見て覚えろという人はケチか説明が下手なだけ

見て覚えろという人がいます。お互いに無駄な時間を省くために、教えてあげれば良いと私は思いますがそうはいかないようです。

その心理を考えてみます。

ただ単にケチなのか、説明が下手なのかのどちらかではないかと思います。

ケチとは自分自身が苦労して身につけたことを簡単に教えるのはもったいないと考えることに由来します。もったいないと考えるから、ケチな心理で教えたくないのです。目的は自分が苦労したことを理解してもらうことです。

説明が下手とは、うまく説明出来ないことを隠すために見て覚えろというのです。目的は説明出来ないことを誤魔化すことです。

買った後で後悔する理由

買った後で後悔するには理由があります。それは「衝動買いの心理」で買ってしまったからです。脳の仕組みにより本来の価値よりもより良いものだと錯覚してしまっていたのです。その錯覚により購入したのですが、その錯覚が無くなったので後悔するのです。

まるで魔法にでもかかったようです。自分でよく考えて買ったはぶなのに、後悔するなんて。

「衝動買いの心理」は人類の進化の歴史の中で、危険を冒してでも食料を確保するために身につけた心理です。命の危険を冒してでも手に入れようとする仕組みなので、抑えることが難しいのです。

対策は10分で良いので他のことを考えてみることです。他の売り場を見て回るなど気を紛らわせるのが一番です。ふと思い出してやはり欲しいと思えば買えば良いですが、躊躇いがあるようなら「衝動買いの心理」による欲求かもしれません。やめておく方が無難です。

もしくは具体的な使い方や食べ物であれば食べた時の満足感を思い浮かべます。支払うお金に見合う満足感が得られるかどうかを考えるのです。具体的な使い方や食べた時の満足感が想像できないのであれば、「衝動買いの心理」に突き動かされているのかもしれません。少なくとも10分は買わずに様子をみることをお勧めします。

 

余りにも堂々と嘘をつかれると信じてしまう心理

余りにも堂々と嘘をつかれると信じてしまう心理が働きます。何故なら人は自信を持っている人を信じる傾向があるのです。そして人は確認すれば簡単に嘘だとわかることを言言いません。すぐにバレるから言っても意味が無いと思うのです。だから他人もわざわざそんな無駄な嘘をつくわけがないと思い込んでいます。そこに心理の落とし穴があいています。

嘘つき人間は全く逆の発想から嘘に辿り着きます。小さな嘘から始まり、得をすることで味をしめるのです。小さな嘘を隠すために大きな嘘に発展していきます。余り嘘が多いので、自分でもどこまで本当でどこから嘘かわからなくなってしまいます。だからその場がしのげれば良いのです。というよりもその場その場をしのいでいくしかないのです。そして嘘つき人間は経験的に堂々としていると怪しまれにくいことを知っています。嘘つき人間に嘘をつく迷いはありません。これまで幾度と無く繰り返しているので、躊躇する必要がないのです。

嘘つき人間は通常の人とはかけ離れた心理なので、理解出来ないのです。

普通の人は嘘をつきません。また確認すればわかる嘘をついても意味が無いので、そんな嘘をつく発想自体が無いのです。その隙をついてバレないように振る舞うのです。すぐにわかる嘘をつくという、そんな馬鹿なことをするはずがないという思い込みの上に成り立つ不思議な状態です。

これらのことからわかることは、念のため話の真偽を確認するという癖をみんながつけると良いのかもしれません。そんな癖が広まれば、詐欺事件も減ることでしょう。

人は泣いても無駄だとわかると泣かなくなる

人は泣いても無駄だとわかると泣かなくなります。子供はもちろん、女の人や赤ちゃんまで泣いても無駄だとわかると泣かなくなります。泣いても状況が変わらないと学習するのです。

逆に泣くことで望んだ結果になれば、次から繰り返すようになります。何度も繰り返すうちに大袈裟に泣くようになります。

子供が泣くのは泣くことで叶えたい何らかの目的があります。その目的を達成するために泣いているのです。だから泣くことを怒られても何とも思いません。怒られることは目的を達成するための試練くらいにしか考えていません。だから怒ることに意味はありません。かえって子供にとっては好都合です。怒ることは親の動揺を表しているからです。目的の達成までもう一息だと子供は察します。だから怒ると余計に泣きます。結局目的が達成されるので、次も同じことを繰り返します。

