために医者をしているんだろうと考えました。

2型糖尿病ですら治る時代です。アトピー性皮膚炎ニキビや花粉症は当たり前に治ります。しばらく病院に通っても病気が治らない場合、医者が治せないのではなく経営のために治さないのかもしれません。治らなくて困っていれば別の医者を受診してみることをお勧めします。経営のために治療をしたい医者ではなく、病気を治したい医者を探しましょう。

いじめで中3女子自殺に思う

いじめにより中3の女子生徒さんが自殺されたそうです。
心よりご冥福をお祈りいたします。

1年半前の出来事ですが、今週になり自殺と認定されたことで話題になっています。
その経緯に問題があると考え、書いてみることにします。

いじめについて

動物同士でもいじめがある(参照:動物がイジメをする理由)ため、動物の一種でもある人間にいじめがあることは仕方のないことです。いじめがあってはいけないという考え方をしているために、いじめがあると隠すようになってしまうのです(参照:いじめを学校が隠蔽する理由)。
動物でもいじめをするのですから、動物よりも知能の高い人間がいじめをしてしまうことがあるのは仕方のないことです。かといっていじめを容認するわけではありません。視点の問題です。いじめをあってはいけないものではなく、あることが当たり前のものと考えることが大切だといいたいのです。
あってはいけないものだから隠すから、あることが当たり前だから対策を考えると視点を変えるのです。いじめがあることが当たり前なので、いじめを見つけて解決することに主眼をおくのです。あってはいけないものであれば、あれば隠そうとしてしまうのです。いじめがあることが当たり前であれば、見つけて解決したことを褒めるのです。そのように視点を変えることでイジメを減らすことができると私は考えます。

今回の問題点

死後1年半経過してから教育委員会は自殺と認めたそうです。
問題点としては新たな事実が出たことではなく、対応に不備があるため家族が文部科学省に問題定義したことで教育委員会が指導を受けた結果速やかに判断が変わったのです。同じ情報により指導され判断が変わったということは、つまり隠蔽していた証拠ということです。
第三者委員会の調査でもいじめはなかったという結果にも関わらず、文部科学省の指導だけで判断が変わってしまうことにも問題があります。
つまり第三者委員会が第三者ではなかった証拠のようです。

いじめはないことにするけど調査していますというのが第三者委員会だったようです。いじめを隠すという結論を決めてから行動していたように見受けられます。

私なら教育委員会に判断が変わった目的を聞きます。これまで1年半にわたりいじめがなかったことになっていたにも関わらず、突然いじめが出現した理由です。その後いじめがなかったことにしていた目的、いじめと認めた目的を聞きます。

いじめの対策

いじめがあることを前提に対策を考えることが必要だと思います。医療分野では人的ミスがあることを前提にミスを失くす仕組みを構築しています。ミスがあってはいけないではミスを隠してしまいます。隠していてはミスは失くせません。ミスがあることを前提に、ミスを繰り返さないために工夫するのです。ヒヤリハットという仕組みです。ヒヤリとした瞬間やハットした瞬間などミスに至らなくてもミスに至る可能性があることに気付けば情報を共有し、再発防止策を事前に対策するのです。ヒヤリハットの仕組みの秀逸なところは、ミスをした人が責められる・責任を取らされることを目的とせず、取り返しのつかないより大きなミスを防ぐことを目的としていることです。

いじめがあることを前提に、いじめを見つけだし対策したことを褒める仕組みを作るのです。多くの場合いじめをした本人にはいじめをした自覚などありません。いじめをしない、いじめを出来ない仕組みを作ることを目的にいじめの疑いがあることを情報として共有するのです。
いじめをした人を責める仕組みではなく、いじめをしないあるいは出来ない仕組みを作り上げるです。
学校の先生が自分の学校ではいじめはありませんと胸を張っていますが、いじめはあってはいけないので無いことになっています。つまりいじめは見つけませんということと区別がつかないのです。
学校の先生が自分の学校では10件のいじめ予備軍、2件のいじめ認定がありましたが生徒たちが転校することなく無事解決しました。2件のいじめは残念ですが、大事に至らず良かったです。今後はいじめ予備軍の間に発見できるように仕組みを更に工夫します。という報告が望ましいと私は思います。

