言い訳に関しては以前いつも言い訳する人の心理に書きました。
今回は言い訳と説明の違い境界線について考えてみます。
言い訳とは悪いのは自分かも知れませんが、自分だけが悪いわけではないことをわかってもらうことを目的にすることです。
いわば本当の意味で自分が悪いとは認めていないことを周囲にアピールしているのと同じことになります。
だからこそ言い訳は人の疎まれるのです。
しかし言い訳する方は事情があったのだから説明は必要だと考えてしまえようです。
その事情が相手には『意味』がなくても、言い訳する人にはその事情にこそ『意味』があると考えているので認識が平行線になってしまいます。
言い訳するな!言い訳していません!という会話はこの認識の違いによるものです。
では言い訳と説明の違いは何でしょうか?
一言で述べれば、相手が事情を求めているか求めていないかです。
事情を求めていれば説明になりますが、事情を求めていなければ言い訳になります。
やむをえない事情によっては対応を変えることの出来る余裕のある人と、事情に関わらず対応を変えることの出来ない人がいるのです。
そして多くの方は事情によって対応を変える余裕がないのが現状です。
事情によって対応を変えるつもりがないのですから、その事情を聞かされても『意味』を見出せないのです。
事情を聞かされる『目的』を推し量ると、自分だけが悪いわけではないとわかって欲しい自己弁護なのではないかということに思い至ります。
本人は無意識のうちに行うことですから悪気はないのですが、ただ説明しているだけのつもりが客観的には自己弁護になっているので、反省していないとしてかえって責められてしまうことになってしまいます。
自分ではこの事情は説明しておいた方が良いと考えたとしても、相手が事情を気にしていなければ言い訳としてしか受け止めてもらえません。
言い訳か説明かの区別は相手がすることであって、話す側からは判断がつかないのです。
こちらは説明のつもりで伝えたとしても、言い訳として受け止められてしまうかもしれないのです。
相手に判断を任せてしまうのは危険なので、自分では説明のつもりでもあえて言わないことだと思います。
事情を聞いてもらえれば、その時点で事情を説明すれば、言い訳にはならないと思います。
相手が事情を求めていれば説明になりますが、相手が事情を求めてもいないのにこちらから説明すると言い訳になると私は思います。
今回は言い訳を聞かされる人の立場で書きましたが、言い訳を自分がしているかどうかわからない人の視点で考えてみたのはこちらで確認してみてください。