対策は泣いても目的を達成出来ないことを告げます。更に子供が困る状況を作り出します。例えばその場を立ち去るのです。この二つを同時に行うことで子供は泣いても無駄だと察します。泣くことで要求が通らないと理解出来れば泣くことはしなくなります。

これは大人でも同じですし、赤ちゃんでも同じです。赤ちゃんは泣いても相手してもらえないことがわかると泣かなくなってしまいます。手がかからなくて楽な赤ちゃんなのではなくて、もしかしたら赤ちゃんは諦めているのかもしれません。大人で平気で人前で泣くことが出来る人は、泣くことでこれまで得をしたのです。号泣議員はこれまでは様々なトラブルを泣くことで切り抜けることが出来たのかもしれません。泣いても誰も許してくれないどころか追求が激しくなるこもがわかったので泣かなくなったのです。

何かと泣かれて困っている人は、泣く目的を見抜き、泣かれても目的を達成させないようにしましょう。そのうち泣かれなくなります。

嘘つき人間の心理

世の中には嘘が平気な人がいます。私は嘘をつくことで金銭的な得をすれば全て詐欺罪を適応すれば良いと考えています。多かれ少なかれ嘘は誰でもつきます。これまで嘘をついたことが無いという人はいないと思います。もし嘘をついたことが無いという人がいればそのことこそが嘘です。ここでいう誰でもつく嘘とは本音と建て前の建て前や、大袈裟に表現することなどを含みます。詳しくは嘘の是非 嘘の善し悪しをご覧ください。

しかしすぐにわかるような明らかな嘘はつかないのが通常です。何故なら嘘は後でわかると恥をかくだけでなく信用を失う分損だからです。嘘つきは泥棒の始まりという諺もあるように、嘘をつくことは良くないことだと教えられて育つのが普通です。

世の中には嘘が平気な人がいます。人は堂々としている人を信じる傾向があります。余りに堂々と嘘をつくと案外見破れないものです。そして嘘が平気な嘘つき人間は意外に多いのかもしれません。テレビに出て話題になった人だけでも、作曲出来ない自称耳の聞こえない作曲家、割烹着で悦に入った記者会見をした自称科学者、最近話題の学歴詐称が明らかとなった自称経営コンサルタントであるタレント、号泣議員など多数あります。

嘘つき人間の心理

有名になったから大問題になっただけで、嘘つき人間は意外に多いのかもしれません。その心理を考えてみます。嘘つき人間は嘘をつくことて損をすることなく得をして生きています。癖のようなもので、嘘に罪悪感がありません。息を吸うのと同じくらい自然に嘘が口をついて出てきます。そしてこれまで嘘をつくことで問い詰められたことがほとんどありません。もし嘘が発覚して嘘が通じなくなると、職場を変わったり引っ越したりして所属するコミュニティを変えることでまた嘘を繰り返します。

嘘つき人間は、本当の自分と理想の自分とのギャップに劣等感を感じることが原因です。普通の人は理想の自分に少しでも近づくために努力します。努力しても理想の自分に近づくことが難しければ、そのことを受け入れます。嘘つき人間は本当の自分を受け入れることが出来ないのです。理想の自分を装うために嘘をつきます。その嘘により得をすることがあれば更に嘘を重ねていきます。

嘘つき人間は言い訳人間でもあります。自分にも言い訳をして嘘をつくのではないでしょうか?