私は通報システムを作るべきだと思います。いじめ予備軍でもいじめ、いずれでも本人が不快に感じた時点で学校とは別の組織に通報できる仕組みにするのです。別組織にする目的は隠蔽できないようにすることです。そしていじめの認定があればいじめられた人間が転校するのではなく、最悪の場合いじめをした生徒を転校する仕組みにするのです。そうすればいじめる側の生徒は転校したくない心理が働くため、自然といじめをやめる方向に仕向けることができると思います。

いじめはあってはいけないものから、いじめはあるから大事になる前に対処するものという認識を改めることこそが大切だと考えます。

最後にもしいじめられている立場の方がこのサイトを見られた場合を想定して、究極の解決策を書いておきます。いじめのある集団から逃げ出すことです。死ぬ思いをしてまで集団に所属し続ける必要はありません。逃げ出しましょう。そして逃げ出す手助けをしてくれる人をさがしましょう。
逃げ出しても追いかけてこられるかもしれないと不安になるかもしれませんが、追いかけてこられたらその時点で新たな逃げ方を考えましょう。

 

科学と宗教の違い

科学と宗教は信じるという意味では同じですが、その違いの本質は再現性だと思います。科学は理屈により再現することができます。だから人類は文明を発展させることが出来たのです。宗教はただ信じるだけで再現性がありません。様々な宗教において奇跡が描かれていますが、再現性がありません。つまり証明ができない同じことを繰り返すことが出来ないという点で、科学とは大きく異なります。

科学は信用で成り立ち、宗教は信頼で成り立っていると言い換えることができると思います。信用と信頼の違いで書きましたが、信用とは根拠を元に信じること、信頼とは裏付けなく信じることです。科学は予測通り再現することでその正しさを証明することができます。宗教は根拠となる教典がそもそも正しいかどうか曖昧です。そのため様々な宗教が存在することになるようです。

私は糖質回避教という論理的宗教という考え方を提案しています。この考え方が通常の宗教と異なるのは、再現性があることです。論理で裏付けされた考え方を論理的宗教と表現していています。

宗教ができた理由にも書きましたが、人類がお互い信頼して生活するために宗教は生まれました。ルールのない無秩序な世界において、価値観が異なる者同士では取引や生活が出来ないため、宗教により価値観を同一とするもの同士がともに生活するようになりました。そして宗教が異なると価値観が異なるため、関わらないことで争いを避けていたはずです。宗教が異なると常識が異なるのは当たり前のことです。いわば常識を揃えるために宗教が活用されたのです。
異教徒だから相手にしないわけにいかない時代になりました。そして宗教により常識を揃えることも困難な時代になりつつあります。その意味で常識を揃えることを宗教に頼っていた時代は終わりつつあるのかもしれません。

科学は再現性があることで、物事を予測することができることが特徴です。人類の歴史において物事の予測は天文学として発展しました。1年で四季が移り変わることに気付き、種まきなどに活用したのです。農耕をすることが出来るようになったのは、天文学を理解し1年で四季が移り変わる規則性を知ったのです。その積み重ねと試行錯誤の結果で人類は月まで行けるようになったのです。

私は糖質回避教以外の宗教を信じてはいませんが、人が宗教を信じることを否定はしません。何故なら信じる者は救われるからです。ただし根拠もなく示された治療は宗教と変わりありませんので否定します。残念なことに宗教のような治療をしている医者がいるのも確かです。

核実験とミサイル発射の本当の怖さ

某国が核実験を行い、その後もミサイルの発射実験を繰り返しています。

ミサイルの飛行距離が延び、直接核攻撃が可能になることを多くの人が恐れています。しかしそれよりももっと怖い現実が隠れています。そのことを書いてみます。

一言でいえばミサイルを宇宙空間で爆発させることが一番怖いのです。
地上を直接攻撃せず、宇宙空間で核爆発をさせることが一番ダメージが大きくなります。宇宙空間ですから空気がないため爆風はおこりません。地上まで距離が離れているため熱も直接伝わりません。
では何が問題かといえば、全ての電気製品が使用不能になるのです。
しかも非常に広範囲にわたって生じます。爆発する場所によって、日本全土はもちろん、1個の核爆発でアメリカ全土の電気製品が全て使用不能に陥る可能性があります。発電所が機能しなくなるためコンセントに差し込む電気はすべて使えなくなることはもちろん、電池で動く電気製品もすべて動かなくなります。かろうじて電球などICやLSIなどの基盤を使わない単純な電気製品だけが使える程度のようです。
つまり非常に広い範囲がいきなり江戸時代の生活に一瞬で引き戻されてしまうのです。