嘘に翻弄されないための対策

相手のことを無条件に信頼するのではなく、些細なことでも確認し信用するために裏付けをとることをお勧めします。何故なら人は誰でも嘘をつく可能性があるからです。後で困ることが無いように確認してみましょう。確認しようとすると、疑うことを非難する人がいますが、やましい心のある人が非難するだけです。やましい心のない人は確認されても何も問題ありませんので非難することはありません。

野次馬の心理 人が芸能ニュースを見てしまう理由

野次馬の心理を考えてみました。野次馬とは自分に関係ないことに興味本意で騒ぎ立て、見物することです。その心理は本来他人の失敗により、食料や配偶者の確保において相対的に有利になるため、興味が湧くのです。人類の進化の歴史において、他人は仲間であると同時に食料や配偶者を奪い合うライバルだったのです。そのライバルの失敗がどの程度の失敗で、どれだけ得をするのか見極めるために興味が湧くのです。「他人の不幸は蜜の味」は同じような心理状態です。他人の失敗により、相対的に有利になった自分を確認することを目的として他人の失敗に興味が湧くのです。しかし人間は文明を発展させ、倫理観を身につけました。明らさまに他人の失敗を喜ぶことは恥ずかしいことだとされています。だから明らさまに他人の失敗を喜ぶことはありませんが、他人の失敗に興味を持ってしまうのはかつての名残りです。

芸能ニュースで芸能人の離婚や不倫のニュースに興味が湧くのは、本来なら無駄な心理です。何故なら芸能人とはかけ離れているため、芸能人の離婚や不倫が自分の生活に変化をもたらす可能性はないからです。にもかかわらず放送されるのは、視聴者の野次馬の心理を利用し視聴率を稼ぐことが目的です。テレビ局の目的と視聴者の心理が合致することで、意味をなさない芸能ニュースがテレビで垂れ流されることになるのです。結婚や出産などおめでたいニュースは心温まる一面がありますが、離婚や不倫などの失敗のニュースは野次馬と同じで知ったところで何も得るものがありません。元々興味を湧く理由であった人の失敗が自分の利益になることもありません。失敗例として何に注意をすると失敗しにくくなるのかという視点で、反面教師として受け取るなら意味がありますが、そのような視点の芸能ニュースは見たことがありません。テレビ自体が野次馬としての興味本位で放送する芸能ニュースばかりです。

芸能ニュースを見る際に、そのニュースを見ることで何が変わるのかを考えることです。会って話をする人ではありません。テレビの中の別世界の話です。少なくとも自分の生活は変わらないはずです。それならば時間をかけてまで見る価値は本来は無いのです。興味が湧くのは、他人の失敗が自分の生活を変えると錯覚するからです。芸能人が失敗しても生活は変わらないので、興味が湧くこと自体が錯覚なのです。

ある校長の発言 女性の最も大切なことは二人産むこと

ある公立中学校の校長が「女性にとって最も大切なことは子供を2人以上産むこと」という発言をし問題となっています。

校長本人は問題だと指摘されていること自体が理解出来ないと思います。何故ならこの発言の仕方でどのように受け取ることが出来る可能性があるのかが理解出来ないからです。その問題点を考えてみます。

問題点を校長は理解出来ない

人が失言する理由と対策に書きましたが、失言する人は人が言葉をどのように受け取る可能性があるのか想像力に乏しい人が多いのです。そして真意を理解出来ない人の問題であって、自分は悪くないと考えています。その証拠に一時ホームページに発言内容が掲載されていました。読んでもらえば真意はわかるはずだと思い込んでいた証拠だと私は思います。

インタビューされても話がかみ合わないのは、何が問題になっているのか理解出来ていないからです。そしてインタビューする人にとっては、校長は何が問題かわかっていて当たり前だと思い込んでいるのです。

校長の価値観がみんなの共通認識だと思い込んでいるので、違う考え方があることを想像出来ないのです。そのことを解説してみます。

校長の視点

このままでは人口が減ってしまう。そのためには男性は産めないから、女性が多く産むしかない。国が存続するためには女性が多く産むしか選択肢がない。人口を減らさないためには夫婦2人に対して、次の世代である子供たちを2人以上産むのは最も大切なことであり当たり前である。

校長の視点の問題点

  1. 言い方が女性の最大の価値を産むことだと錯覚させる
  2. 人口が減ることが悪いことだと決めつけている
  3. 人口を増やす方法が女性が産むことだけに限定している

一番問題と考えられるのは、共通認識とは言えない「子供を産むことが一番大切」という価値観を中学生に一方的に伝えたことです。一つの考え方として伝えることはあっても良いと思います。しかしこの価値観がみんなの共通認識の如く主張することに無理があります。校長は自分の中では当たり前でみんながこのように考えていると錯覚しているのです。だからこそ堂々とホームページにも記載したのです。

1.「女性にとって最も大切なことは2人以上子供を産むこと」という言葉は言外に産んで当たり前という意味が込められています。女性が産むこと以外の生き方を認めない考え方に基づいています。

恐らく校長の頭の中には女性が子供を産まないという選択肢が無いのか、産まないことが許せないのだと思います。そのことが言葉に表れていることをメディアも指摘したいのですが、言葉の問題でうまく伝えられず齟齬を生じ問題がわかりにくくなっているようです。

2.人口が減ることが悪いことだと決めつけています。人口が少なくなっても快適な生活を出来る知恵を探すという選択肢もあるはずです。人口が減る方が良いか増える方が良いかは議論の余地があります。人口が減る方が、ゆったりと生活出来るためより人間的な生活が出来るかも知れません。これも人口が減っては絶対に困るという価値観を元にしています。そう思い込んでいるので、みんなの共通認識だと錯覚しています。人口が減ると困るのは労働力ですが、機械が進歩すると人が少なくても今と同じ生活が維持出来るかも知れないのです。むしろゴミなどは減るため環境には良いかも知れません。そういう視点からも物事を考える余地があります。

3.人口を増やす方法は女性が産むだけとは限りません。海外から移民を受け入れる選択肢もあります。議論の余地がある話を当たり前のように女性が産むしか無いと言い切ったところに問題があります。校長は海外からの移民の選択肢などあり得ないと思い込んでいるのではないでしょうか?だからこそ当たり前に考えて産むしかないと思い込んでいるのだと思います。

本来なら子供たちが考えること

私は人口は減る方が良いとか移民を受け入れるべきだと言いたい訳ではありません。それらの選択肢を含めて日本の未来を創り出すのが今の子供たちです。その考える余地を奪うような一方的な考え方を中学生に伝えたことが問題の根本だと思います。校長は自分の考え方が正しいし他にはあり得ないと思い込んでいたのでホームページに堂々と掲載したのではないでしょうか?掲載ことで大問題に発展してしまいました。誰かがこれらの視点が抜け落ちていたことを伝えることが出来れば、事はここまで大きくはなりませんでした。

子供たちに考えるきっかけを与えたいのであれば、事実を伝えるだけで良いのです。「このままでは人口が減ります。世の中の女性達が子供を産まなくなっています。それで良いのか悪いのか君達が考えてみて下さい。その理由と対策を考えて、日本の未来を切り開いて下さい」と。

やはり以前別人の万引きで自殺について別人の万引きで自殺 否定しなかった理由で書きましたが、教師を見張る仕組みが必要です。本来なら公務員を見張る仕組みが必要ですが、子供たちへの影響を考えるとまず教師を見張る仕組みを作るべきです。教師は学校では強大な力を持つ権力者です。その権力者の言動に問題がないか見張る仕組みが必要だと私は思います。

別人の万引きで自殺 否定しなかったとされる理由

別人の万引きの濡れ衣で高校入試の推薦をしてもらえないことを悲観し中学3年生が自殺してしまったという悲しいことがありました。亡くなられた方の御冥福を心よりお祈りいたします。

タイトルにある亡くなられた生徒さんが否定しなかったとされる本当の理由は生徒さんにしかわかりません。わかりませんが、わかっていることからスーパー心理学で当時の心理を考えてみたいと思います。あくまでも推測であることをご了承ください。この文章の目的は同じようなことの再発防止です。教師を責めたい訳でもありませんし、責めたところで生徒さんが生き返る訳でもありません。再発防止をするために何が必要かを考えることです。

教師が嘘をついているか嘘をついていないかによって本質が全く異なります。自殺を病死と発表するという組織絡みの嘘が判明しているので、教師が自分自身を守るために嘘をついているかもしれないと考えるのは当然の流れです。生徒さんが亡くなられているので、本当のことは教師にしかわかりません。教師の嘘が無いものとして考えてみます。