核爆弾が地上付近で爆発すると爆発した周辺は壊滅的な被害を被りはしますが、せいぜい半径数十キロの範囲です。すぐに反撃することができるでしょう。お互いが反撃を恐れて核爆弾を使用しないのはこのような論理です。放射能の問題があるとは思いますが、他の地域は被害がないため支援の手を差し伸べることができます。
しかし宇宙空間で爆発すれば、非常に広範囲の電気製品が全て使用不能になるため反撃そのものができなくなるのです。宇宙空間での核爆発が成功すれば、その国からの反撃を恐れず攻撃することができるのです。
そして宇宙空間での爆発は離れているため放射能の問題はないと言われていますが、電気製品が全て使用できないので復旧には短くても数年、場合によっては数十年を要することになります。

何発もの核爆弾を各地の上空に同時に爆発させると、どこからも反撃されないことになるようでです。日本語訳はありませんが、そのような内容の小説があるそうです。

通常の地上攻撃による核戦争であれば、反撃を考えると核爆弾の総数が強さを表します。宇宙空間での核爆発の使用は、後先を考えなければやったもの勝ちです。成功すればその国から反撃できないからです。このことが一番恐ろしいのです。
某国が崩壊することを恐れ、世界の混乱を招くためにどこかの上空で核爆弾を爆発させてしまう可能性があるのです。
核戦争ではなく、宇宙空間での核爆発を恐れているのです。
某国がその選択肢を持っていること自体を各国が恐れているため、このままミサイル発射を続けていれば何らかの武力衝突が起こる可能性があります。

想像してみてください。
すべての電気製品が突然使えなくなる生活を。
その瞬間、車はハンドル・ブレーキが効かず制御不能になり壁に衝突して止まるでしょう。飛んでいる飛行機はすべて操縦不能に陥り墜落します。
車が動かないので食料を移動させる手段がありません。
そんなカギを某国が持っているとしたら・・・。

世界が平和でありますように。

ナッツ類摂取でガンの再発率・死亡率低下の理由(仮説)

ナッツ類摂取でガンの再発率・死亡率低下の理由を仮説ですが考えてみます。ナッツ類そのものにガンを妨げる効果があるのかもしれませんが、ナッツ類摂取で再発率・死亡率が下がる理由が仮説すら書いてはありませんでした。そこで糖質関連かもしれないと考え仮説を考えてみました。
先日ヤフーニュースのトピックスにてナッツ摂取でガンの再発率・死亡率低下という記事が報告されていました。

概要は

週に57グラム以上のナッツを食べた結腸ガン経験者の再発率とガンによる死亡率が、食べなかった人よりはるかに低いとの研究結果を発表した。この量は、アーモンドなら48粒、カシューナッツなら36粒の量となる。

ナッツ類が肥満や糖尿病の予防に効果があることが示唆されています。
一つの仮説ですが、ナッツ類摂取で糖質の食べる量が減るのではないかと思います。またナッツ類により糖質の吸収を妨げる可能性が考えられます。つまりナッツ類が病気を避ける理想の食べ方におけるオカズの代わりになるため、血糖値の上昇を妨げることで免疫機能障害を引き起こさず、ガン細胞を免疫が攻撃する可能性が考えられます。(私はガンは、偶然生じたガン細胞担当の免疫機能障害によりガン細胞の増殖を抑えることができなくなったせいで発症すると考えています)

ただナッツ類が週57gでどれだけ血糖値の上昇を妨げる働きがあるのか疑問も残ります。糖質など他の食べ物の食べた量は計測されていないため判断がつきませんが、もしかしたらナッツ類を食べている人は糖質の量が少ない可能性が考えられます。もしナッツ類のおかげで糖質を食べる量が少ないのであれば、ナッツ類そのものが良いのではなくナッツ類が糖質の食べ過ぎを阻害している可能性が考えられます。

もし私の仮説が正しければ、糖質以外のもので糖質を避けるだけで良いので枝豆、チーズなどでも同様に再発率と死亡率が下がるはずです。もし枝豆やチーズでは再発率・死亡率が下がらず、ナッツ類だけが下がるのであれば、ナッツ類に何かガン細胞の成長阻害するものが含まれていることがわかります。
誰か調査してほしいものです。