記録には万引きの記載があり、教師は万引きが事実だと思い込んでいたのでは無いかと思います。進路指導を廊下で行ったという事実からも、事実の確認を行うだけのつもりだったのではないでしょうか?教師が万引きが事実だと思い込んでいれば、心当たりが無いと生徒さんが言っても言い訳をしているとして聞く耳を持たなかったことが考えられます。生徒さんは真面目で優秀だったと報道されています。そもそも生徒さんに全く心当たりが無ければ返事に困ったことでしょう。記録にあると言われ、やっていないことの証明が出来ず途方に暮れてしまったのではないでしょうか?報道では万引きが間違いだと知った上で考えています。だから何で確認しなかった?と思ってしまいます。しかし当事者達は間違いがあることを知らなかったのです。
先生はともかく、生徒さんはどうしたら良いかわからなくなったのではないでしょうか?そして家庭で人の物を盗ることは絶対にしてはいけないと教えられて育っていれば、先生には信じてもらえなかったから親御さんにも信じてもらえなかったらどうしようと考え込んでしまって親御さんにも言い出せなかったのかもしれません。

たとえ話に置き換えてみます。
何か行動をしようとしたら前科があるから無理ですよと言われたとします。あくまでも例え話なので現実に前科があると出来ないことが思い浮かびませんが、そのように他人から指摘されたと考えてみてください。前科が無いことを証明するのは非常に困難です。少なくともネットには書いてあるから仕方ないと言われたらどのようにすれば良いのでしょうか?。もし同姓同名だと言ったとしても信じてもらえなかったら途方に暮れるのではないでしょうか?もしくは誤認逮捕がネットで記事になり、後日間違いだったと分かったとしてもその記事だけが残っていたとしたらどうでしょうか?記事が削除されていなければネット上では犯罪者のままではないでしょうか?
無実にも関わらずネットに情報があることを指摘され、就職など行動が制限されてしまうことを想像してみてください。
同姓同名であれば、年齢や住所など自分とは異なることから無実の証明は出来るかもしれませんが、誤認逮捕だったとしたら無実証明書など発行してくれる訳ではないのでネットの記事が消えなければ非常につらい立場になることが考えられます。

やってしまったことの証明は比較的簡単ですが、やっていない証明は非常に困難なのではないでしょうか?それを教師から求められ、記録があるからと聞く耳を持ってもらえなければ中学3年生がどうして良いかわからなくなっても仕方がなかったと思います。

現時点で万引きが間違っていることがわかって見ていますが、当時は間違っていることを教師自身も疑っていない状況を想像してみてください。

あくまでも想像ですが、ありえるやりとりを想定しみました。
教師は万引きをしたと思い込んでいて、万引きしたのに推薦なんて受けられる訳がないと思っています。ずうずうしいと思っています。あくまでも想像ですが、記録にあるのだからわざわざ確認する必要はないだろうと考え、面倒くさいとも思っているかもしれません。
生徒に確認するために聞くのですが、廊下で推薦出来ないことを伝えます。
当然生徒さんは何故ですか?と質問があります。
当然わかっていると思っていますから、『3年生の時じゃないよ。1年生の時に問題行動をしたでしょう?』と言う具合に具体的に『万引き』という言葉は使わなかった可能性が考えられます。教師は記録にあるので間違いないと思っていますので、わざわざ『万引き』という言葉を使わなかった可能性が考えられます。『問題行動』と言い換えたために、ガラスを割ってしまったとか思い当たったところがあったのかもしれません。それで曖昧な返事になったのではないでしょうか?

最終的には親に言うという話になったので、途中ではっきりと『万引き』という言葉が使われたと思いますが、最初に曖昧な返事をしている時点で嘘をついていると思い込んだ可能性が考えられます。後から『万引きなんてしていません』と一生懸命訴えたとしても、一度認めたと思い込んでいるため聞く耳を持たなかったのではないでしょうか?

以上教師の話が全て本当だったと仮定して心理を考えてみました。
教師の話に嘘があれば、全ての前提が崩れます。
自殺から発表までの3ヶ月かけて作った嘘のストーリーではないことを祈るばかりです。

死んでしまった命は元に戻りません。
二度と戻らない命を無駄にしないために唯一出来ることは再発防止です。
そのためには嘘偽りのない真実から解決策を探すことです。
生徒さんが亡くなってしまった後も嘘で辱めることがないことを祈っています。

前回も書いていますが、公務員を見張る仕組みを作るべきだと思います。
まずは子供達の命を守るために、教師を見張る仕組みから作ってはいかがでしょうか?

不倫が忌み嫌われる理由

不倫が忌み嫌われるのは理由があります。その理由とは人類が長年かけて培った一夫一婦制を脅かすからです。
人類の歴史からみると人類が一夫一婦制を採用していることには合理的な理由があります。人類全体で考えると、最も争いが少なく安全に子孫を残す可能性の高い一夫一婦制が広まりました。特殊な環境で生きる一部の民族や宗教では一夫多妻制や希な例では一妻多夫制で成り立っていますが、一般的には一夫一婦制です。

一夫多妻制が優れているのは、無駄な争いを避けることの出来ることです。倫理観という概念が無かった昔、パートナーを奪いに来たものに対してペアで対処するからです。社会制度が成り立つ以前には、力尽くで奪い合う世界でした。力が全ての時代にもペアで対処することで、力尽くで奪いにきた略奪者に2対1で対応していたのです。現代に置き換えるとペアが常に共に行動していた時代には結婚という制度は必要ありませんでしたが、社会が複雑になったためペアが離れて生活した際にも奪い合うことがないために結婚という制度が出来ました。

人類は他の動物と比較して非常に未熟な状態で生まれます。今の赤ちゃん以上にお母さんの胎内で育ってしまうと頭が骨盤につかえて出られなくなるため、未熟な状態で生まれます。
首もすわっていない未熟な状態で生まれるため他の動物に比較して非常に手がかかります。その間の食糧確保が困難なため夫婦で子育てと食料集めというように役割分担を行うように進化してきたのです。

不倫が忌み嫌われるのは、無駄な争いを避ける目的で成り立っている一夫一婦制を脅かす行動だからです。無駄な争いを生み出すので不倫が忌み嫌われるのです。
みんなが守るルールを逸脱するので忌み嫌われる側面もあるのでしょう。
一時の快楽に対して自己抑制出来ないという面で不倫はお猿さん時代の先祖返りなのかもしれません。

もしかしたら不倫を批難する人達の心理のうちに、不倫が羨ましいと考える心理から生まれる、妬みも潜んでいるのかもしれません。

いずれにしても芸能人が不倫をしたとしても一般人には関係のないことです。
テレビでわざわざ取り上げてまで騒ぐような事ではないと思います。

ただこれだけ話題になってしまったのは、記者会見自体に嘘があったからだと思います。
間違った行動をしてしまってすいません。
という会見だったらここまでの騒ぎにはならなかったと思います。

子供がおねしょを繰り返す理由と対策

子供がおねしょを繰り返す理由とその対策を考えてみます。

おねしょとは寝小便のことで寝ている間におしっこをしてしまうことです。一度目は偶然寝ている間にしてしまうのでしょう。その対応で親の行動を子供が学ぶのです。親が自分にとって望ましい行動をしてくれることがわかるとおねしょを繰り返すのです。親が望ましくない行動をするとその行動を避けたいのでおねしょはしなくなります。

子供が求めている親の行動

おねしょを繰り返すということは、おねしょをすることで心地良い面があったのです。おねしょをすることで得をするのです。その得をするという感覚が親には理解出来ないので、知らず知らずのうちに同じ行動をしてしまうのです。そして子供は無意識のうちにおねしょを繰り返すのです。

子供の求めている親の行動とは、おねしょをすると子供に注目することです。本来なら子供は正の注目、すなわち褒められるような行動を取りたいのですがうまくいかない場合におねしょしてしまうようです。傾向としてお兄ちゃんかお姉ちゃんがいて、正の注目はしてもらえないから負の注目を集めようとするのです。

対策

おねしょをすることで注目してもらうことが目的です。対策は注目しないことです。おねしょをしてもおねしょをしなくても同じ行動を取るのです。おねしょして怒るのはもちろん注目していることになります。おねしょしないように寝る前に水を飲まないように促すことも注目していることになります。おねしょしても淡々と布団を替えて、おねしょしたことに触れないのです。おねしょをしても特別扱いしてもらえないことを理解するとおねしょしなくなります。